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宗教と社会に関するquatrosheのブックマーク (7)

  • 『国家神道と日本人』への批評について(2)――子安宣邦氏の再論に応答する | 島薗進・宗教学とその周辺

    10月10日に子安宣邦氏の「怒りを忘れた国家神道論――島薗進『国家神道と日人』」という論説(第1論説)が、「ちきゅう座」(http://chikyuza.net/n/archives/3705)というサイトに掲載され、私はそれに対する応答を「『国家神道と日人』への批評について――とくに子安宣邦氏の論説に応答する」と題して、私自身のこのブログ「宗教学とその周辺」に掲載した(第2論説)。これについて「ちきゅう座」から掲載の要請があり、私はそれに応じた。続いて、10月29日づけで「ちきゅう座」に子安氏の「イノセントな学者的欲求が犯す罪─「怒り」の理由」と題する島薗批判の再論が掲載された(第3論説)。この第3論説は私の論旨への誤解、無理解、および現在の国家神道をめぐる論争状況への誤解、無理解が顕著に見えるので、この論説で応答しておきたい。 子安氏は、「国家神道」概念の見直し論が問題なのだと書い

  • イノセントな学者的欲求が犯す罪─「怒り」の理由 - ちきゅう座

    <子安宣邦(こやすのぶくに):大阪大学名誉教授> 私の批判への島薗氏による卑小な反論に釣られて卑小な回答の言葉を連らねる愚を避けて、端的にまず私の「怒り」の理由をのべよう。 現在、「国家神道」をめぐる問題があるとすれば、「国家神道」概念の見直し論としてある。この見直し論とは、アメリカの対日占領政策にもとづくいわゆる神道指令が廃止を指示した国教としての神道、すなわち「国家神道」の定義の見直しを要求するものである。神道指令はこの「国家神道」を「非宗教的ナル国家的祭祀トシテ類別セラレタル神道の一派(国家神道或ハ神社神道)ヲ指スモノデアル」と規定している。したがって見直し論はこの規定中にある神社神道の側から、「国家神道」概念の見直すことの要求として出されてきた。 だがこの見直し論は、ただ「国家神道」概念の見直しを求めるだけのものではない。現行憲法を占領軍の押しつけとして、それを見直し、自主的な改訂

  • 『国家神道と日本人』への批評について――とくに子安宣邦氏の論説に応答する - ちきゅう座

    <島薗 進(しまぞのすすむ):東京大学教授> 7月21日刊の奥付をもつ拙著、『国家神道と日人』(岩波新書)が刊行され、3ヶ月ほどがたった。まだまだ内容に立ち入った書評は少ないが、直接間接にさまざまな感想・批評に接し、大いに啓発されている。感想・批評をお寄せ下さった皆さんにあらためて謝意を表したい。 私が敬愛するある宗教哲学者は、「輻輳した歴史の現実態の中に分け入り、しかも山に入って山を見ずではなく、おのづから筋道があらわれて見えて来」、「私にとって最近にない良書」だったとおほめ下さった。私信では日近代史や日思想史の研究者からも概ね好意的な評価をいただいているが、ネットに現れた感想や批評の中に「自己中心的だ」とか「けしからん」とか「新書に合わない」という反応があったのにはやや驚いた。このは論争を踏まえた書物なので、これまでの議論の弱点について批判的に述べて新たな立場を鮮明に示そうと

  • 「怒りを忘れた国家神道論」―島薗進『国家神道と日本人』批判 - ちきゅう座

    <子安宣邦(こやすのぶくに):大阪大学名誉教授:日思想史> 1 村上重良の怒り 村上重良は『国家神道』(岩波新書、1970)を激しい怒りをもって書いた。その怒りとは、日台湾・朝鮮をも含んだ)国民の肉体とともに精神を支配し、抑圧した〈戦争する日国家〉の原理であり、装置であるものに対してである。彼は国家神道こそが、1945年に至るまで国民を支配し、抑圧した国家的原理であり、装置であるとみなした。戦争の終結から四半世紀を経過した1970年に村上は、国家神道の復活の動きに接し、怒りを新たにする形で『国家神道』を書いたのである。私もまた度重なる小泉元首相の確信犯的な靖国参拝に対する怒りを『国家と祭祀―国家神道の現在』(青土社、2004)として表明した。私は村上の国家神道概念をそのまま継承することはなくとも、彼の怒りは正しく継承した。 国家神道批判は日国民のこの怒りに基づくものである。怒り

  • 気仙新聞(山浦玄嗣さんへのインタビュー抜粋)

    「ことばは魂の宿る座」といい、自分のふるさと気仙地方のことばの研究を続けてきた岩手県大船渡市の医師・山浦玄嗣さんは、気仙方言を誇りを込めて「ケセン語」と名付けました。山浦さんが出版した『ケセン語入門』はNHKテレビを通して全国に紹介され、全国に方言を見直す活動が盛んになるきっかけとなりました。山浦さんがことばを通して復権した地域の誇りはとても大きなものでした。

    気仙新聞(山浦玄嗣さんへのインタビュー抜粋)
  • 『トイレの神様』が素晴らしすぎて耳から汁が出そうです - ココロ社

    『トイレの神様』という歌が売れていますね。紅白歌合戦ではフルコーラスで歌われたそうですが、それよりも、紅白歌合戦って、「歌合戦」というくらいなのに、戦いの緊張感みたいなものがないんじゃないかと思います。何というか、「首を獲って干し首にしたる!!!」みたいな気迫がなくて、ただ男女が交互に歌ってるだけのような。もっと全日的に緊張感があったほうがいいように思います。たとえばよく話題になる「デートって全部男がおごらないといけないの?」という話にひっかけて、「紅組が勝ったら次の年は毎回男がおごる、白組が勝ったら次の年は毎回ワリカン」という法律を作ったらいいと思うのですが、こういうことを言ったら、「なんで白組が勝ったらワリカン?女がおごるべきで、男女平等じゃない」と反論されそうなので脱線もほどほどにしておきます。あと、「今年はワリカンの年で、法に触れるんだけど、キミのことが好きだから、おごりにさせて

    『トイレの神様』が素晴らしすぎて耳から汁が出そうです - ココロ社
    quatroshe
    quatroshe 2011/01/13
     "不幸せな境遇に身を置いていると、「適切な努力をすれば、報われる確率が高い」という事実を積極的に誤解して、「あらゆる苦労は、その度合いに応じて幸せを生む」という思想をもってしまいます”
  • Amazon.co.jp: 本: 自由からの逃走 新版

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