タグ

交通>鉄道と趣味>昭和に関するhozhoのブックマーク (60)

  • まさに新幹線の「人間ドック」 国鉄浜松工場で「0系」車両の全般検査 あの日の鉄道風景

    1968(昭和43)年4月、国鉄浜松工場(静岡県浜松市)で、新幹線0系の車両が全般検査を受けている。全般検査はすべての機器を取り外して詳細に調べる大がかりなもので、「全検」とも呼ばれる。64年に東海道新幹線が開通すると、翌年から同工場では新幹線車両の全検を開始。68年までに、浜松工場で全検を受けた新幹線は100編成を超えた。(久保木善浩)

    まさに新幹線の「人間ドック」 国鉄浜松工場で「0系」車両の全般検査 あの日の鉄道風景
    hozho
    hozho 2024/04/30
    “新幹線0系の車両が全般検査を受けている=静岡県浜松市の国鉄浜松工場”
  • 悲願かなえた19km…西武秩父線、運行開始55周年へ 西武鉄道がキャンペーン あの花スタンプラリー開催中(埼玉新聞) - Yahoo!ニュース

    西武鉄道(社・埼玉県所沢市)の西武秩父線が運行を開始し、10月で55周年を迎える。西武鉄道は今後、記念ウォークやスタンプラリー、「旅するレストラン 52席の至福」記念運行などのキャンペーンを展開し、鉄道沿線や秩父地域の活性化に寄与していく。 西武秩父線は1969年10月に、当時私鉄最長とされた正丸トンネル(4・8キロ)で山を貫き、吾野駅(飯能市)と西武秩父駅(秩父市)を結ぶ19キロの路線として開通。同時運行した5000系特急レッドアローは、西武秩父駅から池袋駅間を最短83分(現在は78分)でつなぎ、これまで秩父鉄道経由で約3時間かけて都内へ通っていた秩父地域住民の悲願をかなえた。 記念キャンペーンの一環として、西武鉄道は5月19日までの期間、秩父が舞台のアニメ「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。(あの花)」スタンプラリーを、秩父アニメツーリズム実行委員会と連携して展開している。 秩

    悲願かなえた19km…西武秩父線、運行開始55周年へ 西武鉄道がキャンペーン あの花スタンプラリー開催中(埼玉新聞) - Yahoo!ニュース
    hozho
    hozho 2024/04/29
    “吾野駅と西武秩父駅を結ぶ19kmの路線として開通。特急レッドアローは、西武秩父駅から池袋駅間を最短83分(現在は78分)でつなぎ、秩父鉄道経由で約3時間かけて都内へ通っていた秩父地域住民の悲願をかなえた。”
  • こ、これは懐かしい……! 昭和の匂いを色濃く残した秘境駅が話題 「行きたい!」「昔の姿を残している」

    まるでタイムスリップしたかのような佇まい……。昭和の匂いを色濃く残した秘境駅を撮影した投稿が、X(Twitter)で約5000件の“いいね”を集めています。 時が止まったような駅舎です 昭和の匂いを色濃く残した秘境駅 レトロな駅の写真を投稿したのは、北の大地の研究会(@tokkyu_Souya261)さん。切屋根に板張りの駅舎、木製のベンチ、無人の改札と、時が止まったような美しい駅の風景を撮影しています。 駅の中の風情もすごい エモすぎるな~ 2024年の風景とは思えない 撮影場所は岡山県津山市にあるJR因美線の知和駅。昭和6年(1931年)の開業以来ほとんど手が加えられていないという古い駅舎が、その筋では有名だといいます(参考:岡山観光WEB)。 どこかなつかしさを感じさせる写真には、「エ……エモすぎます!!」「昔の姿を残したままの駅ってキュンキュンする」「このベンチに座って、ゆっくり

