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ブックマーク / ameblo.jp/kokkoippan (2)

  • 『派遣村バッシングの死角 - 自分とは違う「溜め」のない人へダイレクトに突き刺さる痛みが見えない』

    すくらむ国家公務員一般労働組合(国公一般)の仲間のブログ★国公一般は正規でも非正規でも、ひとりでも入れるユニオンです。 雑誌『ロスジェネ』第2号(かもがわ出版) に、湯浅誠さん(反貧困ネットワーク事務局長)と浅尾大輔さん(作家・ロスジェネ編集長)の対談「生存/労働運動のリアリズムはどこにあるのか?」が掲載されています。 対談の中で、湯浅さんは、単にお金がないという「貧乏」と、反貧困ネットワークがなくしたいと思っている「貧困」とは違っていて、「貧困」とは、金銭的な「溜め」、人間関係の「溜め」、精神的な「溜め」が全体として失われていることだと指摘しています。そして、「溜め」について、次のように語っています。 湯浅 「溜め」というのは、ため池の「溜め」、あの字ですね。私が「溜め」という言葉で表現したかったものは、自分を包んでくれている「クッション」みたいなものだと思ってくれればいいです。それは目

    klov
    klov 2009/01/13
    「ため」の話。その総量は個人がつえかるリソースの範囲と、それが持つ時間的な射程の掛け合わせで決まる。
  • 『貧困の原因は「自己責任」でなく「社会的排除」~反貧困のための社会的連帯を』

    すくらむ国家公務員一般労働組合(国公一般)の仲間のブログ★国公一般は正規でも非正規でも、ひとりでも入れるユニオンです。 昨日紹介した東海林智さんのルポルタージュ『貧困の現場』(毎日新聞社)に掲載されている座談会「反貧困のための社会的連帯」(東海林さんと首都圏青年ユニオン書記長・河添誠さんとソルボンヌ大学・一橋大学研究員、貧困研究者のダヴィド・アントアヌ・マリナスさんの3名での座談会)の中で、「自己責任論」や「社会的連帯」について、とても興味深い話が展開されていますので要約して紹介します。 フランスでは、貧困問題の原因について、「自己責任」という言葉は使わず、「社会的排除」という言葉を使います。「社会から排除された状態として貧困があり、貧困は社会が強制するものだという認識の上に成立する言葉」(東海林さん談)なのです。 「社会的排除」という言葉を使うと、いい意味で当事者である貧困者の責任が薄く

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