市民の友1963年6月15日(第154号)に「那覇はどう変わったか」という座談会があります。 その中から一部を抜粋します。 夢のあとに歓楽街 吊るしあげられた翁長さん [徳田]戦後、ゼロから出発して復興するまでの苦労はたいへんだったと思いますが、市政の方向といいますか、結論的に—。 [新垣]道路が拡張された。だが国際大通り、あれだけでは間に合わない。現在の、楚辺の道路を舗装して、半分はあれに回すべきだ、開南大通りをご覧なさいよ。もう国際通り以上になっている。平和橋通りから神里原の道路やバス道路をもっと大きくしてもらいたいですね。 [徳田]翁長さん、真和志の思い出といいますか…。 [翁長]今だからいいますが、一高女のあとですね。あそこに琉大をつくるつもりで、2万坪ほど確保して文教学校も、外語も。真和志、大道小学校を付属にしようと、山城篤男さんなんかに相談したが、今の琉大の位置がいいということ