    こ、これは懐かしい……! 昭和の匂いを色濃く残した秘境駅が話題 「行きたい!」「昔の姿を残している」
    hozho
    hozho 2024/03/19
    “撮影場所は岡山県津山市にあるJR因美線の知和駅。昭和6年(1931年)の開業以来ほとんど手が加えられていないという古い駅舎が、その筋では有名だといいます”
  • 私鉄特急追憶乗車記

    私鉄特急追憶乗車記
    hozho
    hozho 2024/01/13
    “東武デラックスロマンスカー、小田急ロマンスカーLSE、近鉄ビスタカーⅡ世…。1960年代〜現在までに著者が乗車し、または撮影した、私鉄各社の顔として走った特急を紹介する。”
  • 全国に名車続々登場、「私鉄特急」黄金期の記憶

    近鉄ビスタカーや小田急ロマンスカー、東武DRCなど、大手私鉄各社は昭和30~40年代にかけて工夫を凝らした各社自慢の特急列車を導入しました。東洋経済オンラインで懐かしの列車を中心とした記事を連載する鉄道写真家・南正時さんがこれらの列車の全盛期に撮影・取材した記録をまとめた『私鉄特急追憶乗車記』は、大手私鉄の有料特急列車を中心に走行風景や車内の様子など、往年の名車の姿を収録しています。同書の中から、近鉄「ビスタカーⅡ世」の項目と、当時の特急撮影を振り返る部分を抜粋(一部再構成)し、掲載写真の一部とともに紹介します。 近鉄が誇った2階建て特急車 近鉄は1958年に、2階建て電車の試作的な車両として10000系を製造した。いわゆる初代の「ビスタカー」で、7両編成1だけが造られ、大阪と伊勢を結ぶ「阪伊特急」に投入した。残念ながら当時私はまだ小学生で、実物を見ても乗ってもいない。 この時代、近鉄は

    全国に名車続々登場、「私鉄特急」黄金期の記憶
    hozho
    hozho 2024/01/13
    “近鉄ビスタカーや小田急ロマンスカー、東武DRCなど、大手私鉄各社は昭和30~40年代にかけて工夫を凝らした各社自慢の特急列車を導入しました。”
  • 名鉄デキ110形電気機関車 - Wikipedia

    名鉄デキ110形電気機関車(めいてつデキ110がたでんききかんしゃ)は、1951年(昭和26年)に導入された名古屋鉄道(名鉄)の電気機関車である。デキ110形は東洋紡績(現・東洋紡)が保有する私有機関車であるが、車籍は名鉄にあったほか、実際の運用や保守管理も名鉄によって行われた[2]。 1968年(昭和43年)に東洋紡績から遠州鉄道へ譲渡され、同社の既存形式であるED21形へ編入された[3]。さらに1975年(昭和50年)には福井鉄道へ再譲渡され、同じく既存形式のデキ1形へ編入された[4]。 以下、項ではデキ110形として導入された電気機関車について詳述する。 導入経緯[編集] 東洋紡績は同社犬山工場からの製品輸送などを目的に、同工場と名鉄犬山線の木津用水駅を結ぶ専用線を保有していたが[2]、この専用線にて運用する電気機関車1両を東洋電機製造へ発注、1951年(昭和26年)8月にデキ11

    名鉄デキ110形電気機関車 - Wikipedia
    hozho
    hozho 2023/12/17
    “名鉄デキ110形電気機関車(めいてつデキ110がたでんききかんしゃ)は、1951年(昭和26年)に導入された名古屋鉄道(名鉄)の電気機関車である。”
  • 川崎市電の歴史と廃線跡を探る - 大師線と接続、3線軌条も存在した

