最近、毎日新聞の佐々木泰造という記者が万葉集の難読歌を「解読した」という記事があったのをご存知ですか? そこに、「大相」という文字を分解して「从」(「従」の「正字」とされている)を付けると、「大來目」となる云々の説が述べられています。「相」は「伴」に通じ、「大相」=「大伴」、大伴氏に「従った」のが「大來目」氏だというような歴史の話です。 ところで問題は「來」という字体が日本でいつ頃から使われたのかと言うことです。 調べた限りでは、奈良時代から平安時代ぐらいまではすべて「来」と書いています。例外は「新撰字鏡」の見出しに「来」「來」が併記されていますが、辞書の見出しは一般文書とは少し性格が違います。(今でも漢和辞典に載っているだけで誰も使わない漢字がいくつもあるでしょう)。 上の漱石の字体は、さらに古い、聖徳太子の「法華経義疏」や「埼玉稲荷山古墳鉄剣銘」に見られます。百済から来たという「石上神