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言語に関するishikawa-kzのブックマーク (10)

  • 「小笠原ことば」だって貴重な文化遺産

    今週のコラムニスト:ダニエル・ロング 〔8月10・17日号掲載〕 ユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界自然遺産登録によって、「小笠原」という文字が頻繁にニュースに登場するようになった。とはいえ、そこは東京から1000㌔離れた東京都。180年以上前の江戸時代から続く多言語・多文化・多民族の歴史についてはあまり知られていない。 私が小笠原に初めて行ったのは1997年。当時、大阪大学大学院で日の方言を研究していたが、指導教官の徳川先生に「英語と日語の両方が話せるロング君にしかできない研究があるよ」と教えていただいたのがきっかけだった。 小笠原には、1830年代に島に住み着いた先祖の血を引く欧米系島民が暮らしている。人生の半分以上を日で過ごした私は、複雑なアイデンティティーを持つ彼らに共感できるところがあった。しかし何よりも興味深かったのは、彼らが日常生活で用いている英語と日語が混在する

    「小笠原ことば」だって貴重な文化遺産
    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2011/08/18
    これはすごく大事な記事だ。心震える。久々に心震えるぞ「独特な言語文化のルーツは英語と日本語だけでなく、太平洋諸島からの先住移民が運んできた単語にも多く見られる。」
  • 少し北の国から:『確実性について』第229、231、232節

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    ishikawa-kz 2011/07/26
    沁みる話である「全てを疑うことは実は疑いという実践ですらない。それはつまり全てを「疑う」ということは概念的に成立しないということ、それゆえ「われわれは全てを疑うのではない」」
  • 第六回講義 ダブルバインド

    第六回講義 §6 ダブルバインド 1、ダブルバインドの定義 ベイトソンはダブルバインドによって精神分裂病を説明しようとする。彼による「ダブルバインド状況」の定義を見ておこう(「精神分裂病の理論化へ向けて」『精神の生態学 上』思索社)。これは、つぎの6つの条件が満たされた状況のことである。 1、二人あるいはそれ以上の人間  このうち一人を「犠牲者」と呼ぶ。 2、繰り返される経験  我々の仮説が注目するのは、精神的外傷を引き起こす単一の経験ではな く、ダブル・バインドの構造が習慣的な期待となるような、繰り返され る経験である。 3、第一次的な禁止命令    (a)「何々の事をするな、さもなければあなたを罰する」或は (b)「もし何々のことをしなければ、あなたを罰する」 4、より抽象的なレベルで第一次の禁止命令と衝突する第二次的な禁止命令。 これも第一次の禁令と同じく生

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    ishikawa-kz 2011/05/18
    「したがって、システムは相転移のきっかけを待っているともいえる。その状況では、ほんの小さな変化が、相転移を引き起こす可能性がある。」
  • 日本人という「あいまい」な輪郭 - martingale & Brownian motion

    人がなぜ、外国語を話すのが苦手なのかを、この前は、日語の音節言語にある、と考えた。つまり、常に、子音と母音がペアで発音され、子音だけ、という発音が日人には、「理解ができない」。 たしかに、こういったことがあるのだろうな、と思わなくもない。しかし、それだけと考えるには、あまりに「やる気」がなさすぎではないだろうか。そんなに、問題がはっきりしているのなら、一点突破で、がんばればいい。 しかしやらない。どうも変なのだ。 私は、なにか嫌な予感のようなものがした。日人が、なぜ、外国語を「気」でやらないのか? それは、もっと質的なところにあるのではないのか。 たとえば、日人としての、アイデンティティに関わるような部分で。 なにをもって、日人は日人なのだろうか。なにがあるから、私は自分を日人だと思っているのだろうか。 こう考えてみると、途端に、自分の「輪郭」が怪しくなる。 たしかに

    日本人という「あいまい」な輪郭 - martingale & Brownian motion
    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2010/11/15
    確かに現在世界の中で生きる様々な人(日本に住まう人も含む)にとって日本や日本語ってかなり謎な存在なのではないか。おそらくそれは軍事や経済、文化、法と権利、国際関係すべての面でそのことが深刻でしょう。
  • 「日本語対応手話」と「日本手話」

    「日語対応手話」と「日手話」 1 日語対応手話(Signed Japanese)    健聴者(聴者)が手話サークルや手話講習会等で学ぶ多くの手話は、音声言語である日語に手話単語を一語一語あてはめていくもので「日語対応手話」と言います。言い換えれば、このような手話は、手と指を使った日語であり、手指日語[しゅしにほんご](Signed Japanese:サイン化された日語)と呼ばれています。日語の単語に手話単語を一語一語、対応させていくので、語順は日語とほぼ同じになります。言語学の観点から見れば、日語対応手話は日語であり、手話(Sign Language)ではありません。この定義は言語学者、手話学者が行うもので、まだ一般社会には根付いていません。多くの人は、「日語対応手話」を「手話」と呼んでいるのが現状です。 2  日手話(Japanese Sign Lan