    昨年11月の宇都宮駅東口~平石間に続き、今月から平石~グリーンスタジアム間でも試運転を開始した芳賀・宇都宮LRT(次世代型路面電車システム)。今年8月の開業をめざすとしており、予定通り開業すれば、事業譲渡等を伴わず、まったく新規の事業体が鉄軌道事業を開始し、路面電車を運営するのは、じつに79年ぶりになるという。 市電廃線時の「さよなら電車」の運転(提供 : 川崎区役所道路公園センター) では、いまから79年前に路面電車を開業させた事業体はどこかといえば、1944(昭和19)年に川崎市電を開業させた川崎市交通局である。今回は川崎市電に着目し、その歴史や廃線跡の現状などをレポートする。 ■川崎市電の開業が遅かった背景は 川崎市は大都市圏にあるにもかかわらず、他の大都市と比べて路面電車の開業時期が非常に遅かった。日初の路面電車である京都市電の開業は1895(明治28)年であり、それから半世紀近

    川崎市電の歴史と廃線跡を探る - 大師線と接続、3線軌条も存在した
    hozho
    hozho 2023/03/12
    “川崎駅前を起点とし、現在の市電通りを南武線支線と並行するように南下。産業道路に突き当たると、これに沿って北東に向かい、桜本、池上新田などを経由し、塩浜で京浜急行電鉄の大師線に接続していた。”
  • 国鉄に対抗「起死回生策」、福井鉄道200形の記憶

    現在のような低床式の路面電車がまだ存在しなかった時代、福井鉄道(福鉄)の200形電車は福井市内の路面区間に入ると、郊外型の大型高床式電車でありながら2段式のタラップを「パタン」と降ろして、乗客は「よっこらしょ」と言いながら乗り降りした。 福鉄200形は、昭和30年代、鉄道が華やかだった時代に郊外区間と路面区間を直通運転する画期的な車両として登場し、全国の鉄道ファンに親しまれてきた。2017年に引退したが、多くの人の熱意によりクラウドファンディングによって保存に向けた整備が進んでいる。 筆者は福鉄の社のある武生市(現・越前市)の出身で、幼いころから福鉄と共に成長してきた。鉄道好きとなったのも福鉄の歴代の電車、沿線による影響が大きい。今回は福鉄のこれまでと、200形の誕生から廃車、そして修復への過程をたどってみたい。 かつては3路線あった福井鉄道 福鉄は現在、越前武生駅から福井市の田原町駅ま

    国鉄に対抗「起死回生策」、福井鉄道200形の記憶
    hozho
    hozho 2022/11/20
    “福鉄200形は、昭和30年代、鉄道が華やかだった時代に郊外区間と路面区間を直通運転する画期的な車両として登場、2017年に引退したが、クラウドファンディングによって保存に向けた整備が進んでいる。”
  • 【150年の軌跡】開業初日「時速210キロ」 命令背き「夢」運んだ 東海道新幹線、一番列車の運転士

    最高時速200キロを超える世界初の高速鉄道。昭和39年10月に開業した東海道新幹線は当初、すでに海外でも前例のあった時速160キロを最高速度とする通達が出されていたが、記念すべき一番列車はこの通達に背き、一部区間で計画段階の最高速度である時速210キロに到達していたことが明らかになった。上り一番列車の運転士を務めた大石和太郎さん(89)=埼玉県久喜市=が産経新聞の取材に応じ、「新幹線の開業に携わった人々の思いを胸にあえて通達に反して210キロ運転をした」と証言した。 十河総裁の〝予言〟東海道新幹線が発着する東京駅の18・19番ホーム。その先端にれんが造りの記念碑がひっそりと建っている。掲げられているのは第4代国鉄総裁、十河(そごう)信二のレリーフ。「新幹線の生みの親」と呼ばれる人物だ。 「新幹線は全国に広げてはいけない。せいぜい山陽までだな」。38年に新幹線開業準備室に配属された大石さんに

    【150年の軌跡】開業初日「時速210キロ」 命令背き「夢」運んだ 東海道新幹線、一番列車の運転士
    hozho
    hozho 2022/10/10
    “上り一番列車の運転士を務めた大石和太郎さん(89)=埼玉県久喜市=が産経新聞の取材に応じ、「新幹線の開業に携わった人々の思いを胸にあえて通達に反して210キロ運転をした」と証言した。”
  • 来日したエリザベス女王「新幹線は、時計より正確だときいています」 威信をかけた現場の奮闘

