IT長者ポール・アレン氏による発見で「ほぼ間違いない」と認定され、脚光を浴びる旧日本海軍の戦艦「武蔵」。映画になったり“宇宙戦艦”になったりして有名な戦艦「大和」に比べて、あまり知られていない武蔵の短いけれども濃密な“生涯”を紹介しよう ■敵弾を一身に浴びた壮絶な最期! 歴史的な“発見”で注目を集める「武蔵(むさし)」とは、どのような戦艦だったのか。 武蔵は1938年3月、三菱重工業長崎造船所で起工され、40年11月に進水した。『帝国海軍 戦艦大全』(学研M文庫)の著者で軍事評論家の菊池征男氏が解説する。 「武蔵は1号艦の『大和(やまと)』と同じく“最高機密”で建造され、建造中の船体は棕櫚(しゅろ=ヤシの一種)を使った目隠しで覆われました。その不気味な姿を見た付近の住民に“魔物”と呼ばれたようです」 進水後も内外装の突貫工事が続けられ、42年8月5日にようやく就役する。だが、すでに日米の戦