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ブックマーク / watashinim.exblog.jp (28)

  • メモ29 | 私にも話させて

    「井上外相が辞職し、伊藤内閣が倒れ、黒田清隆の内閣成り、大隈重信が外務の任を襲うに及んで、これまで民党連合戦線にあった改進党は、態度を一変し、大隈の条約改正案を支持するに至った。旧自由党系は、反政府勢力の弱体化を補填する目的で、後藤象二郎を首領に担ぎ、いよいよ大同団結運動を広げ、右翼保守派までも抱擁した。後藤の背後には、自由民権派切っての急進的理論家中江兆民があった。大井憲太郎また恩赦によって出獄し、満々たる闘志をもって、大同協和会と並んで、欧化立憲論に反対し日主義を旨とした鳥尾小弥太の保守中正派、国粋保存を主唱した谷干城、陸羯南の新聞『日』、民権論を捨つること弊履の如しとした頭山満の玄洋社とその盟友佐々友房の熊紫溟会が肩を並べていた。このあまりにも無原則の共同戦線、一切の政治的立場の相違を棚上げして、ひたすらに非条約改正に集中した、その結果は、運動の拡大沸騰に伴って、逆に自由民権派

    メモ29 | 私にも話させて
    maangie
    maangie 2013/12/09
    井上馨。伊藤博文。黒田清隆。大隈重信。後藤象二郎。
  • 西谷修・五野井郁夫「デモは政治を開けるか」 | 私にも話させて

    『世界』臨時増刊号を拾い読みしていたら、五野井郁夫という人の以下の発言に遭遇して驚いた。 「近年のデモの参加者は無理をせず、行ける時に参加しています。また、官邸前の弁護団がよい例ですが、「接見弁護があるから今日は行けません」とか「30分だけ行けます」とかいうのもあります。ここが気にくわないから出て行く、だけれども戻って来られるという、やわらかな共同体。 実際、いいことか悪いことかすぐに判断はできませんが、憤晴らしで極右のデモにも行くけど、反貧困のデモにもコアメンバーとして参加するという人が出てきています。どちらも現代社会の犠牲者ではあるわけで、アイデンティティのクラスターが一つだけではなくなっていることは確かです。希望的観測ですが、そうなると世界の見方も複数性を持ってくるから変わるのかなと思います。」(西谷修・五野井郁夫「デモは政治を開けるか」『世界』臨時増刊、第841号、2013年2月

    西谷修・五野井郁夫「デモは政治を開けるか」 | 私にも話させて
    maangie
    maangie 2013/02/22
  • 「戦後社会」肯定と靖国公式参拝問題 | 私にも話させて

    安倍晋三の、岡崎久彦との対談を読んでいたら、興味深い発言に遭遇した。以下は、総理大臣の靖国参拝に関する安倍の意見である。 「A級戦犯が合祀をされているから、参拝してはだめだ、けしからん人間だと国が判断するというのは、きわめておかしなことです。例えば賀屋興宣氏も重光葵氏も両氏ともA級戦犯です。しかし彼らは赦免されて、政界に復帰します。賀屋さんは池田内閣の法務大臣、重光さんは鳩山内閣の外務大臣になって、国連に日が復帰したときの日本代表を務めました。そして重光さんは戦後、勲一等に叙せられています。批判する人たちは、そうした歴史をどうしようというのでしょうか。消すことはできません。 実際、戦後、国民の間から、1952年4月28日に発効した対日講和条約以降も服役しなければならない戦犯の早期釈放を求める声が高まり、日弁連が政府に提出した意見書が皮切りになって、全国から四千万人もの署名が集まります。

    「戦後社会」肯定と靖国公式参拝問題 | 私にも話させて
    maangie
    maangie 2013/02/21
    岡崎久彦。賀屋興宣。重光葵。岸信介。大平正芳。孫崎享。
  • 在日朝鮮人の歴史的経緯に基づいた権利を(も)強調すべき――朝鮮学校排除問題 | 私にも話させて

