【福耳コラム】ケーキを売ればいいのに 有限のリソースを有効に使っていくのはよろしいんですが、そもそも人命だとか権利だとかは計量したり交換したりができるような性質のもんではないんですね。助けたくても資源が足りないというときに常人は葛藤を感じたりするもんなんですけど、まああっけらかんとしたもんですわ。こういう人にかかっちゃうと、前回エントリのリンク先で指摘されてるナチスドイツの合理性みたいなもんで、そのうちどっかの子どもを1人誘拐して殺して臓器を切りとって他の10人に移植してハイハイ全体の最適全体の最適とか言いだしかねない。テロリストは人質ごと爆殺とか。まあ確かにそっちのほうがはるかにお手軽だと思いますよ。駅の改札もハサミも右利き用で作れば最適ですしね。それにしても全体の最適のために個人性を抹殺するのが全体主義というもんでなかったかな。 あっちにもリソースが必要、こっちにもリソースが必要、しか