2009/06/04 當山日出夫 「鬱」という漢字が難しい、やめてほしい。という中等教育レベルの生徒の気持ちもわからないではない。だが、これが、「英語」だったらどうか。あるいは、「数学」や「理科」だったら。 そんな難しい英語の単語は覚えられませんから、教科書につかわないでください。私は、これからの人生で、二次方程式の解をもとめるような計算をするはずはありませんから、教えないでください。 このような生徒の発言に、すなおに、うなづけるだろうか。 バカ! あまったれるんじゃない。教育というのは、知的トレーニングの場なのであって、それを、実際に社会に出てつかうかどうかは、別の問題だ……と、反応が返ってくるのが、今の社会の趨勢であろう。いわゆる、「ゆとり教育」に対するゆりもどし、である。 では、このなかで、「漢字」の教育はどうあるべきなのだろうか。 はっきりいえば、「英語」よりも、日常的に身近な存在