ナルシシズムの発露とは別の、分析的な「本人による議論」が必要だ。語ったり書いたりすること、それを事後的に分析することは、硬直したナルシシズムの制度から自由になることだし、そうでなければ言葉を尽くす意味がない。現状では、「語れば語るほど独りよがりになる」というタイプばかりに見える。 「状況には課題がある。ナルシシズムにかまけている場合ではない」という言い方は、それ自体が(課題の制度を硬直させたままの)ナルシシズムであり得る。自分の組み込まれた環境や、自分が生きている意識の制度への分析を欠いたまま、「やるべきこと」に没頭することでアリバイを得る。一つの分析スタイルは、それ自体が硬直した制度であり得る。その分析遂行の動機付けは、あんがいナルシシズムや私利私欲でしかない。 ナルシシズムしか許されない場は本当に苦しい。その苦しさを単に本人のせいにしたり、「やるべきことをやれ」とのみ言うのではなく、無
![2007-09-23](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/06a15c64ba0ceec233d86d71001ebb29a9dcbf5d/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fcdn.blog.st-hatena.com%2Fimages%2Ftheme%2Fog-image-1500.png)