主体ではなく主体形成を アウトノミア(オートノミー)*1運動の歴史的復元をしようというのではなく、その特異性を理解するために「労働の拒否」や「階級組成*2」といったコンセプトをふりかえってみたい。ジャーナリストはよく、60年代のイタリアにあらわれたこの政治的・哲学的運動を「労働者主義 operaismo 」という言葉で説明するが、わたしはこの用語がきらいだ。というのも、この言葉は社会的現実の複雑性を後期近代の社会的ダイナミクスでの産業労働者の中心性だけに還元してしまうからだ。労働者階級の中心性というのは20世紀の偉大な政治的神話だったが、わたしたちの取り組むべき問題は資本主義支配からの社会的空間のオートノミーであって、社会的労働のもたらした多様な文化的・政治的・想像的な組成の方なのだから。 この哲学的・政治的運動の起源はマリオ・トロンティ、ロマノ・アルクァティ、ラニエロ・パンツィエリ、トニ
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