遅くなりましたが年始の挨拶を申し上げます。 2005年は国際物理年、2008年は国際惑星地球年ときて、今年2009年は国際天文年だそうだ。 今から400年前の1609年、イタリアの天文学者ガリレオ・ガリレイは自作の天体望遠鏡による世界初の天体観測を行った。 現代の天文学において天体望遠鏡が担っている役割の重さを考えるだけでも、この年がどれほどの重量を帯びているか容易に理解できることだろう。まさに、1609年は天文学の歴史をまっぷたつに切断する大ナタであった。 天体観測の歴史は記録に残っているものだけで3万年前の洞窟*1、文明のはるか以前の氷河期までさかのぼる。それから1609年にいたるまでの数万年間、暦法や航海術あるいは占術・宗教儀礼といった様々な用途で天体観測は行われてきた。 しかし、それらはもっぱら人間の裸眼視力に頼ったものであった。原動力の歴史でいうなら、水車や家畜どころかテコや車輪
キーワードは公私混同だ。 先日のインターネットテレビの対談でも話したが(今月サイゾーに掲載予定)、公私混同が悪い、といったのが、信用崩壊の始まりだ。 公として、散々リスクをとったビジネスをしておいて、破綻したら、私の部分は守る。株式会社、有限会社、というシステムがそうなっているのだが、それでは信用できない。 金融は有限会社でなかった。イギリスのロイズは無限責任を守り続けたところが誇りであったし、投資銀行はパートナーシップであり、まっとうなファンドは今でもパートナーシップだ。 欧米の金融ですら、有限責任は無責任という認識が、ついこの間まであったのだから、日本がなぜ、公私混同、ビジネスライクに、などという思想に汚染されてしまったのか。 中小企業の個人保証はつらい。しかし、上場すれば外れる、というのもおかしな話だ。それなら、公開企業のガバナンスはがちがちにしなければならない。 麻生首相が、信頼さ
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