大島龍穏(りゅうおん)(77)は横須賀の追浜界隈(おっぱまかいわい)では有名な僧侶である。元刑事という異色の経歴だからだ。 殺人など凶悪犯罪の刑事。銃を持つ銀行立てこもり犯に丸腰で突っ込んだこともある猛者だ。「そんなでホシがとれるか、バカ野郎」。毎日怒鳴り、留置場では容疑者と間違えられて身体検査されてしまう「がらっぱち」だった。 それが働き盛りの53歳で辞めた。平成12年だ。「坊さんに? 冗談だろ」。同僚は仰天した。
創価学会の池田大作名誉会長が死去した。95歳だった。 池田氏は、昭和35年に創価学会第3代会長に就任して以降、拡大路線を推し進め、学会を公称827万世帯まで信者を増やし、日本有数の巨大宗教団体に育て上げた。 それだけでなく、公明党を結成して政界に大きな影響を与え、日中友好に尽力するなど昭和・平成を代表する人物の一人だったのは間違いない。 一方、教団の拡大期には、「折伏(しゃくぶく)」と呼ばれた行き過ぎた信者獲得や、批判的な本を政治力を使って差し止めようとした「言論出版妨害事件」が社会問題となった。公明を通じて学会が「国立戒壇」を設立しようとしているのは、憲法が定める「政教分離」に反している、との強い批判も出た。 このため池田氏は、昭和45年に学会と公明を組織として切り離す「政教分離」を宣言し「国立戒壇」の創設も否定した。 野党から出発した公明は、平成5年に発足した細川護熙政権で、初めて政権
創価学会を国内有数の宗教団体に拡大させ、公明党を設立して政界にも影響を与えた創価学会の池田大作(いけだ・だいさく)名誉会長が15日、老衰のため東京都新宿区で死去した。95歳。東京都出身。 少年時代に第2次世界大戦を経験した。昭和22年、日蓮正宗の信徒団体だった創価学会に19歳で入会。戸田城聖第2代会長の下で激しい勧誘活動を展開した。 戸田氏の死後、35年に第3代会長に就任。海外布教も展開し50年に創価学会インタナショナル(SGI)を結成した。54年に学会の会長を退任し名誉会長となった。その後も影響力を保持し続けたが、近年は公の場に姿を見せることはほとんどなかった。 39年に公明党を結成した。しかし、政教分離の問題が取りざたされ、一線を画すようになったが、現在も創価学会は公明党の支持母体。学会の会員は日本で827万世帯、海外で280万人とされる。
平成29年8月15日、72回目の「終戦の日」を迎えた靖国神社。この日、首相も閣僚も誰一人として参拝に訪れなかった=東京都千代田区 (納冨康撮影)8月15日は日本人にとって特別な日である。それは、この日が「終戦の日」であるというだけではなく、ちょうどお盆にあたるからだ。お盆、つまり仏教でいう盂蘭盆会(うらぼんえ)は、祖霊信仰という日本の古い信仰と仏教の融合によるいかにも日本的な習俗である。お盆には死者の霊がそれぞれの家に戻ってくる。生者とのほんのわずかな魂の交流を終えて、8月16日までには死者は「あの世」に戻ってゆく。このわずかな期間、死者は生者とともに過ごし、生者は死者を偲ぶ。 京都大名誉教授の佐伯啓思氏「終戦の日」がお盆と重なることによって、われわれは、あの戦争で命を落とした幾百万にのぼる死者たちを偲び、改めて哀悼の意を表する。そして、死者の無念の魂に仮託して、あの戦争の意味を自らに問い
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