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ブックマーク / pikarrr.hatenadiary.org (6)

  • 続 なぜ「空気が読めないことが最も嫌われる」のか? - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    ■社会的コンテクスト VS 個人的コンテクスト 考える名無しさん もう嫌です。自分の生活は自分の自由にはならない。ぴかぁ〜さんの言うとおり、親にわせていただいて、親のスネを齧る羞恥に俺はまみれている。自分でうとするなら、俺はその仕事に束縛される。少ない余暇でさえもはや仕事のために消えていき、自由に生きられない。結局ニートになろうが、マジメな人間になろうが、他人によって縛られるような生活しかありえない。 死にたいとおもっても死ぬのは怖い。何もかも手放す覚悟も、生命を放棄する一連の現実的な手続きも怖い。簡単に一瞬で消えるならまだしも、血を流して体を痛めつけるのが怖い。 ホームレスにもなりたくない。冷房がなくてPCも触れなくて汚い飯くって何も読まず何も聴かず恥だけを垂らしながら、生きるのも嫌だ。生まれてこなきゃ良かった。生まれてきたくなんかなかった。もう嫌だ。 現実に常に支配されて自由になら

  • ヘタレ化するポストモダン - なぜ引きこもりはプライドが高いのか。 その3

    「なぜ引きこもりはプライドが高いのか。 (http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20051018)」について、id:fer-matさんからご意見を頂いた。 id:fer-mat 人生の目的は幸福です。そして幸福は主観的で相対的なものです。ゆえに引きこもりも幸福になり得ます。ということは引きこもりは人生の目的を達成しています。それで何が悪いのですか。ひきこもりは他者とのコミュニケーションよりもテレビゲーム趣味の方が面白いと思っているし、幸福を感じているから、そこから無理に引き離して、わずらわしくてめんどくさい他者とのコミュニケーションにもっていく必要はないでしょう。それは個人の自由の侵害です。ひいては幸福追求権の侵害です。 コミュニケーションを声高に叫ぶ人は、ただひきこもりという社会的弱者に対して、自分の意見を押し付けたいだけです。ニーチェのいう wille zur

    ヘタレ化するポストモダン - なぜ引きこもりはプライドが高いのか。 その3
  • まなざしの快楽 - なぜ引きこもりはプライドが高いのか。 その2

    ワーカーホリック(仕事中毒) なんのために仕事をするのか。仕事とは社会的に貢献することで対価を得ることでしょう。ボクの場合は、まずはお金のためだ。もしいま仕事をやめると多少の貯えはあるが、将来立ち行かなくなる。ではお金のためだけか?違う。いまの仕事があまりにつまないと、違う仕事をさがすだろう。仕事には多くのつらいことがつきまとうが、仕事のつらさと楽しさは相補的であり、ボクは仕事の楽しさほど楽しいことはこの世にないのではないかと思っている。 たとえば、特に日人はあなたは誰か?という問いには、帰属する会社名、部署、役職を答える傾向があるという。すなわちそのような立場によって自分であるということだ。そしてそのような立場を失うことは、自分を失うことである。これはワーカーホリック(仕事中毒)の構造でもある。仕事をすることによって、自分であるということだ。そして「仕事の楽しさほど楽しいことはこの世に

    まなざしの快楽 - なぜ引きこもりはプライドが高いのか。 その2
  • なぜ引きこもりはプライドが高いのか。 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    引きこもりのプライド 昨日、またテレビで引きこもりを立ち直らせる、というようなテレビドキュメントをやっていた。これらを見ていると、引きこもりは近い傾向があるように思う。それは、「自分の価値」とでもいうようなものを強く求める傾向がある、ということだ。それは、社会にでること、労働することのつらさから逃げるための口実だとは、割り切れない彼らなりの「プライド」があるよう思う。 神が死んだ後の永久回帰 ニーチェは「神は死んだ」と言った。神とはなにか。大いなる意志である。キミの特別性、なんのために生きているのか、生きる意味を保証してくれる存在だ。どんなにたくさんの人がいても、神は全能であるから、一人一人に価値を見いだし、見守ってくれている。神がいるかぎり、キミは特別であり、生きる意味があった。 しかし「神が死んだ」ときに、キミの特別性は消失した。あとに残ってのは、偶然が支配する機械論的、統計的世界であ

    なぜ引きこもりはプライドが高いのか。 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
  • 「のまネコ」インスパイヤ問題はなぜ「戦争」なのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    エイベックスが、ヒット曲「恋のマイアヒ」などで使っているキャラクター「のまネコ」が大手掲示板「2ちゃんねる」で使用されている「モナー」に似ているとして、ネット上で騒動が起きている。 「のまネコ」は「恋のマイアヒ」を歌っているオゾンのプロモーション用キャラクターとして登場。今月からTシャツなどのグッズも発売された。プロモーション2ちゃんねるなどでは「特定企業に独占的に利用されるのでは」などと批判する数万もの書き込みが寄せられている。エイベックス側は「『のまネコ』は、インターネット掲示板において親しまれてきた『モナー』等のアスキーアートにインスパイヤされて映像化され、今回の商品化にあたって新たなオリジナリティを加えてキャラクター化した」と同社のショッピングサイト上で表明。「『モナー』等の既存のアスキーアート・キャラクターを使用されることを何ら制限するものではない」としているが、まだ納得しないネ

    「のまネコ」インスパイヤ問題はなぜ「戦争」なのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
  • なぜ「空気が読めないことが最も嫌われる」のか? - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    「空気を読む」という闘争 ボクは「コンテクスト(まなざし、文脈)」についていくつか語ってきたが、SocioLogic(lovelesszero5.0)*1に面白い内容が書かれている。 空気の読める社会(1) 以前、子どもたちの間では「空気が読めないこと」が最も嫌われる、という話があったが、これは、大人の間でも共通しているようである。価値観が多様化した、とされる社会では、「素直に」考えれば、ハイコンテクストな(共有する文化的・社会的背景や情報が多い)コミュニケーション空間からローコンテクストな(共有する文化的・社会的背景や情報が少ない)コミュニケーション空間へと変化するということであり、「コミュニケーション」の来の意味である、(特に異なる価値観の人の間での)意思疎通のためにはより明確に言語化した対話が重要になると考えるのが一見自然である。・・・しかしその一方で、冒頭の「空気を読む」というの

    なぜ「空気が読めないことが最も嫌われる」のか? - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
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