    エリザベス英女王の2022年9月9日(日時間)の死去を受け、SNSでは来日時のエピソードに関心が集まっている。 女王は名古屋駅から新幹線に乗り込む直前、「新幹線は、時計より正確だときいています」とつぶやいた。しかし天候不良などで遅延が発生し、東京駅への定時到着は不可能に近かった。国鉄マンは威信をかけ、総力を挙げて挑んだ。 往路はストで飛行機に... エリザベス女王は1975年5月7日、フィリップ殿下とともに日を訪れた。英元首の初来日だった。5泊6日の日程で、天皇陛下主催の宮中晩餐会や、都心でのパレードなどに参加し、一挙手一投足が注目された。 トラブルもあった。5月10日の東京から京都への移動は東海道新幹線を使う予定だったが、国鉄の賃上げストライキが長引き断念。空路に変更された。 『新幹線と日の半世紀』(交通新聞社新書)によれば、当時の木村睦男・運輸相はエリザベス女王と面会し、「新幹線

    来日したエリザベス女王「新幹線は、時計より正確だときいています」 威信をかけた現場の奮闘
    hozho
    hozho 2022/09/09
    “当時、新幹線の最高速度は時速210キロ。そこで、ギリギリの時速209キロで走らせる運転士の腕に"時計より正確"な新幹線の威信がかかっていました。13時56分定刻。女王陛下の新幹線は、何事もなかったように到着。”
  • 国鉄最強の電気機関車「EF66」今どこで見られる?

    コンテンツブロックが有効であることを検知しました。 このサイトを利用するには、コンテンツブロック機能(広告ブロック機能を持つ拡張機能等)を無効にしてページを再読み込みしてください。 ✕

    国鉄最強の電気機関車「EF66」今どこで見られる?
    hozho
    hozho 2022/06/22
    “EF66形0番代は国鉄時代に1000トンの貨物列車を時速100kmで牽引するために開発。1966年にEF90形(→EF66 901)が試作され、1968〜1974年に55両が量産された。”
  • 国鉄車両関係色見本帳+車両色図鑑

    国鉄車両関係色見本帳+車両色図鑑
    hozho
    hozho 2022/04/30
    “1983年版「国鉄車両関係色見本帳」を特色印刷で再現。ジョイフルトレインからヘッドマークまで、色情報を図示した各種車両図鑑も掲載する。”
  • 東武浅草駅、まだ知られていない「駅ビル」の秘密

    東武鉄道の浅草駅は、日光・鬼怒川エリアへの観光に欠かせない特急「スペーシア」や、栃木・群馬方面へのビジネス利用が多い「りょうもう」が発着する東京都心の玄関口だ。堂々とした風格の駅ビル2階のホームから出発した列車は、右へ大きくカーブしてすぐに隅田川橋梁を渡る。少し窮屈で暗い印象の駅から、打って変わって開放感ある水辺の車窓はいかにも旅の始まりにふさわしい。 2020年にはその隅田川橋梁を歩いて渡ることができる「すみだリバーウォーク」や、川の向こうの高架下を活用した商業施設「東京ミズマチ」がオープンした。浅草と東京スカイツリーを結んでエリアの回遊性の向上が図られている。 駅ビルの開業は90年前 東武の浅草駅は1931年5月25日の開業から90周年を迎えた。アメリカ・ニューヨークのマンハッタンにそびえる、「帝国州」の名を冠したエンパイアステートビルとは同い年だ。東京随一の繁華街だった浅草では、その

