昭和三陸地震(しょうわさんりくじしん)は、1933年(昭和8年)3月3日午前2時30分47.6秒に、岩手県上閉伊郡釜石町(現・釜石市)の東方沖約 200 km(北緯39度07.5分、東経145度07.2分)を震源として発生した地震。気象庁の推定による地震の規模はM8.1。金森博雄の推測はMw8.4[2]でアメリカ地質調査所 (USGS) もこれを採用している[3][4]。 震源は下記にあるように日本海溝を隔てた太平洋側であり、三陸海岸まで200km以上距離があった。東北太平洋側では震度5の強い揺れを記録したが、明治三陸地震の時と同じく、地震規模に比べて揺れによる直接の被害は少なかった。しかし、地殻変動(後述参照)によって発生した大津波が襲来し、被害は甚大となった。最大遡上高は、岩手県気仙郡綾里村(現・大船渡市三陸町の一部)で、海抜28.7mを記録した[5]。津波第一波は、地震から約30分で