下記の『ユリイカ』対談で滝本竜彦さんは、ケータイ小説というのはパチンコにはまるようなもので、いわば「自由からの逃走」なんだと言っています。自意識をあえてリセットして、無意識のレベルに没入させるのがケータイ小説だという話です。ちょうど僕も、今回の評論では当初ケータイ小説とライトノベル(米澤氏の小説)をからめて書こうとしていたので、たいへん興味深く読みました。それは滝本さんの主張とも似ています。ただ、(どれだけ同意を得られるかはわかりませんが)もう少しひねったことを考えていました。 現代の富のシステムが、アクセスの量を中心に組織されつつあることはよく指摘されます。一方にコンテンツを提供するサプライヤーがいて、他方にそのコンテンツを利用するユーザーがおり、そしてできるだけ多くのユーザーのアクセスを集めたサプライヤーが富の勝者となるという話です(たとえば、ジェレミー・リフキンの『エイジ・オブ・ア