    東武浅草駅、まだ知られていない「駅ビル」の秘密
    hozho
    hozho 2021/12/11
    “東武の浅草駅は1931年5月25日の開業から90周年を迎えた。アメリカ・マンハッタンにそびえるエンパイアステートビルとは同い年だ。東京随一の繁華街だった浅草では、その4年前の12月30日に上野との間に地下鉄が開業。”
  • 東武鉄道、特急スペーシアで「昭和を懐かしんで」 デラックスロマンスカー色に塗装 記念乗車券も発売(埼玉新聞) - Yahoo!ニュース

    hozho
    hozho 2021/12/05
    “東武鉄道は5日から、特急スペーシアの一部車両を昭和期に活躍した「1720系デラックスロマンスカーカラー」に塗装して運行する。”
  • 【週末駅弁】上野駅「チキン弁当」

    【週末駅弁】上野駅「チキン弁当」
    hozho
    hozho 2021/11/26
    “東京オリンピックが開催され、上野駅が北の玄関口としてにぎわっていた1964年(昭和39年)に発売されたというロングセラー駅弁で、上皇陛下も好まれたということでも有名だそうです。”
  • 直前まで失敗続き… 東海道新幹線、ハラハラドキドキ「開業日の奇跡」 | マネーポストWEB

    今回の東京五輪開催に伴い、鉄道面では、東京メトロ日比谷線の「虎ノ門ヒルズ駅」や、京浜東北線、山手線が乗り入れる「高輪ゲートウェイ駅」が新たに開業した。過去の五輪を振り返ると、五輪に向けて開業した駅や鉄道は大きな注目を集めていた時代があった。当時の状況や知られざる鉄道会社の奮闘について、鉄道ジャーナリストの梅原淳さんがレポートする。 * * * 今回の東京五輪・パラリンピックは無観客での開催だったため、観客輸送のために準備を整えていた鉄道が脚光を浴びる機会はなかった。だが、過去を振り返ると、国内で開催された歴代の五輪では、五輪のために開通した鉄道が大会と同じくらい話題となっている。 1998年に開催された長野五輪では現在の北陸新幹線の高崎-長野駅間が開通し、1972年の札幌五輪では、日初のゴムタイヤ式の鉄道である札幌市営地下鉄南北線の北24条-真駒内駅間が開業を果たし話題になった。そして1

    直前まで失敗続き… 東海道新幹線、ハラハラドキドキ「開業日の奇跡」 | マネーポストWEB
    hozho
    hozho 2021/10/02
    “開業の前日まで、試運転や訓練運転があると、1時間以上の列車遅延や運転休止が頻繁に発生していた。それでも、昭和39年10月1日の開業の日はついに訪れたのである。”
  • 国道駅、それは生と廃の交わる空間。生きている駅と静かに眠る高架下。~廃なるものを求めて 第8回~|さんたつ by 散歩の達人

    廃なるものを求めて廃なるもの、すなわち廃線跡、廃墟、その他うんぬん。写真作家の吉永陽一が朽ちていくものをじっくりしっとり、ときには興奮しながら愛でていく連載。 皆さん、国道駅という駅を聞いたこと、訪れたことがありますか? このストレートなネーミングの駅は、JR鶴見線鶴見駅の隣にある高架駅です。国道15号に面しており、駅名はその国道が由来です。この駅を目的に訪れる人々が絶えることがなく、鉄道ファンや旅人には名が知れた駅です。 なぜそんなに注目されているのかというと、国道駅は昭和5年(1930)に開業した高架構造の雰囲気を、今も色濃く残しているから。 高架下はコンクリートのアーチ型が続き、「レトロでノスタルジック」な佇まいが人気です。 生まれも育ちも東京都だが大阪芸術大学写真学科卒業。空撮を扱う会社にて空撮キャリアを積み、長年の憧れであった鉄道空撮に取り組む。個展や書籍などで数々の空撮鉄道写真

    国道駅、それは生と廃の交わる空間。生きている駅と静かに眠る高架下。~廃なるものを求めて 第8回~|さんたつ by 散歩の達人
    hozho
    hozho 2021/01/30
    “国道駅は昭和5年(1930)に開業した高架構造の雰囲気を、今も色濃く残している”
  • JR貨物DD51形、2021年春のダイヤ改正で定期運用から引退へ - 鉄道ニュース週報(257)

