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ブックマーク / p-shirokuma.hatenadiary.com (13)

  • かつて私たちがいた世界『窓ぎわのトットちゃん』 - シロクマの屑籠

    映画『窓ぎわのトットちゃん』 オリジナル サウンドトラック NBCユニバーサル・エンターテイメントジャパンAmazon ある人から、「シロクマさんは『窓ぎわのトットちゃん』を見ておいたほうがいいと思う」と勧められ、疲れたまま週明けを迎えようとしている連休最終日に観に行った。映画館に来ているお客さんは大半が私より年上で、公開から約1か月にもかかわらず客席は結構埋まっていた。 私は原作を読んでいないし、この作品を作った人たちがどういう狙いで制作したのかを知らない。この作品を自分がどう受け取めたのかを確かめてみたかったので、パンフレットのたぐいを買わなかったからだ。インターネット上での評価や噂話もほとんど知らない。先週までノーマークだったからだ。 「トットちゃんはADHD」では片づけられない世界 映画が始まって間もなく、一般的な小学校に通学するトットちゃんが描かれる。私はまず、ここでスゲーと思っ

    かつて私たちがいた世界『窓ぎわのトットちゃん』 - シロクマの屑籠
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    takehikom 2024/01/09
  • 神様みたいだった1996年のバトルガレッガ - シロクマの屑籠

    (※写真は、ゲーメスト1996年5月15日号、バトルガレッガ攻略記事より) note.com 上掲リンク先は、傑作シューティングゲーム『バトルガレッガ』を20年越しにクリアした方の文章だ (おめでとうございます!)。 20年前に一度諦めたゲームをもう一度手に取り、チャレンジしてクリアするのはタフなことだと思った。 で、リンク先にはバトルガレッガをできるだけ簡略なパターンでクリアするための攻略動画へのリンクも掲載されている。それが下のものだ。 youtu.be 昔は難しいゲームとみなされていたバトルガレッガをここまで解題し、難しい避けを最小限にしているのは、これもこれで進歩だと驚いた。 2000年代には、「知の高速道路」という言葉をよく耳にした。いわく、インターネットによって知識やノウハウにアクセスしやすくなり、何事も、ある程度までは簡単に上達できるようになった、というやつだ。今にして思うと

    神様みたいだった1996年のバトルガレッガ - シロクマの屑籠
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    takehikom 2020/09/05
    自分にとっての1990年代後半と東京といえば、明大前ナミキ/大阪だと阪急石橋駅近くのガンマ
  • ネットの炎上火力が強くなった話と、ネットが狭くなった話 - シロクマの屑籠

    「FF外から失礼します」に違和感を覚える人は、完全に遅れている(熊代 亨) | 現代ビジネス | 講談社(1/3) リンク先の記事は、「FF外から失礼します」からスタートして、インターネットの“世間化”について書き綴ったものです。 とはいえ、ひとつの記事になにもかも詰め込むのは不可能だったので、書ききれなかった話を、ここに書きます。 過剰な繋がりが、炎上火力を強くした インターネットが“世間化”が進行した要因としては、マスメディアがSNSやYouTubeの投稿を引用するようになったから・日常的にネットを使う人が増えたからなどが挙げられます。 それらに加えて、私が重要だと思っている要素は、「繋がりの過剰」、少し古い言葉を使うなら「ハイパーリンクに相当するものの過剰」です。 昔、ネットサービスのインフラが充実していなかった頃は、個人のウェブサイトとウェブサイトを繋いでいたのは、各人が作ったハイ

    ネットの炎上火力が強くなった話と、ネットが狭くなった話 - シロクマの屑籠
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    takehikom 2017/10/16
  • コミュニケーションのプロトコルを「茶番」って呼ぶのは、身に付けてからにしましょうね - シロクマの屑籠

    syakkin-dama.hatenablog.com 世の中には、上記リンク先で「茶番」と言われているような場面が尽きません。 その典型が就活面接ですが、似たような「茶番」は、仕事に就いた後もずっと人生についてまわります。 必要な時に、大きくハッキリした声を出せること。 嘘ではないが音どおりでもない「夢」や「目標」を語ること。 無意味に思える指示にも、「わかりました」と答えること。 こうした「茶番」に対し、はてなブックマークには「未開民族の儀礼や慣習に似ている」って書いている人もいます。ですが、それを否定的にでなく、肯定的に捉えるべきだと私は思いました。 もし部族Aで、会った者同士が頭を下げる慣習があるとわかっているなら、それを身に付けておいたほうが部族Aではコミュニケーションしやすいでしょう。その慣習を突っぱねたら、無用な誤解や無礼を招くかもしれません。 同じことは、相手が部族Bや部

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    takehikom 2017/03/07
  • ネットで有名になるリスク - シロクマの屑籠