    朝鮮総連の高校無償化排除への日での反対論を見るにつけて、それらに一定の敬意は払いながらも憂慮せざるを得ないのは、有力な反対論のほとんどが、在日朝鮮人社会の形成の歴史的経緯・必然性に触れていない点である。反対論の主な論拠は、外国人の教育権の擁護、差別禁止といった、一般的な権利論であり、それら自体はもちろん重要な論点であるにしても、植民地主義の問題はほぼ全くといっていいほど触れられていない。日の任意の反対声明を、韓国の「真実と未来,国恥100年事業共同推進委員会声明」と比べてみれば、そのことは明らかであろう。 念のために言っておくが、私は、植民地主義の問題が触れられていないから駄目だ、と言っているのではない。私は、反対声明の表明等の行為については一定の敬意を払っているし、この問題を、外国人の一般的権利の侵害として捉えること自体は、もちろん間違っているわけではない。 だが、以下に述べるとおり

    在日朝鮮人の歴史的経緯に基づいた権利を(も)強調すべき――朝鮮学校排除問題 | 私にも話させて
  • @ProdigalSon_JPなる人物による私への誹謗中傷について(1) | 私にも話させて

    @ProdigalSon_JPというツイッターアカウントを持つ、「放蕩息子と青瓢箪」と名乗る人物が、私への誹謗中傷を行なっていたので、メールで問い合わせを行なった。公表されている情報によれば、この人物は、在日朝鮮人男性と結婚した日人女性とのことである。以下が、私が2月28日21時13分に、この人物のツイッタープロフィールで公開されているメールアドレスに送ったメールの全文である(一部のツイッターアカウント名を変えた。また、強調は引用者である。以下同じ。)。この人物の、はじめの二つの発言は、私を紹介する発言を引用(RT)した上での注釈である。 <件名:回答要求 「放蕩息子と青瓢箪」様 金光翔と申します。 さて、貴殿は、@ProdigalSon_JP とのツイッターアカウントの下、2012年2月27日に、私に関するいくつかの発言を行なっています。 「↓あああのキチガイさんか。悪いけど全然支援す

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    maangie
    maangie 2012/03/04
    ららら…。
  • 私にも話させて : なぜ過去の罪を「天皇制」のせいにして「日本人」を救わなかったのか

    gskim2000@gmail.com   金光翔と申します。韓国国籍の在日朝鮮人三世です。1995年のマスコミ報道はオウム真理教一色だった。そのとき浪人生だった私が、報道の中で一番衝撃を受けたのは、当時読んだオウムの憲法案(だったと思う)に、「「日」という国号は、天皇統治と切り離せないため、国号を「真理国」と改める」(大意)という条文があったことである。 「日」という国号云々は網野善彦あたりの影響だろうが、私が驚いたのは、この「日」と呼ばれる「国」土の上で展開される運動で、「日」とは別の「くに」をつくることを志向する構想が存在しうるし、存在したことである。 さて、西尾幹二は、加害の罪に関する戦後ドイツ歴史認識について、「日では賞賛されているが、ドイツ人は過去の罪をヒトラーとナチスに押し付けて、自分たちを救おうとしているのだ」(大意)とよく語っている。『マンガ嫌韓流』にも、有名

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    maangie 2012/02/06
    最近は、GHQが植民地支配のセオリーに従っただけ、とゆー気がしている。自信はない。
  • ちくま・イデオロギー(1) | 私にも話させて