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    ishikawa-kz 2010/09/28
    これは目からうろこである。
  • Amazon.co.jp: 思考と行動における言語: S.I.ハヤカワ (著), 大久保忠利 (翻訳): 本

    Amazon.co.jp: 思考と行動における言語: S.I.ハヤカワ (著), 大久保忠利 (翻訳): 本
    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2010/04/19
    これは必読なのに読んでないな。S・I・ハヤカワ「思考と行動における言語」
  • 片桐ユズル ウェブサイト:一般意味論

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    ishikawa-kz 2010/04/18
    「片桐ユズルと一般意味論」氏の手になる意味論研究の文書公開もトップから見られる。
  • Three Dimentional Understanding of Communicative Language Ability

    <以下は、JLTA Journal (2008) No. 11. pp. 77-95に掲載された私の同名論文の元になった原稿です> 2007/10/28 11:40-12:20 日言語テスト学会 口頭発表資料 (愛知学院大学) 言語コミュニケーション力の三次元的理解 柳瀬陽介(広島大学) 1 序論 言語コミュニケーション力の理解とは何か 序論では「言語コミュニケーション力」の理解がなぜ重要であるかを述べ、これまでの学術的な議論を踏まえて、この研究が解明する論点(研究の目的)とその解明をする際に採択するアプローチを述べる。 1.1 背景 第二言語教育の目的の一つに、「言語コミュニケーション力」(communicative language ability)(注1)が含まれることは異論のないところであろうが、その概念が何を示すのかについての合意は必ずしも明快であるとは言えない。ことに日の学

  • シュテンガー「時間の諸次元と力動性:システム論に対する現象学の批判」2009-07-09 - 呂律 / a mode distinction

    何もする気が出ないときの現象学。ロンバッハとルーマンの時間論の比較。 ゲオルク・シュテンガー(2008) 「時間の諸次元と力動性──システム論に対する現象学の批判」 [原文]/[山口一郎 抄訳] in 『フッサール研究』 第6号:特集「応用現象学の展開」 内的時間意識(フッサール) 現存在の時間性(ハイデガー) 時間の力動的生起──構造現象学(ロンバッハ)とシステム論(ルーマン) 第2回応用現象学会議*の記録。 http://www.let.osaka-u.ac.jp/~cpshama/care/pdf/2nd_Conference_Applied_Phenomenology.pdf またつまらぬものを読んでしまった。 著者の指摘のうちのいくつかは、限定つきでなら「正しい」とは思う。 たとえば、ルーマンは 「志向性」の働きを──そしてそれだけを──重視しすぎており、それどころか、志向性こそ

    シュテンガー「時間の諸次元と力動性:システム論に対する現象学の批判」2009-07-09 - 呂律 / a mode distinction
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    ishikawa-kz 2009/07/10
    「構成分析という課題)は、それ自体やはりすでに「社会分析」の重要な課題なのだから、その点からすれば、ルーマンの議論はやはり擁護しがたい。」
  • 「まぎわらしい」|梶井厚志 コトバの戦略的思考|ダイヤモンド・オンライン

    「まぎらわしい」ではない、「まぎわ・らしい」である。この「まぎわらしい」を「紛らわしい」と同じ意味に使う人がいるという指摘を見かけた(*1)。 たしかに音はまぎらわしいかもしれないが、背後の意味を考えれば、少なくとも書き言葉においてはまったくまぎれようがないように思う。半信半疑で、「まぎわらしい」をキーワードにインターネット検索を試みたところ、驚いたことに、これに該当するページが大量に見つかるのである。読者も試みられるがよい。 「まぎわらしい」を、まぎらわしく使うそれらの文章を読んでいると、キーボードの押しそこないによる文字の入力間違いではなく、書いている人が「まぎわらしい」を「まぎらわしい」と混同しているとすぐにわかる。なかには、「まぎわらしい」を変換しようとすると、変な漢字が出てくるのはなぜだろうと、ソフトウェアの性能を疑うかのような記述まであった。おそらくは日常生活において、「ま

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    ishikawa-kz 2009/06/21
    なかなかおもしろい経済学的エッセィ。言い間違いからそこに日常の連想を起点とした推論法を発見する。その思考法は欠点のみでなく大まかに全体像を捉えるマクロ経済学に通じると説く
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