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イメージに関するmassunnkのブックマーク (4)

  • 「サブシンボリックな知能」と Doing with Images makes Symbols

    「環境知能」と言うとき,比較的欠けているなと思った視点は,身体や皮膚の感覚,あるいはシンボリックにいく前のサブシンボリックな知能なんです.どういう意味かというと,子供がおもちゃに対してインタラクトしているとき,そのおもちゃにどういう機能があるかなんていう表象を頭のなかにつくらなくても反射的に手を出しているわけです.あるいはそこにがあれば何となくページをめくっているとかね.そうした,ピアジェが言うところの,表象より前の段階の感覚運動知能みたいなものは,安全な言い方をすればそういう研究は将来必要となるでしょう,という言い方になるのですが,そんなことをいっているあいだに,近未来において粗暴なかたちで吹き出てくるんじゃないかなという気がしているんです.(pp.150-151)

  • http://sun.ap.teacup.com/voidphrenia/368.html

  •  言葉以上のもの - daily blogTUNED - 日々のことブログ仕様

    言葉は時には頼りないものです。 視覚的に提示するものがないと、言葉の持つ効力だけでは足りない時があります。 それは見知らぬ相手に何かを理解してもらう時とか、見知った人でも納得してもらう時とか… 情熱を持って言葉を並べてもそれらを信じ切れないと思いは誰にでもあるでしょう。 こうして何かしら文字に残しているわたしがそう思ってしまう瞬間に出会うことが多々ありますから。 形のおこされたものに言葉をのせる。それはお仕事にはどうしても必要になります。 家族や友人、愛しい人との間にも言葉以上のものを実は示していたりするんですよね。 心が動く、安らぐ、せつなくなる、そして会いたくなる。 そういのって言葉がどうのこうのじゃないんです。 イメージがすでに相手に対して持っているわけで、その相手の言葉に何かしらのイメージを持てる現象。 例えばブランドイメージ。 どこかの企業の名前や歌手名、ブランド名を聞くと、人は

     言葉以上のもの - daily blogTUNED - 日々のことブログ仕様
  • 傷のはなし - Double Line

    耳の掃除をし過ぎたのか、外耳炎になって膿が出てきたので病院にいく。病院にいって治療してきたはいいものの、その帰りに「下り」の段差があることが見えずに、足を踏み外しこけてしまった。これは「気づいていなかった・知覚できていなかった」のだろう。 こういった「くだり」の段差を、私は気をつけていなければならない。なぜかというと、視界を「立体的」に捉えることがなぜか難しいからだ。頭の中で「立体」を描くことはできるが、目の前にある視界、目に移る今現在のものが平面的であるから、たぶん「段差がある」と理解していてもその「高低差」がわかっていない。よくつまづいたり、妙なところでこけたり、頭上の障害物に気づかずにそのまま電柱にぶつかったり木にぶつかったりおでこからつっこんでしまったり。 「痛み」というのは実際には身体をどこかにぶつけたり、あたったりすることで痛みとして感じるものが通常「痛み」という言葉を聞いた時

    傷のはなし - Double Line
    massunnk
    massunnk 2007/08/04
    斎藤環の『文脈病』が参考になるのではないかと
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