    2ちゃんねらーやネット右翼の思想的教祖を、小林よしのりとする見方がある。北田暁大が確かそうだった。2ちゃんねらーを彼のように「政治的ロマン主義」と見る立場(私には馬鹿らしく思えるが)に立たず、単純に右翼的な人々と見る人たちも、2ちゃんねらーは小林よしのりや西部邁らの右派系文化人に洗脳された人々と見る傾向があるのではないか。 私は違う認識を持っている。非常に大雑把かつ図式的に言えば、むしろ、2ちゃんねるやネットの全体としての右翼的な傾向を作ったのは、竹田青嗣や加藤典洋といった、90年代に筑摩書房などの出版物で活躍した文化人の影響を強く受けたコテハンや、ネット上の書き手の存在である。 あくまでも私の印象であるが、数年前の2ちゃんねるは、ネット右翼ばかりというよりも、むしろ、左派知識人や市民運動の諸活動を「ルサンチマン」として嘲笑・否定しはするが、「右翼」との距離を強調するようなコテハンが、雑多

    ちくま・イデオロギー(1) | 私にも話させて
  • 朝鮮総連弾圧を批判する | 私にも話させて

    ここ数日の朝鮮総連への弾圧と、弾圧への批判がほとんど聞こえてこないことに、驚き、かつ呆れている。「メディアが沈黙している」だけではなく(むしろ弾圧を煽っているわけだが)、ネットにおいても事態はほとんど同じだ。 誰でも気づくように、これはサリン事件直後のオウム真理教と同じ扱いだ。オウムへの措置の是非はさておき、そもそも総連がサリン事件並みの社会への脅威を与えたのか、また、与えているのか。 今後、総連が日人を拉致する恐れがあるからなのか?そうではあるまい。また、拉致問題への総連の関与が疑わしいならば、「別件逮捕」のようなケチな手は取らず、その容疑で追求するべきだろう。 総連が北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)へ資金や物資を送ろうとしているからなのか?そもそも、総連が北朝鮮に送ること自体が否定されるべきではないと考えるが、現実にも、現在の徹底した対北朝鮮制裁の下では送ることは不可能だろう。まして

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    maangie
    maangie 2010/08/04
    「朝鮮学校は憧れの対象だった」
  • どの口が言えるのか?――佐藤優の朝鮮学校に対する「寛容」論 | 私にも話させて

    1. 久しぶりに爆笑させてもらった。以下の文章である。 「【佐藤優の眼光紙背】外国人地方参政権と高校無償化問題」 http://news.livedoor.com/article/detail/4624878/ 佐藤はここで、外国人地方参政権への反対、朝鮮学校を高校実質無償化の対象にすることへの賛成を述べている。「右」と「左」の主張を同時に打ち出し、ハッタリ的に一般論を述べることで正当化し、それを教養俗物が好きそうな用語や引用で補強するという手法自体は、いつものワンパターンだが、今回の「高校の実質的無償化に関しては、朝鮮高校を含めるべき」という主張は、よく言うよ、と呆れさせられたのだが、大変興味深いものである。 これが興味深いのは、もちろん、主張それ自体ではない。そうではなくて、かつてはこれと180度異なる主張を精力的に訴えていた佐藤が、なぜこのような主張をするに至ったかが興味深いのである

    どの口が言えるのか?――佐藤優の朝鮮学校に対する「寛容」論 | 私にも話させて
    maangie
    maangie 2010/03/10
    isbn:414091100X。中島岳志。萱野稔人。中井洽。漆間巌。和田春樹。宮台真司。川瀬貴也。
  • 論評:佐高信「佐藤優という思想」 ①――佐藤優を使うことの社会的悪影響という観点の欠落 | 私にも話させて

    『金曜日』がおかしくなっていることはかなり認知されつつあるようであり、部数も相当低下しているようであるから、もう『情況』のように放置しておこうかと思っていたところだった。 そこに現れたのが、最新号の佐高信の文章である。 佐高信「佐藤優という思想」 http://www.kinyobi.co.jp/backnum/data/fusokukei/data_fusokukei_kiji.php?no=630 これについては、用事でばたばたしているうちに小谷野敦に先を越されてしまった。 http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20090601 小谷野の言うように、佐高の一文はあまりにも支離滅裂であり、上の小谷野の批判でとりあえずは十分であるが、これは、注目すべき文章である。なぜならば、これが、『金曜日』が誌で佐藤優を使うことを弁明した、恐らく最初の文章だからである。