    フミコ、ブログやめるってよ - Everything you've ever Dreamed はてなブログ界では最も有名なブロガーであろうフミコフミオさんがブログの休止宣言をされていた。残念だ。 字義どおりに読むなら、「ブログに対する情熱を失ったところにガラケーが壊れてしまったのでブログを休止なさる」とのこと。ブログ熱が高ければガラケーが壊れてもすぐブログを書き始めるに違いないが、情熱が醒めてしまっているなら仕方がないところだ。 最近のフミコフミオさんの言動をずっと眺めていた私は、「フミコフミオさんは、有名ブロガーになってしまって疲れたんだろうな」と想像することにした。はてなブログ界で一番たくさん読者を獲得していた彼だから、そのぶん、きっとお疲れになっていたに違いない。 ネットで有名になった時に直面するリスク 動画にせよ、ブログにせよ、twitterにせよ、インターネットで情報発信する人の

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    takehikom 2016/05/12
  • 「ゲーム“なんか”やってる場合じゃない」 - シロクマの屑籠

    私は面白そうなブログを見つけたら過去ログを追いかける。そのブロガーがどういう人物なのか、手触りを確認するのが好きだからだ。「個々の記事より、個々のブロガーを読んだほうが面白い」。 で、こちらのブログは年に何度かまとめ読みしていて、その世代感覚・娑婆感覚がチクチクしてしようがないんだけど、今回は、以下のフレーズに引っかかった。 もうゲームの気力もないのか俺。と言うか残り少ない人生ゲームに費やしてホントにイイのかとマジで考えてしまうところに年を感じるなぁ。 (今更ながら世界樹の迷宮Ⅲやってます より抜粋) まるで自分の内心を覗かれたみたいだ。私も最近、ゲーム*1を遊びながら自問自答してしまう。「今、ゲームをやっていて構わないのか?これじゃあまずいんじゃないか?」と。 三十歳になるかならないかの頃の私は、ゲームにのめり込むことに疑問を感じていなかった。小学生時代以来、連綿と続いてきたゲーム趣味

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    takehikom 2015/10/26
    『ここでいうゲームとはコンピュータゲーム』
  • お金がなければ恋愛できない社会。 - シロクマの屑籠

    若者が草化した当の理由 - Willyの脳内日記 リンク先では、若者が恋愛志向でなくなった理由として、「経済的に貧しくなったからだ」と断言している。若者の行動に経済事情が大きく関わっていることを否定する必要は無いが、それを「当の理由」として「断言」するのは語調が強すぎる、と感じた。 例えば、アジアやアフリカの途上国を思い出してみてほしい。途上国の若者は、現在の日の若者と比較してさえ、経済的には貧しい。もし、経済的な貧しさが若者の草化の鍵だとしたら、貧しい国々の若者こそ草化していそうなものだ。 あるいは過去の日。さだまさしや中島みゆきが流行していた頃の日は、もっと若者が貧しかったはずだ。独り暮らしといえばバストイレ共同の木造アパート、現在の基準からすれば不便な(ときには不潔な)生活をしていた頃、草系の若者は流行していただろうか?そうではあるまい。恋愛結婚の機運が高まるなか、

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    takehikom 2014/10/17
  • ブログを更新するほど、思考が豊かになっていく――インプット手段としてのブログについて - シロクマの屑籠

    数年前、私のブログに「そうやって(ブログに)知識を全部吐き出してしまえ」とコメントした人がいた。その人にとって、ブログとは知識をアウトプットするもの・ネタを吐き出すものだったらしい。 もし、ブログが蘊蓄自慢や知識のお披露目会みたいなものだったら、いつか知識やネタが枯渇してしまうのかもしれないし、たぶん、書いていて楽しくなくなってくるだろう。ブロガー自身がブログを楽しまなくなってくれば、ブログから「艶」もなくなり、文体に「活き」が感じられなくなるだろうから、すぐ色褪せるに違いない。 でも実際のブログはアウトプットであると同時にインプットでもある。ブログを書くこと・ブログ記事をまとめることで、自分自身の思考が言語化されていく。いままで漫然と考えていたことを2000〜4000字程度のブログ記事にまとめあげるだけでも、自分の思考内容は案外整理されて、デフラグをやっているかのようだ。ときにはブログ記

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  • 世の中には「書く」ことが好きで好きでしようがないブロガーがいる - シロクマの屑籠

    非モテはてなーが有料メルマガや単著を出せる分水嶺 - syncのにっきver3.0 リンク先について、ちょっと思ったことを。 ブロガーのなかで「単著」とか「有料メルマガ」で“生活の糧”を得ている人って、当にいるんですかね?いるのかもしれませんが、私の周囲にはいないような気がします。medtoolzさんにしても、ココロ社さんにしても、まなめはうすさんにしても、まず業ありきで、それとは別に、ネットで文字を書いていたら出版に繋がっちゃった、という話ではないでしょうか。 世の中には、出版とか有料メルマガとかで“プロ”をやっている人達もいます。しかし、そういうプロがブログを経由して(まして非モテはてなユーザーを経由して)プロに到達したという類例は知らないので、ブログを経由して“物書きとして生活の糧を得る”のは難しいと思っています。たぶん、他のルートで目指したほうがいいんでしょう。 それはそれとし

