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ブックマーク / blog.goo.ne.jp/superflat (8)

  • ゼロアカ道場の廣田周作 - SUPER FLAT 2

    非ファルス的にもっこりするものを肯定せよ!(神の性的不器用あるいはその性的悪戯に由来するもの達について) >「東浩紀のゼロアカ道場」の「ゼロ」は、むろん「ゼロ年代」の意味です。しかし、そこには、主催者自身も気がつかなかったけれど、もうひとつの意味があったのかもしれません。ゼロ年代のアカデミズムではなく、アカデミズムを「ゼロ」にしてしまう、リセットしてしまうという悪意が。そして、その隠された悪意を、門下生や道場破りのほうがむしろ敏感に感じ取っていたのかもしれません。ぼくはこの四ヶ月のあいだ、門下生や道場破りが、批評の尊厳を完膚なきまでに解体し、ネタにし、地に落として辱めているすがたを眺めながら、ずっとそんなことを考えていました。(東浩紀ゼロアカ543ページより) そしてその悪意は、第六関門に至ってもなお消えることはなかった。道場主の東浩紀からすれば、まさか自分が通した第五関門の合格者の中に

    ゼロアカ道場の廣田周作 - SUPER FLAT 2
  • 禁じられた国のロック - SUPER FLAT 2

    あの天安門事件より5年くらい前の中国・広東省に「龍(ドラゴンズ)」という名のロックバンドが存在し、当局の目を逃れて地下演奏活動を続けていた。フランスの音楽ジャーナリスト、マルク・ブーレが香港でその噂を聞きつけ、現地で彼らの演奏を極秘に録音する。持ち出されたテープはレコード化され、「禁じられた国のロック」というふれこみで発売された。日でも82年に『龍革命』というタイトルでポリドールから発売され、当時の音楽好事家の関心を惹いたようである。バンドのメンバーの後の消息は不明であり、当局に捕まって矯正施設に送られたか国外追放、あるいは死刑になったという説もある。もちろん、すべてはその録音テープをレコード会社に高額で売りつけたあとに姿をくらませた(爆)というブーレによる作り話である可能性が高いわけだが、しかし録音された演奏はそれにしても妙にリアルなのである。もしかして彼らドラゴンズは実在し、ほんとう

    禁じられた国のロック - SUPER FLAT 2
    massunnk
    massunnk 2009/04/14
    たしかに妙なリアリティがある。すごいサウンドw
  • ふんぞりかえっているのは誰か - SUPER FLAT 2

    村上隆が日の有名批評家を挑発している。「フランスで勝負できもしねえくせして、日でふんぞりかえっているんじゃねえよ」と。しかし、それが「勝負」であるかどうかはともかく、たとえば『「歴史の終わり」を越えて』(中公文庫)を読んでも分かるとおり、浅田彰はフランスの思想家たちとガチに対話し、しかも「御説拝聴ではなくて、しっかり議論して、むしろ押している(福田和也の解説より)」のである。そして、それでいてつねに「私のことなどどうでもいい」とすこぶる謙虚で、およそ「ふんぞりかえっている」ようには見えない。むしろ「ふんぞりかえっている」のは村上隆の方であり、誰がどう見たって「いかがわしい」のも村上隆の方である。おそらく村上隆が「世界で勝っても日では負けた」(人談)のは、日人の批評技術が、ある部分で世界的に勝っているからである。実際、日の批評家がフランスの批評家と「勝負」しても負けるとは思えない

    ふんぞりかえっているのは誰か - SUPER FLAT 2
  • ゼロアカ道場2 - SUPER FLAT 2

    非ファルス的にもっこりするものを肯定せよ!(神の性的不器用あるいはその性的悪戯に由来するもの達について) >大学に入ってすぐくらいの頃、日画の業界があまりにもくだらないことに憤って、平山郁夫氏に「先生、芸術って何なんですか」と子供じみた質問をしたことがありました。その時の僕は「こんなにくだらないところへ来るために俺は2年間も浪人したのか」と思うといたたまれなくて切実な叫びをあげてしまった訳です。平山郁夫先生は「君も若いからね!」と言いましたが、僕は「それは教育ではない」と思った訳です。今この話をするのは、そういう批判をしようと思うからではなく、日の小中学校も高校も、教育の現場全てが同じような体制だと思ったからです。そうであったがゆえに、それを反面教師に東京芸大に在籍した11年間の特に後半は「美術」とか「芸術」とはどういうことかと一生懸命勉強して、博士号を取得するところまで意地でやりまし