    論評:佐高信「佐藤優という思想」 ①――佐藤優を使うことの社会的悪影響という観点の欠落 | 私にも話させて
  • イデオロギーの終焉(上) | 私にも話させて

    1. 現在の言説状況は、要するに、イデオロギー論争の終焉、という言葉でまとめることができると思う。これは、マスコミ・ジャーナリズム・アカデミズムを問わず、そうである。大半のブロガーも、基的にはマスコミやアカデミズムの言説とあまり変わらないので、大まかにはこのように言えると思う。 何が言いたいかというと、以下の東郷和彦の主張が実現した、ということである。 「日外交は安保・歴史問題についての戦後60年の国内対立を乗り越えて、国民的コンセンサスを定着させる時期にきていると言わねばならない。」(東郷和彦『歴史と外交』講談社現代新書、2008年12月、18頁。強調は引用者、以下同じ) 「戦後、60年の漂流を続けてきた日歴史問題について、いまだに私たちをとらえている猛烈な左右対立を、「もうそろそろ終わりにしなくてはいけない」。 意見の違いは、最後まである。それは、徹底的に議論しなければいけない

    イデオロギーの終焉(上) | 私にも話させて
  • 『世界』2010年1月号と<佐藤優現象> | 私にも話させて

    1. 『世界』2010年1月号(特集・韓国併合100年――現代への問い)が発売された。単に掲載記事に異論があるというだけならば、雑誌それ自体まで取り上げる気も起きないのだが、今号はそのレベルにとどまらない特徴を持っていると思うので、いくつかの特徴を簡単に指摘しておく。 これは、言い換えれば、今号の『世界』は<佐藤優現象>との関連から論じるべき特徴が、如実に表れている、ということでもある。とはいえ、今号では佐藤優は登場していないので、よく事情がわからない読者は、「『世界』も佐藤優と手を切って、朝鮮植民地支配や戦後補償を扱うなど、真っ当なジャーナリズムに戻ろうとしているようだ」などと勘違いするだろう。以下、<佐藤優現象>との関連で論じるべき諸特徴を指摘する。 2. まず指摘しておきたいのは、今号の『世界』は、佐藤優起用についての編集部の状況認識と佐藤との共犯関係が、よく表れている号であろう、と

    『世界』2010年1月号と<佐藤優現象> | 私にも話させて
  • 「楽しくない」思想から「楽しい」思想へ | 私にも話させて

    ブックオフで105円で売っていたので、遅ればせながら『思想地図』創刊号(2008年4月刊)を買ってきたのだが、突っ込んでくれと言わんばかりの発言のオンパレードで笑ってしまった。刊行時に少し立ち読みして馬鹿馬鹿しさに放置していたが、こんなに面白かったとは。気が向いたときに、「一日一言」方式で取り上げることにしよう。 まずは第1回目である。「共同討議「国家・暴力・ナショナリズム」」(参加者は東浩紀・萱野稔人・北田暁大・白井聡・中島岳志。討議の日付は2008年1月22日)の白井聡の発言より(強調は引用者)。 「僕が思想について勉強を始めたのは、90年代後半です。で、いろいろと知識の摂取を始めると、入ってくるものの多くが左旋回したポストモダニズム思想だということになる。そんななかで、僕は漠たる不満を感じるようになってくるんですね。僕は当時、遅れてきたニューアカ少年的なところがあって、いわゆるニュー

    「楽しくない」思想から「楽しい」思想へ | 私にも話させて
    maangie
    maangie 2009/10/13
    東浩紀。萱野稔人。北田暁大。白井聡。中島岳志。本橋哲也。成田龍一。佐高信。
  • 『週刊文春』見出し「本当に怖い中国人」 | 私にも話させて