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    takehikom 2012/10/24
  • ネットコミュニケーション技能としての国語力 - シロクマの屑籠

    国語力というより、日語能力と言うべきかもしれないけれど。 動画サイトやUstreamのようなものがあるとはいえ、現在インターネットで情報収集やコミュニケーションをしようと思ったら、そのとき主な媒体となるのは「テキスト」、つまり文字情報だ。動画や静画を見ている時も、それに補足文章がついてくるような場合は、やはり文字情報に目を通すことになる。twitterのやりとりにしても、コンパクトに圧縮された文章を読む/書くどちらの場合も、国語力次第でできること/できないことがあり、なかなかに奥が深い。自分が誤読するリスクを避けるためにも、誰かに誤読されるリスクを減らすためにも、国語力はモノを言うだろう。 だから現段階のネットコミュニケーションは、ユーザーの国語力の大小によって、同じ時間をかけていてもインプット/アウトプットの差に大きな差が出やすい状況にある、と考えられる。 ネットコミュニケーションでは

    ネットコミュニケーション技能としての国語力 - シロクマの屑籠
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    takehikom 2012/07/19
    『ネットコミュニケーションでは、国語力がコミュ力の根幹をなしている』
  • "叩いて構わない奴はとことん叩く"空気と、いじめの共通点 - シロクマの屑籠

    ネットを眺めていてふと気付いた。 現在、日のメディア上では、ネットであれテレビであれ「バッシングを公認されるような過失・落度のある相手は、どれだけ叩いても構わない。その際、相手がどうなるかは配慮しなくて構わない。それが社会だ」という風景がリピート再生されている。なにか不祥事や事故があったら、法的責任が問われるだけでなく、責任者は罵倒され、土下座させられる。法的責任を追求するのとは別に、“感情を納得させる”ために罵倒すること・土下座させることを、社会正義とみなすような空気ができあがっている。もちろん、そうした罵倒や土下座に警察が口出しをすることはないし、マスメディアも何わぬ顔で報道する*1。バッシングが公認される大義名分がある限り、責任者が唾を吐きかけられてもしようがないよねー、という不文律ができているらしい。 インターネット上での“炎上”も似ている。失言・過失・違法行為があったと判明し

    "叩いて構わない奴はとことん叩く"空気と、いじめの共通点 - シロクマの屑籠
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    takehikom 2012/07/06
    『バッシングを公認されるような過失・落度のある相手は、どれだけ叩いても構わない。その際、相手がどうなるかは配慮しなくて構わない。それが社会だ』『まずオトナが慈悲深くなるべきでは』
  • 技術を拝むと“罰”が当たる - シロクマの屑籠

    http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/archives/1164 上記リンク先を読んでいるうちに、「道徳にしても科学知識にしても、盲信するようになれば破滅が待っている」としみじみ思った。技術者たるもの、「絶対の安全」とか「完璧に大丈夫」なんて言葉をむやみに信じ込んでいてはいけないのだろう。 悪役が技術を自慢すると“死亡フラグ”になる アニメや映画を見ていると、時々、「絶対に壊れない」とか「完璧な防御」とか口にする悪役を見かける。でも、あの手の台詞は、いわゆる“死亡フラグ”で、口にした人は必ずといっていいほど弱点や盲点を突かれてボコボコにされる。あれは、物語の展開として面白いのはもちろん、寓話としても納得できるものがあると思う。 なぜなら、人間が作ったモノには完璧とか絶対なんてものはあり得ず、どこかに制作者が見過ごしていた弱点や盲点があるに決まっているからだ。そんな

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    takehikom 2011/07/10
    技術者としては「限界」「適用範囲」が不可欠だと思う
  • 夫婦関係や男女関係をこじらせない鍵について - シロクマの屑籠

    とある夫婦の離婚序章 男女平等を家庭に持ちこむのはやめにしないか - 狐の王国 性差による分業→家庭内の効率分業の次は、家庭外へのアウトソースかなとか - よそ行きの妄想 夫婦の役割分担の話が“はてな界隈”で盛り上がっていたらしい。 で、盛り上がっている方向は、どちらかといえば、社会を論じる方向になっているようにみえる。“はてな”らしい展開だ。 さて、家庭と家事の話になると、僕は「社会かくあるべし」よりも、「我が家がうまくやっていくにはどうすれば良いのか」のほうに想像力が向きがちだ。他人の家なんて二の次。まずは自分自身の夫婦内適応を盤石をしたい、と僕などは思う。 我が家は現在、料理の多くは僕が担当し、掃除や洗濯は嫁さんが担当するような形をとっている。僕も嫁さんも、これで殆ど不満は無いけれど、今後、どちらかの忙しさが増してくれば、比率が変わってくるだろう。幸い、お互いが今どういう状態なのかを

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