ナルシシズムの発露とは別の、分析的な「本人による議論」が必要だ。語ったり書いたりすること、それを事後的に分析することは、硬直したナルシシズムの制度から自由になることだし、そうでなければ言葉を尽くす意味がない。現状では、「語れば語るほど独りよがりになる」というタイプばかりに見える。 「状況には課題がある。ナルシシズムにかまけている場合ではない」という言い方は、それ自体が(課題の制度を硬直させたままの)ナルシシズムであり得る。自分の組み込まれた環境や、自分が生きている意識の制度への分析を欠いたまま、「やるべきこと」に没頭することでアリバイを得る。一つの分析スタイルは、それ自体が硬直した制度であり得る。その分析遂行の動機付けは、あんがいナルシシズムや私利私欲でしかない。 ナルシシズムしか許されない場は本当に苦しい。その苦しさを単に本人のせいにしたり、「やるべきことをやれ」とのみ言うのではなく、無
『新潮 2007年 10月号 [雑誌]』掲載。 私は、虚構作品をそれ自体として楽しむ習慣がなく、「自分がものを作るためのヒント」が欲しくて読んだ。 読んでよかったし、今後も何度か立ち戻るつもり。 以下は、初読後のメモ。 【以下、ネタバレ注意】 (※映画『マトリックス [UMD]』の内容も一部記述されます) 続きを読む
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