    当に怖い中国人 (1)ウイグル暴動「女子大生の首を切り木に吊るした」 (2)あなたの隣の中国人「一気に刃物」の恐怖 ――ハローワーク職員襲撃だけじゃない」 記事を読むと、(2)は、日国内の中国人による犯罪事例を取り上げている。 約1年前に、このブログで、『週刊朝日』による韓国人へのレイシズムそのものの見出しを3回にわたって取り上げた際に、2回目で、以下のように述べた。 「右派メディアは、キャッチコピーにおいては、「韓国」は罵倒しても、「韓国人」一般に罵倒表現を使う事例はあまり見かけない。民族差別だと言われないよう警戒しているのだろう。「リベラル」であるはずの朝日の方が、警戒心がないからこそ、こうした差別感情が垂れ流されたキャッチコピーを使うわけである。 朝日が使ったのだから、右派メディアにも、こうした「韓国人」への罵倒表現は「解禁」されてしまったということだ。今後、「朝日ですらあそこ

    『週刊文春』見出し「本当に怖い中国人」 | 私にも話させて
    maangie
    maangie 2009/08/15
    「無自覚的なレイシズムの温存」
  • 「反日上等」論議について(1) | 私にも話させて

    1. このところ、ネット上で、在特会への抗議デモにおける一部参加者の、「反日上等」というプラカードが論議を呼んでいる。こうした行動は、生命すら脅かされている外国人やその支持者にとっては、迷惑極まりないものだ、というのだ。 ネット(特に「はてな」)界隈の議論にはあまり関わらないことにしているのだが、この議論は大規模かつさすがに酷いと思っていたので、近々まとまったものを書こうと思っていた。だが、この件について論じようとすると、ものすごく基的なところから説明しなければならないので、面倒でかまけてしまっていた。 ところが、そのあたりも説明してくれている、大変よい文章が現れたので、私が長々と書く必要もなくなったようである。深海魚さんというブロガーの方のものだ。 http://sillyfish.blog2.fc2.com/blog-entry-723.html的なことは、上の文章でほぼ言い尽

    「反日上等」論議について(1) | 私にも話させて
  • 排外主義としての護憲論――森永卓郎 | 私にも話させて

    森永卓郎といえば、年収300万円生活を薦める高所得者の天下り官僚、非婚を薦める既婚者であり(大衆をナメきっているわけである)、彼のやっている「貧困ビジネス」に関しては、騙される方が悪いという感想しかないのだが、さすがに以下の発言は酷すぎる。 http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/o/25/index2.html 「人口減少時代を迎えて、移民を受け入れよと主張している人がいる。いわゆる、新自由主義の立場にたった人たちだ。 新自由主義というのは、評価の尺度を金に一化するという単純な発想から成り立っている。 その典型がホリエモンである。ライブドアの社長だったころの彼は、「社員がやめたら、またマーケットからとればいい」とうそぶいていた。 彼らには、一人一人の労働者の顔が思い浮かぶことはない。 彼らにとっては、鈴木さん、佐藤さん、田中さん……といった個人名はど

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    maangie 2009/07/11
    森永卓郎の矛盾。
  • 日本は右傾化しているのか、しているとすれば誰が進めているのか 1  日本は右傾化しているのか? | 私にも話させて

    我ながら大きく出たタイトルであるが、結局、<佐藤優現象>をはじめとして、私がこのブログで問題にしてきたテーマとそれへの(無)反応は、この問いに帰着するのではないかと思う。 もう少し問いを絞れば、安部政権崩壊(または2007年参議院選)後、日は右傾化しているのか、しているとすればその支持層はどういったものなのか、ということだ。 多分、日リベラル・左派のかなりの部分は、音では、「右傾化していない」と認識していると思う。格差社会を是正しようという声は保守の間でも強まっており、一時期に比べ、改憲の声も弱まっている。首相の靖国神社公式参拝も控えられている。田母神問題で見られたように、「大東亜戦争」を肯定する人物が政治的な重職に就くべきではないという見解は、保守層も含めた日のコンセンサスになっている・・・といった具合だ。 だが、こうした認識は、以下のような問いに当然逢着する。それでは、昨年見