    ゼロアカ道場2 - SUPER FLAT 2
  • ゼロアカ道場 - SUPER FLAT 2

    「誤状況論(文学環境論集L 498ページ)」で見せた東浩紀の「批評空間」へのすさまじい粘着ぶりは、しかし実は浅田彰や柄谷行人へのある「信頼」に負っている。それは、彼らだけは決してボケたりしないだろう、いつまでもしっかりとした知識人でいてくれるだろう、という信頼だ。しかし彼らも人間なのだから、そんな信頼はまったく根拠のないものだ。アルツハイマー病の浅田彰や、老人性痴呆症の柄谷行人など想像もつかないが、生身の人間である以上ありうるのである。東浩紀は、そんな恐怖――もはや郵便的不安を超えた途方もない恐怖――にひそかに怯えながら、いままで批評をやってきたのである。しかしゼロアカの道場生たちは、道場主の東浩紀が、たとえばとつぜん深刻な失語症を患ってずっと黙ったままになるなんて想像したことないだろう。そんな別れがやってくるなんて夢にも思ったことないだろう。しかし批評というのは、たぶんそのような「さよう

    ゼロアカ道場 - SUPER FLAT 2
    massunnk
    massunnk 2009/03/19
    「しかし批評というのは、たぶんそのような「さようなら」を意識することから始まるのではないだろうか」
  • マラルメとニコニコ動画 - SUPER FLAT 2

    250年前にブログ書いてたというルソーも凄いが、100年前にニコ動やってたマラルメもハンパないと思う。マラルメの『骰子一擲』って、どう見たってニコ動のコメントだろ。あのコメントの流れにそっくりなんだよ。読者を「ゲスト」って呼んでたらしいし。やっぱ先人たちのやることはすげーや。

    マラルメとニコニコ動画 - SUPER FLAT 2
    massunnk
    massunnk 2009/03/18
    たしかに似てるかも
  • やる奴とやらない奴 - SUPER FLAT 2

    「いつの時代にも、やる奴はやる。やらない奴はやらない」。言われてみればそうだよな。やるかやらないかは自分で決めることだ。私も来年からは(つまり明日からは)批評家として「やる」つもりだ。なにしろを書かねばならない。まずは紙の上に、何かしらのアートの統合理論を自分なりに構築してみるつもりだ。ウェブ日記とか2ちゃんねるといった「掃き溜め」はもうたくさんだ。あんなのは、やらない奴らがやらない為の逃げ口実を都合よく言い合っているだけだ。やらない奴には何を言ってもだめだろう。

    やる奴とやらない奴 - SUPER FLAT 2
    massunnk
    massunnk 2009/01/06
    矢沢かっこよす/楽しみ
  • 三鷹天命反転住宅 - SUPER FLAT 2

    これから私が言うことは、もしかしたら古谷利裕の「セザンヌと村上隆を同時に観る」という馬鹿げた妄想以上に狂ったことなのかもしれない。おそらく私はそれで読者の多くを失うことになるだろうし、自らの批評家生命を絶つことにもなりかねないのである。しかしそれでも言っておかねばならないのだ。私には、三鷹天命反転住宅とでじこが同じものに見える、のである。かなり前からうすうす気がついていたわけだが、ついにフラグが立ったのは、以下の斉藤環の一文を読んだときである。 >インタビューにおけるリンチは、あまり多くを語らない。寡黙なのではなくて、当に言葉が貧しいのだ。一見物静かで常識的な大人にもみえるこの映画監督が、家の中では魚やトリを分解して「魚キット」などを作っては喜んでいる事実は、何を意味するのだろう。(斉藤環著『文学の断層』序文13ページより抜粋) この「魚キット」という言葉を目にしたとき、私は自分の頭の中

    三鷹天命反転住宅 - SUPER FLAT 2
    massunnk
    massunnk 2009/01/04
    何かを受信
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