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仲俣に関するmassunnkのブックマーク (2)

  • 書き込みの系譜

    共有地としての言葉―仲俣暁生 ※inflorescencia=inf.  仲俣暁生氏=仲俣 ced氏に関しては雑記帳をご覧ください。 仲俣 だけど、そう考えると紙のだって、昔は似たようなものだったんですよね。まだネットがない時代、とくに書物の黄金時代というか、「消費財」化が進む前のの方が、いまみたいに消費財化が進んだ後のよりも、おそらく余白の書き込みっていうのが多かったと思うんですよ。に線引いたり、何か自分の意見を書いたり。太い傍線を引いて、欄外に「断じて否」とか(笑)。 inf. はははは! 仲俣 あれってブログのコメントと一緒ですよね。「この著者はこう言っているが、俺には許せん」という。いまも古屋に行くと、たまにありますよね、昔の人がたくさん書き込みをしたが。でも今は、というのは要らなくなったらブックオフに売るものになっちゃったから、書き込みされない。というのはそこに書

  • 仲俣さんのインタビュー第3部を公開しました - 半可思惟

    仲俣暁生(id:solar)さんのインタビューの第3部を公開します。新しく公開したのは以下の記事です。 ブログは「引用の束」 書籍の全体性と相互参照性 第3部ではブログの特性とそれによるテキスト流通量の変化、そしてシステムの受信機としてのについて語っていただいています。たとえばブログは「引用の束」では テキストが二次利用されて流通してくっていうことは、これまで紙の世界ではあんまりなかったと思うんです。 学者の世界の場合は、ひとの論文を引用するのは当たり前だし、評論や書評でも引用されるけど、ごく普通の人にとっては、を引用するって経験はほとんどなかったと思うんです。 ブログは「引用の束」でしょう。意識してバラ撒かなくても、公開の「場」に出してけば勝手にリンクやトラックバックされて、引用し、引用されあうことになる。 書籍の全体性と相互参照性では たとえばテレビを考えてみても、自分の家にあるテ

    仲俣さんのインタビュー第3部を公開しました - 半可思惟
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