非ファルス的にもっこりするものを肯定せよ!(神の性的不器用あるいはその性的悪戯に由来するもの達について) >「東浩紀のゼロアカ道場」の「ゼロ」は、むろん「ゼロ年代」の意味です。しかし、そこには、主催者自身も気がつかなかったけれど、もうひとつの意味があったのかもしれません。ゼロ年代のアカデミズムではなく、アカデミズムを「ゼロ」にしてしまう、リセットしてしまうという悪意が。そして、その隠された悪意を、門下生や道場破りのほうがむしろ敏感に感じ取っていたのかもしれません。ぼくはこの四ヶ月のあいだ、門下生や道場破りが、批評の尊厳を完膚なきまでに解体し、ネタにし、地に落として辱めているすがたを眺めながら、ずっとそんなことを考えていました。(東浩紀ゼロアカ本543ページより) そしてその悪意は、第六関門に至ってもなお消えることはなかった。道場主の東浩紀からすれば、まさか自分が通した第五関門の合格者の中に
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