タグ

2011年12月1日のブックマーク (2件)

  • 沖縄高専から公式コメント - shogo82148's blog

    昨日の書いた記事「磁力の引力と斥力で発電(?)する装置」を簡略・効率化してみたよで取り上げた沖縄高専:磁石の力で発電 エコエンジン研究へ(毎日新聞, 琉球新報の記事は削除されてしまったようです)という記事に対して、沖縄高専から公式にコメントが出ました。 平成23年11月26日付琉球新報掲載記事「磁石の力で発電 エコエンジン研究へ」に関する校コメント 発表に至った経緯を要約すると あの機械は発電を意図したものではない 高専側は「発電」という言葉は使っていない 高専が記事の確認をしないまま、記事が公開されてしまった ということです。あの記事は記者の勝手な解釈によるもので学は関係ない、とでもいいたいような書き方です。 まあ、沖縄高専が、勝手に記事にされた、と言いたくなるのもわかります。『平成23年11月25日(金)に開催された校主催「沖縄高専フォーラム」内にて、校教員がこの件に関して、琉

    沖縄高専から公式コメント - shogo82148's blog
    uhyorin
    uhyorin 2011/12/01
    "沖縄高専の学生さんがこんな不毛な卒業研究をしなくて済みそうなので満足です。" 確かに。/ 新報が記事にしてなかったらどうなっていたのだろうねと思うと…。
  • 1991年2月 開発スタート。ivとgnu(上)::Colorful Pieces of Game

    1991年2月。 東京は市ヶ谷の天外2開発ルームにはマシンが10台以上並び、久保久・松田クン・山根・アルファシステムの長谷川君(ファイティングストリートなど多数)、同じくアルファの藪(大魔界村の移植)、さらにグラフィックの外注をやってもらうウィンズのメンバーが集まり始め、ついに開発はスタートしようとしていた。 そのまだ人が揃いきっていない開発ルームで、僕は、信頼するアルファシステムの長谷川君とシステム設計の打ち合わせをしていた。 これはイース1・2で、そこらへんをキッチリ決めておかないと、CDROMでは、あとでエラい目に会うという事がわかっていたからだ。 …とは言っても、結構打ち合わせは簡単だった。ビルド関係は、イースで作ったものが柔軟性と信頼性を持っていたので、多人数に対応するために若干の調整をする以外は、ほぼ手直しなしで使うことになったからだ。 ビルドは「実行できるゲームを作る作業」ぐ

    uhyorin
    uhyorin 2011/12/01
    "1990年ごろのゲームマシンは伝説的神話的な世界で、超人達がアセンブラでプログラムを書いていたことになっているけれど、現実は全然違った。" PCエンジンの頃のゲームって全部アセンブラだと思ってました。