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2010年12月26日のブックマーク (7件)

  • もちつけblog(仮)、、、の跡地(はてなダイアリーに移転。) 暴力装置が抱いた欲望 -武装組織が台頭した諸事情- 【続・ワイマール共和国内部の武装組織について】

    前記事より続き。 ■なんで武装組織ばっかだったんだよ!■ ここで一点、疑問に思われる方が、おられるかもしれません。なぜ、ワイマール共和国は、武装勢力だらけになったか。 詳細は分かりませんが、ドイツ義勇軍(フライコール)の存在が大きかっただろうことは間違いありません(以下、Wikipediaドイツ義勇軍」の項目参照)。 ドイツ義勇軍というのは、第二次大戦後にドイツの復員兵が作った民兵組織のこと(総称)です。 「多くのドイツ退役軍人は市民生活に馴染むことができず、軍事組織の中に安定を求めて義勇軍に入隊」します。 そんな「復員兵の多くは彼らの目から見て『突然起きた、どう見ても不可解な敗戦』とその後の社会の混乱に憤りを感じていた。彼等は、その憤懣を晴らすために入隊し、混乱の元凶と思われた共産主義者を鎮圧」したわけです。共産主義者が、敗戦のスケープ・ゴートとなります。 しかも重要なことに、「彼らは

  • 「被疑者の不起訴を求める意見書(2)」(萩尾健太弁護士) - 「2010.12.4 黒い彗星★救援会」跡地

    12月21日、弁護士による「被疑者(黒い彗星)の不起訴を求める意見書(2)」が、再度、東京地検公安部検事に提出されました。意見書は次のように結ばれています。 以上の通り、被疑者は現在、名誉を著しく毀損され、プライバシーを侵害されているのみならず、右翼団体によって被疑者人の学業や関係者の業務を妨害され、ひいては被疑者の身体にまで危険が及びかねない状態にある。 その危険を回避し、無実の被疑者の権利を回復するためにも、被疑者が全く違法行為をなしていない、ということを前提とした不起訴処分をなすべきである。 それが、法秩序の守り手であり、公益の代表者たる検察官の責務であることは、当職が申し上げるまでもないであろうが、念のため付言する次第である。 以下にその全文を掲載します。 (掲載にあたっては2次被害予防の配慮をしてます) contents 被疑者の不起訴を求める意見書(2) 意 見 の 趣 旨

    「被疑者の不起訴を求める意見書(2)」(萩尾健太弁護士) - 「2010.12.4 黒い彗星★救援会」跡地
  • 憲法のおもちゃ箱: 戦う民主主義

    2009年6月20日 戦う民主主義 戦う民主主義という言葉があります。  ヨーロッパで広く知られている言葉なのですが、これを単純に定義すると次の通りです。  民主主義を否定する言動を許さない民主主義。  現代史においてはヒットラーの独裁政治に対するドイツの反省が有名なので、ドイツを例にとってみましょう。  1930年代。  第1次世界大戦後のハイパー・インフレや世界恐慌による深刻な大失業といった国家的窮地や危機に対応できない議会への不信感・絶望感がドイツ中に蔓延していました。  ここで登場したのがナチス党のヒットラーでした。  一般的にヒットラーが独裁者と言われる大きな原因の1つは「全権委任法」にあるとされています。  内容は主に次のとおりです。 ・議会の立法権を内閣に委譲する ・大統領の法令制定認証権を首相(ヒットラー)に委譲する ・条約締結は議会の承認を必要としない    これは要する

  • NPJ通信 非暴力直接行動―市民によるネオナチ集会実力粉砕に見るドイツの闘う民主主義― 内田雅敏

    1.闘う民主主義 2008年9月24日付東京新聞朝刊 「ニュースの追跡」 欄は、ケルン発三浦耕喜特派員電として、「ネオナチ計画国際会議ドイツ市民ら実力粉砕」 「極右に居場所を与えない」 という見出し、 「極右に居場所は与えない。これが過去のナチス台頭から学んだドイツ社会の民主主義だ。社会を分断する言論は民主主義の敵だというのがその理由。 ドイツ西部ケルンでネオナチ勢力らが計画した 「反イスラム化国際会議」 は、市民の実力行使により粉砕された。」 というリードで、ケルン市内でネオナチグループが反イスラム化の国際会議を開こうとしたところ、これに反対する市民らが会場入口を封鎖し、実力で妨害し、 遂には警察の中止命令により集会が中止になったことを2枚の写真付きで報じている。 同記事によれば、集会を企画したのは、ネオナチ政党ドイツ国家民主党 (NPD) の流れをくむケルン市議会の極右会派 「親ケルン

  • もちつけblog(仮)、、、の跡地(はてなダイアリーに移転。) 暴力装置の機能不全 -ワイマール共和国内部の武装組織について- 【ブクマを振り返って】

    著者はこの「たたかわなかった」ワイマールという話自体が神話であったのではないかと説く。ワイマール共和国はけっして自らを攻撃する勢力や運動に寛大であったわけではない。むしろ刑法の内乱罪や「共和国擁護法」を活用し、「共和国の敵」に対して言論段階での監視や抑圧を行っていた。要するにワイマールはかなり頑張って「たたかって」いたのだ。 だがその「敵」として名指しされたのは、もっぱら共産主義勢力であり、保守的な当局はナチスを含めた右翼団体にはその認定を甘くした。このことは結果的に、①共産党と社民党との左派の連携が絶たれることで宿敵ナチスに利をもたらし、さらに②共和国末期に政権入りしたナチスが政敵を「共和国の敵」として弾圧するという悪夢を生み出すことになった。 (略)戦後ドイツが――「たたかう民主制」の標榜とは裏腹に――平穏な民主主義を実現し得たのも、社会の武装解除が進んだからというリアルな認識に立つ。

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