    朝日新聞電子版は12月18日、「『凸型』DD51、来年3月に引退へ 北斗星や出雲にも」という記事を掲載した。見出しだけ見ると、ディーゼル機関車DD51形がすべて引退、廃車されてしまうと誤解されそうだが、記事を読むと、「JR貨物が愛知県で定期的に運行していた6両が運用を外れる」との主旨だった。過去に寝台特急「北斗星」「出雲」など牽引した実績があるから間違っていないものの、この見出しだと、他社の保有車両も含めて引退すると勘違いしてしまうかもしれない。 ディーゼル機関車DD51形(2018年の報道公開にて撮影)。非電化区間の主力機として649両も製造された 朝日新聞の記事では、JR貨物が来年3月に実施するダイヤ改正(12月18日発表)を情報元としている。しかし、JR貨物が自社サイトで公開している報道資料では、電気機関車EF210形を11両、ハイブリッド機関車HD300形を1両、電気式ディーゼル機

    JR貨物DD51形、2021年春のダイヤ改正で定期運用から引退へ - 鉄道ニュース週報(257)
    hozho
    hozho 2020/12/27
    “DD51形はJR貨物の他に、JR東日本が2両、JR西日本が8両を保有している。SL列車の補助機関車や、SL列車の蒸気機関車が故障したときに代行運転する役回りで先頭に立っている。”
  • SankeiBiz(サンケイビズ):自分を磨く経済情報サイト

    サービス終了のお知らせ SankeiBizは、2022年12月26日をもちましてサービスを終了させていただきました。長らくのご愛読、誠にありがとうございました。 産経デジタルがお送りする経済ニュースは「iza! 経済ニュース」でお楽しみください。 このページは5秒後に「iza!経済ニュース」(https://www.iza.ne.jp/economy/)に転送されます。 ページが切り替わらない場合は以下のボタンから「iza! 経済ニュース」へ移動をお願いします。 iza! 経済ニュースへ

    SankeiBiz(サンケイビズ):自分を磨く経済情報サイト
    hozho
    hozho 2020/10/29
    “行き違いや譲れぬプライドなどの要素が交錯。以前からギャラリーに野村氏の名前はなく、「南海の野村」に再び光を照らし、功績を残す今回のプロジェクトが立ち上がったという。”
  • 西武園ゆうえんちに長崎電軌が路面電車譲渡 1960年代の街並み再現し2021年春再開へ | 乗りものニュース

    昭和の商店街を再現! 拡大画像 西武園ゆうえんちの新しいキービジュアル(画像:西武鉄道)。 西武鉄道と西武園ゆうえんち、地方創生に取り組む刀は2020年10月28日(水)、西武園ゆうえんち(埼玉県所沢市)のリニューアル概要を発表しました。 コンセプトは「心あたたまる幸福感に包まれる世界」です。新しい「西武園ゆうえんち」は、1960年代の日の街並みを再現し、そこで暮らしているかのような人々とのインタラクションを楽しめるといいます。 エントランスは、当時の人々の生活の足として活躍した物の路面電車が置かれます。車両は長崎電気軌道から譲渡される1050形電車(元仙台市電)の1051号車です。 路面電車の先には商店街の街並みが広がります。八百屋の店主や交番のお巡りさんといった人々が、街を舞台にライブ・パフォーマンスを展開。来園客自身も、傍観者ではなくいつの間にか熱気にあふれるこの世界の一員になっ

    西武園ゆうえんちに長崎電軌が路面電車譲渡 1960年代の街並み再現し2021年春再開へ | 乗りものニュース
    hozho
    hozho 2020/10/28
    “コンセプトは「心あたたまる幸福感に包まれる世界」です。新しい「西武園ゆうえんち」は、1960年代の日本の街並みを再現し、そこで暮らしているかのような人々とのインタラクションを楽しめるといいます。”