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    maangie
    maangie 2009/07/11
  • 蘆溝橋事件の日に、何を考えているのか? | 私にも話させて

    佐高ファンのichigeki氏が、7月7日に開かれるという、「憲法行脚の会」主催のシンポジウムについて書いている。登壇者の一人は佐藤優である。 http://ameblo.jp/sataka/entry-10293694932.html http://ameblo.jp/sataka/entry-10283161759.html この件について、ichigeki氏は、私について、「佐藤さんを擁護しつづける佐高信さんにも批判をはじめられておられる」と記しているが、これは事実と異なる。「<佐藤優現象>批判」以来、私が批判の対象の主眼としてきたのは、佐藤優というよりも、佐藤優を重用するリベラル・左派であり、その中でも佐藤と最も強く結託してきた一人である佐高については、この検索結果からもわかるように、2007年11月以来、何度も批判してきている。 ところで、このシンポジウムの演題は、「蘆溝橋事件

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    maangie
    maangie 2009/07/08
    「汪兆銘(精衛)の南京国民政府も決して対日協力の傀儡政権ではなかった。中国の現実を踏まえた上で対日協力が日本の国益と考えた政治エリートによる政権であった」あー、そうとらえるのかー。
  • レイシスト的保護主義グループの成立(1) | 私にも話させて

    『週刊金曜日』が、右翼雑誌の『月刊日』と4月8日に共同集会を開いた。 http://www.kinyobi.co.jp/event/upload/0408_A4.pdf http://sankei.jp.msn.com/life/trend/090411/trd0904111054007-n1.htm この集会の開催については、かなり前からウェブ上でも話題になっていたから、このブログを見に来るような読者には知っている人も多いだろう。 私は、この件をここで取り上げると、以前の『金曜日』創刊15周年記念集会における「日の丸」ポスターのときのように、『金曜日』が及び腰になってしまう可能性がある(笑)ので、言及するのは『金曜日』誌で集会の報告が載るまで待つことにした。もう『金曜日』編集部はこういった、社会排外主義とでも言うべき方向に進む以外の可能性はないのだから、行き着くところまで早めに行って

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    maangie 2009/05/01
    雨宮処凛。佐高信。佐藤優。山崎行太郎。中島岳志。山口二郎。田中康夫。萱野稔人。ブリュノ・ゴルニシュ。国末憲人「ポピュリズムに蝕まれるフランス」isbn:479421457X。
  • リベラル・左派からの私の論文への批判について(1) | 私にも話させて

    私の論文「<佐藤優現象>批判」(『インパクション』第160号)に対して、リベラル・左派からの批判の声が一向に現れず、残念に思っていたのだが、ここにきてようやく出てきた。こうした批判を検討することを通じて、リベラル・左派の論理の問題点を追求し、私の論文の補足を行なうこととしたい(なお、字数制限で一度に全文アップできないので、それぞれの注は、(4)の末尾にまとめて掲載している)。 ここで取り上げるのは、ある匿名ブログの「大学4年生」(1980年生まれ)による、私の論文への批判である。こういう、いかにも『論座』あたりからお声がかかるのを待っているようなブログを採り上げてやるのは気がひけるのだが、それはともかく、批判の声を聞こう。 「一読後の感想として、この論文の言葉使い、その論理の運びからして、駒場のときの△○派のアジびらの論理を思い出した。悪の帝国ブッシュと追随する日政府、まではまあ良いのだ

    リベラル・左派からの私の論文への批判について(1) | 私にも話させて
    maangie
    maangie 2009/03/19
    4まで。