■ オタクとファッションとアキバルール -ところで、最近は、オタクも普通の格好のオタクが増えましたよね。 寺尾「あれアキバにマスコミが来るからですよね。オタクの格好してると撮られちゃうんで。でも靴がスポルディングかニューバランスだったらオタクだって分かっちゃう(苦笑)」 -そうですよね。僕もニューバランスです(笑)。おしゃれしたかったらナイキとかアディダスとかプーマとか履くじゃないですか。 寺尾「でも、ニューバランスは安いし機能性抜群ですよね(笑)」
![アキバ王に聞く―オタクカルチャーと秋葉原の関係(後編)](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/2709c267173504ad41c579f3a0af2e1404ca3b80/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fimages.keizai.biz%2Fakiba_keizai%2Fcolumn%2F1198078356%2F1198138883.jpg)
■ オタクへの目覚め -そもそもオタクになるきっかけは何だったんですか? 寺尾「そうですね。昔からコミックは大好きだったんで、オタクになる素質はあったと思うんですけど、高校3年までは全然オタクじゃなかったんですよ。でも、高校2年の夏に、友達と一緒にオープンキャンパスついでに『ちょっと秋葉原寄ろう』って話になって、行ってみたら、だいぶ圧倒されまして…(笑)。その帰り際、たまたま、中学の頃仲良かった先輩に3年ぶりに出くわして、東京で大学生活をやっているということだったので『僕もたまに東京行くんで泊めてもらっていいですか?』って話をしたんです。後日、先輩の家に泊まりに行ったんですね。そしたら、部屋がものすごいオタクの部屋で(笑)。当時ブロッコリー全盛期だったから、部屋中ブロッコリーグッズだらけだし、オタクの家なので24時間アニメを見せられるしで『これは何だ!?』と思った反面、『意外とおもろいなぁ
ASCII.jp読者ならば秋葉原は「庭」みたいなもの。とはいえ、ここ数年間の秋葉原の変わりように驚嘆している人も多いはず。 一番変貌を遂げた場所の1つが、「秋葉原ダイビル」と「秋葉原UDX」の2棟の超高層ビルで構成される「秋葉原クロスフィールド」だろう(関連記事)。このビルのおかげで、秋葉原駅前の景観と人の動線がガラリ変わった。 今回、インタビューしたのは、この秋葉原クロスフィールドの仕掛人、妹尾堅一郎(せのおけんいちろう)氏だ。 妹尾氏は、現在、NPO産学連携推進機構理事長で、東京大学の国際・産学共同研究センター客員教授を勤めつつ、産官学の各団体と地元商店街や町会連合会と一緒に「秋葉原テクノタウン構想」を推進中。この数年間に渡る活動と、今後の方針についてまとめた「アキバをプロデュース」という新書が13日に発売された。 みんなのアキバをプロデュースした人は一体どんな人物なのか。妹尾氏のアキ
閉店した店舗のスタッフが、アキバで別のショップに移るのはめずらしくない。2007年2月に実店舗を閉めたワンネスの2階で、ユニークなジャンク品や中古品を販売していた「じゃんく屋わんねす」の店長・芳野氏も、現在はU&J Mac's plusの店長として店を切り盛りしている。 10代の頃から10年以上もアキバでPC関連事業に携わってきた芳野氏は、自作PCブームが起きたころから現在までの街の変化を肌で感じている。「小さなショップでも1日1000万円以上売れた」バブリーな時代を経験しながら、「1日100万円売り上げれば御の字」というPCパーツ市場の現状に、それでもなお“暗くはない”将来像を描いているという。複数の店舗を渡り歩いたベテランスタッフとして、自作PC市場の変遷と未来について語ってもらった。 2003年から04年が電気街の底だった PCパーツショップの閉店が相次ぐなかで、中古やアウトレット製
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