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ブックマーク / double-line.hatenadiary.org (7)

  • ぼくらの - Double Line

    ぼくらの 1 (IKKI COMIX) 作者: 鬼頭莫宏出版社/メーカー: 小学館発売日: 2004/06/30メディア: コミック購入: 9人 クリック: 105回この商品を含むブログ (278件) を見るぼくらの 7 (IKKI COMIX) 作者: 鬼頭莫宏出版社/メーカー: 小学館発売日: 2007/07/30メディア: コミック購入: 8人 クリック: 25回この商品を含むブログ (128件) を見る操作や操縦の方面は、どうも自己コントロール感から考えてしまう。「ブギーポップは笑わない」を読んだときの「自動的」という部分とこれは符合する点があるような気もする。ただ、違うのは「自動的」が意思として持たない動作としての自動であることと、「ぼくらの」の「操縦」は「ブギーポップ」にある「自動的」と違い、”操縦の後に自動的なものがやってくる”というものにあるような気がする。原作にもあるよう

    ぼくらの - Double Line
  • エコー - Double Line

    最近、どうもエコーのような返事しか出なくなっている気がする。自分では、疲労しているかどうか、ということがよくわかっていないのかもしれない。 医師に「通常が抑うつ状態だったら、外からはそう見えても自分では気づかないですよね」と言ったことがある。そういうこと、と返された。自分では通常の状態だから、もっと悪くなったとしても、もともとが悪い場合気づきにくいということもあるのかもしれない。 仮に、常に離人状態であったとするなら、体の異常だけが残って意識は明瞭だから、体の不調と意識がまったく連動しない。しかも、自分ではそれに気づけない。気づけないから、誰かの言葉が「大丈夫?」という声だったとしてもたぶん何のことを言っているかわからない気がする。だから、今まで多分外からみた状態が何か「体」で反応して、それを察知した人がいたとしても、それは<私>ではなくて、<私>の入れ物を評価しているに過ぎなくなってしま

    エコー - Double Line
    massunnk
    massunnk 2007/08/06
    「通常が抑うつ状態だったら、外からはそう見えても自分では気づかないですよね」
  • 傷のはなし - Double Line

    耳の掃除をし過ぎたのか、外耳炎になって膿が出てきたので病院にいく。病院にいって治療してきたはいいものの、その帰りに「下り」の段差があることが見えずに、足を踏み外しこけてしまった。これは「気づいていなかった・知覚できていなかった」のだろう。 こういった「くだり」の段差を、私は気をつけていなければならない。なぜかというと、視界を「立体的」に捉えることがなぜか難しいからだ。頭の中で「立体」を描くことはできるが、目の前にある視界、目に移る今現在のものが平面的であるから、たぶん「段差がある」と理解していてもその「高低差」がわかっていない。よくつまづいたり、妙なところでこけたり、頭上の障害物に気づかずにそのまま電柱にぶつかったり木にぶつかったりおでこからつっこんでしまったり。 「痛み」というのは実際には身体をどこかにぶつけたり、あたったりすることで痛みとして感じるものが通常「痛み」という言葉を聞いた時

    傷のはなし - Double Line
    massunnk
    massunnk 2007/08/04
    斎藤環の『文脈病』が参考になるのではないかと
  • シンタグマティズム性による統合とメタ物語 - Double Line

    ゲーム的リアリズムの誕生~動物化するポストモダン2 (講談社現代新書) 作者: 東浩紀出版社/メーカー: 講談社発売日: 2007/03/16メディア: 新書購入: 34人 クリック: 461回この商品を含むブログ (462件) を見るやっと読めた。「ゲーム的リアリズム」は、私自身興味があった。 このようなメタ物語的な詐術は、作品を環境から孤立させ、物語と現実を対峙させる自然主義的批評では捉えることができない。そして、その働きを把握できなければ、キャラクター小説や美少女ゲームが、表面的には明らかに非現実的な物語しか語っていないにもかかわらず、なぜ今若い読者の実存的な投射の場所になってしまっているのか、その理由も理解することができない。『ひぐらしのなく頃に』のご都合主義的な物語のしたには、物語外の現実とつながった感情操作のメカニズムがあり、私たちはそこにこそ、作家の現実感や世界観、多少大げさ

    massunnk
    massunnk 2007/07/21
    「何かからの闘争/または逃走」
  • インテグラル - Double Line

    integral<インテグラル>とは日語で「積分」。面積を求める操作。 状況によっては、より高次の関数になることもあり、つまり、次元があがることがあると言える。作ではゲーム世界の次元から現実世界の次元への、その次元を超える操作に「インテグラル」という言葉をあてている。そしてこれが、我々が「インテグラル」に込めた想いである。 ところで、ゲームの中には一つ、特徴がある。 「やり直し」である。 なかなかクリアできず、なんども繰り返しプレイすることで、解決法が見つかり次のステップへすすむことができるという仕掛けである。それは、小説のページをめくること、映画のコマを追うこととは違い、開発者が「フラグ管理」により意図的に仕掛けることが出来るルールである。 このルールは通常、隠蔽されていて、ただのゲームバランスとして扱われるものだが、作ではこの仕掛けにストーリー、デザイン、演出、操作を絡ませ、「自

    インテグラル - Double Line
    massunnk
    massunnk 2007/07/04
    まさに「ゲーム的リアリズム」のことじゃないか
  • Double Line - 言葉の生成/価値判断

    コミュニケーション/t時点の認知論 仮に「空気」が場そのものから感情を抽出したものとするなら、「空気」はそれ自体を知覚し行為した当人にしか知りえない個人差を伴った感情の喚起なのだろうと考えている。そこから、さまざまな価値判断による「空気」が動いていき、ログとして残っていく。 「価値判断」を伴った言葉の問題が、仮に受け取る側を重視した問題なのであれば、それは「言葉を放った側の問題」という括りではなく「言葉を受けた側の問題」となる。少なくとも放った側が「言葉を放った/放っていない」という認識にかかわらず諸問題は発生する。*1 その上で「価値判断」を定義するならば、他者からの可変性や介入が存在する上、主観的評価としての言葉であれば、やはり明確な定義で言葉を明確な形で使用できるわけではない。「言葉を受けた」と感じるからこそ言葉が浮き上がってくるのであって、そうした言葉でボーダーラインの線引きが定義

    Double Line - 言葉の生成/価値判断
  • 記述の限界 - Double Line

    思いのままに書いていると、当然解釈や誤読が生じる。その解釈がある意味救いでもあることを私は知っているが、それに対して否定している、ということを自分自身述べていることを知らないまま、否定になってしまっていることがある、らしい。「理論」と「自分の世界観に対しての呟き」を一緒にしてはいけないとは思いつつ、癖で、小説のノリで書いてしまうことがある。「記述」にしても「形式」が必要。小説にも三人称、一人称があるけれども、三人称と一人称を一緒にすると混乱が起こるのと一緒だろう。私はどうもこの混乱の気がある。「〜と思った」と書くのもバランスを崩すとか、そうした癖が以前にはあったことが(最近はできるかぎり気をつけるようにはしているけれども)まだ残っているのだろう。 私自身「何が原因なのか」ということ自体が分かってないことがある。この認識の限界で対話のい違いがある、ということは理解している。二次元平面しか捉

    記述の限界 - Double Line
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