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人権と性産業に関するmujinのブックマーク (1)

  • 報知新聞記事に見る1931年当時の公娼制度に対する見方 - 誰かの妄想・はてなブログ版

    Apemanさんが、 鹿児島県会の廃娼決議が公娼制を「人身売買」「奴隷制度」と非難していたことを梁澄子氏が紹介したところ、会場から「ホォ……」という大きなリアクションが起きた http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20120924/p1 と紹介していましたので、これに類する事例の紹介をば。 1931年4月5日付けの報知新聞に「国際信義と公娼廃止」と題した高島米峰氏の記事があります*1。 日帝国は、最初、この条約(婦人児童の売買禁止に関する条約)に加盟しながら、しかも、二十一歳という年齢の制限について、留保を求めて調印したのであった。それは今でも現に行われて居る、「娼妓取締規則」には、娼妓の年齢が、十八歳以上と規定してあるがためであったことはいうまでもない。しかし、その年齢留保を、文明国としての汚辱であるとして、当時、官民有志の間に、速にこれを撤廃すべしという主張横溢し

    報知新聞記事に見る1931年当時の公娼制度に対する見方 - 誰かの妄想・はてなブログ版
    mujin
    mujin 2012/10/03
    日本政府が人権がらみの国際条約に「留保」を付けたり、批准加盟しながら実現しようともしないのは、戦前からの伝統なんだな。
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