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  • いじめをめぐる問題2 何故私は小山田圭吾氏のいじめの記事に怒らなかったのか | Firm Roots

    昨日の話の続きになるが、実は小山田圭吾氏の件の発言を私はリアルタイムで読んでいた人間なのである。しかし、当時感じていたのは怒りという感情ではなく、当惑という感情だった。こんなことを活字にしてもいいのか、という。 何故私は小山田氏の発言に怒らなかったのだろう? そういうことを考えてみることもある。考えられることの中で最も大きいのは、私自身がいじめに加担していなかったとは決して言えない学生生活を送っていたからであろう。恥ずかしい話をすると、私自身も積極的にいじめに関わっていたわけではないが見て見ぬふりをしていたことがある。もっと言ってしまえば、私はいじめる側の体験する旨味というものを知っているつもりである。 つまり、件の発言を読んで腹を立てなかったことは、実はそうした旨味を味わった側からこの記事を読んでしまったからではないか、と考える。だとしたら猛省に値する出来事である。私の中でいじめを見

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