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原爆に関するmujinのブックマーク (5)

  • なぜアメリカは「原爆投下は正しい」と言い張るのか

    広島は昨日、原爆投下から67年の「原爆の日」を迎えた。一瞬で14万人もの尊い命を奪ったわけだが、なぜアメリカは「原爆投下は正しい」といい続けるのだろうか。その背景にある、アメリカの“論理”に迫ってみた。 窪田順生氏のプロフィール: 1974年生まれ、学習院大学文学部卒業。在学中から、テレビ情報番組の制作に携わり、『フライデー』の取材記者として3年間活動。その後、朝日新聞、漫画誌編集長、実話紙編集長などを経て、現在はノンフィクションライターとして週刊誌や月刊誌でルポを発表するかたわらで、報道対策アドバイザーとしても活動している。『14階段――検証 新潟少女9年2カ月監禁事件』(小学館)で第12回小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。近著に『死体の経済学』(小学館101新書)、『スピンドクター “モミ消しのプロ”が駆使する「情報操作」の技術』(講談社α文庫)がある。 広島は昨日、67回目の「

    なぜアメリカは「原爆投下は正しい」と言い張るのか
    mujin
    mujin 2012/08/12
    また窪田か。40万人って数字は早くも極東裁判で出ていた最も古い数字の一つなのだが。無知なのは仕方ないけど、せめて無知を自覚して黙っててくんないかな。
  • 【広島原爆忌】張本勲さん、怒りの始球式「知らぬ若者…最後の世代責務」 阪神戦ピースナイター - MSN産経ニュース

    プロ野球を通じて、恒久平和や核兵器廃絶を訴えるイベント「ピースナイター2012」が5日、マツダスタジアム(広島市南区)の広島-阪神戦であり、被爆体験のある元プロ野球選手、張勲さん(72)が始球式を務めた。 5歳の時に被爆した張さんは「被爆者は差別されてきた」との思いから公表を控えてきたが、数年前に「原爆の落ちた場所を知らない」とテレビ番組で発言した若者に怒りを覚え、被爆体験を語り始めた。 張さんはこの日、「私たちは最後のメッセンジャー。野球を通じて訴えていきたい」との思いを込めて始球式に臨んだ。 一方、5日夜は、原爆ドーム前を流れる元安川(同市中区)で、市民グループが東日大震災被災者への励ましを込めて「生きろ」などの文字を川面に投影。訪れた国内外の人たちが見入った。

  • 「黒い雨」に関する調査資料の存在、明らかに - Apeman’s diary

    原爆傷害調査委員会が1950年代に広島・長崎の被爆者を対象に行なった調査で、「黒い雨」に遭遇したと回答した約1万3000人分のデータを、原爆傷害調査委員会の後身である放射線影響研究所が保有していたことを、各社が伝えています。 朝日新聞や毎日新聞が力点を置いて伝えているのは次のような部分です。 保険医協会によると、先月下旬に放影研から資料を入手。約1万3千人のうち約800人が長崎分で、それぞれ黒い雨に遭った地点を分析した。これまで知られていた西山地区のほか、爆心地から南に約10キロの旧香焼村(現長崎市香焼町)、同約8キロ西の旧式見村(現同市式見町)でも黒い雨に遭ったとする回答があった。 (http://www.asahi.com/national/update/1121/SEB201111210085.html)(魚拓) データには、爆心地から約10キロ南の香焼島(現・長崎市香焼町)や約8キ

    「黒い雨」に関する調査資料の存在、明らかに - Apeman’s diary
    mujin
    mujin 2011/11/22
    放射線影響研究所が放射性物質の拡散状況を証拠づけるデータを何年間も隠蔽しつづけてきたことが発覚したとのこと。
  • 東海村臨界ヒバク事故4周年東京圏集会・肥田舜太郎さん「58年間ヒバクシャを診てきた」

    2003年9月30日 東海村臨界被曝事故4周年・東京圏集会 (東海村JCO臨界被曝事故4周年東京圏行動実行委員会主催) 58年間ヒバクシャを診てきた アメリカと日が隠していること 肥田 舜太郎さん (医師、広島で原爆にヒバク、映画「ヒバクシャ」(リンク)に登場) どうも皆さま、初めてお目にかかります。肥田舜太郎という内科の医者です。医者といっても、1917年生まれで今86歳ですからもう古ぼけた医者なんですけれども、偶然ですけれども、私、広島の陸軍病院で軍医として働いていてヒバクをします。それからヒバクシャと縁が切れずに、ずっとヒバクシャにかかわった仕事をしてまいりました。そして自分でこの58年間、広島でヒバクをした人間がどういうふうにして死んでいくかということをずっと見届けてきました。まだ今でも死んでいます。 で、世界、あるいは皆さんもそうですが、広島・長崎の原爆が人間に何を

  • 被爆者講演会:市民涙ぐむ ローマに「広島・長崎通り」 - 毎日jp(毎日新聞)

    ローマ市庁舎で10日午後、長崎市での14歳の時の被爆体験を語る西岡洋さん(左から2人目)と、熱心に耳を傾ける市議たち=藤原章生撮影 【ローマ藤原章生】NGO「ピースボート」主催の原爆被爆者の講演会が10日、ローマ市庁舎で開かれ、生々しい証言に聴衆のイタリア市民は涙ぐんで聴き入った。また、14年前から8月6日にローマで原爆式典を開いてきた民主党のデルカ・ローマ市議(55)はオバマ米大統領へのノーベル平和賞授賞に触れ、「我々も核廃絶を願い、ローマに『ヒロシマナガサキ通り』を設ける」と宣言した。 通りの場所は未定だが、設置法案が今年の議会で賛成多数で可決されたという。 会には広島と長崎の被爆者10人が出席し、西岡洋さん(78)が長崎市での14歳の時の体験を語った。被爆後、死にかけた人から「水を」と求められても、「私の水筒に伸ばされる手を振り払い、水をあげれば私の水がなくなる」と逃げ出したこと

    mujin
    mujin 2009/10/12
    ローマ市内に「広島・長崎通り」を設けることが決定。被爆者証言にローマ市民が涙。
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