ロシアのウクライナ侵攻が行われた。大手メディアでは最近の出来事しか報じられていないが、ロシアとウクライナ(そしてアメリカ)のこれまでの因縁をここで一度復習するとともに、この件でバイデン大統領が犯した決定的な間違いについて論じたい。 2014年ウクライナ騒乱 一連の問題の始まりは2014年のウクライナ騒乱である。2013年11月21日に首都キエフの欧州広場で始まった親EU派のデモが次第に暴徒化し、最終的には親ロシア派だったヤヌコビッチ大統領を追放したことからすべてが始まる。 ロシアはこれを違法なクーデターだと呼んだが、アメリカとEUはヤヌコビッチ大統領は暴徒化したデモとの交渉に応じるべきだとして、そうしない場合はウクライナ政府関係者に制裁を課すとして脅している。 奇妙なことだが西洋人は暴力的なデモに甘い。それが自国の利益になる場合にはなおさらで、そうした歪んだ政治観が例えばシリアの反政府武装
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