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内田樹に関するyukio2005のブックマーク (87)

  • ”ダイナマイト” なイノベーター - 内田樹の研究室

    バラク・オバマ上院議員が5日のアイオワ州の民主党党員集会で勝利を収めた。命だったヒラリー・クリントン上院議員は意外にも第三位。 さて、アメリカ大統領選挙はどうなるんだろう。 という話を温泉に浸かりながら兄と話した。 兄も私も、現段階ではオバマさんが選ばれるだろうと予測している。 こういうところではアメリカの「底力」は侮れないよ、というのが私たちの共通見解である。 町山さんと前にお会いしたときに、アメリカ文化的なイノベーションを担っているのはつねにマイノリティであるという話を伺った。 音楽ファッションはほとんどが黒人かヒスパニック起源のものだし、現在のコンピュータ業界は中国系とインド系で持っている。 WASPは何もクリエイトしていない。 でも、この人たちは全員が「アメリカ人」なのである。 あの国は「後から来た人」がイノベーションを担うように構造化されているのである。 既存の業界は既得権

  • ゲームと知性 - 内田樹の研究室

    というわけで昨日は KY 症候群についての同時代の賢者たちの知見をご紹介したわけだけれど、読むにつけ、これはなかなか哲学的な拡がりをもった主題であるということが私にもわかってきた。 鈴木晶先生が書かれている中で私がいちばん興味深かったのは次の箇所である。 どちらのゲームも、「ゲームの範囲」がどこまでかをめぐるトリックなのである。初心者は必死に規則を見つけ出そうとする。だが「正解」は、その規則が適用される範囲、つまりゲームの範囲の外にある。 この種のゲームは無数に存在する。 けれどもこのようなゲームが好まれる集団には共通性がある。 一定期間メンバーが固定されており、そのメンバーたちに斉一的なふるまいが強要されるような集団だということである。 例えば学校。 学校はメンバーが固定されており、ふるまいに斉一性がある。 そのせいで、学校の生徒たちは自分たちの集団に「外部」があるということをふだんは意

  • 人生はミスマッチ (内田樹の研究室)

    リクルートの出している「RT」という冊子の取材が来て、「高校の先生に言いたいこと」を訊かれる。 中高の現場の先生には基的に「がんばってね」というエールを送ることにしている。 現場の教師の士気を低下させることで、子どもたちの学力や道徳心が向上するということはありえないからである。 現場の教師のみなさんには、できるかぎり機嫌良くお仕事をしていただきたいと私は願っている。 人間は機嫌良く仕事をしているひとのそばにいると、自分も機嫌良く何かをしたくなるからである。 だから、学校の先生がすることは畢竟すればひとつだけでよい。 それは「心身がアクティヴであることは、気持ちがいい」ということを自分自身を素材にして子どもたちに伝えることである。 「気持ちよさ」は知識や技能を持っているので「まことに便利だ」という仕方で表現してもよいし、推論や想像で思考が暴走するのは「ぞくぞくする」という仕方で表現してもよ

  • おじいさんおばあさんをたいせつに - 内田樹の研究室

    テレビを見ていたら長塚京三が背中で嗚咽しているCMに遭遇した。 先週見たCMではいっしょに住友信託銀行に訪れて資産管理の引き継ぎをしていた彼の父が急逝したらしく、たっぷり資産を残してくれた父の遺言状を見て「父さん、ありがとう」と感謝の涙を流している中年の息子の背中をさらにその子供が見つめているという絵柄であった。 私はつい3日前に、「金満家の祖父のおかげで一族が栄えるという絵柄のCMがやがてテレビ画面に登場するであろう」とゼミのクロダくんに予言したばかりなのであるが、これほど早く私の予言が的中しようとは・・・ みなさんももうお気づきになったであろうが、最近の商品カタログなどの表紙は「三世代もの」が多い。 いかにもリッチそうな祖父母、その七光りで豊かな生活をエンジョイしている息子・娘夫婦、その倍の14光りの恩沢を受けて屈託なく微笑んでいる孫たち・・・の集合写真である。 これが意味することがお

    yukio2005
    yukio2005 2007/11/09
    80年代には家族解体が消費市場のビッグバンをもたらした。
  • キャリア教育再論 - 内田樹の研究室

    大学教授会研修会。 キャリア教育について。 私は大学のキャリア・デザイン・プログラム委員会のメンバーで、今回の現代GPの起案者のひとりであるので、「大学教育におけるキャリア教育の意味」について基調報告を行う。 話はわりと簡単である。 なぜ、文科省は「キャリア教育の充実」を高等教育機関に求めるのか。 前に書いたように、これは「入り口」における「リメディアル教育」と対をなしている。 「リメディアル教育」が大学教育にキャッチアップできない学生たちに対する補習であるのと同じように、キャリア教育は大学を卒業したあとにうまく就労することができない学生たちに対する「補習」である。 人間はどうして労働しなければならないのか。 この社会にはどのような職種が存在するのか。 あなたにとっての適職は何か。 その職業に就くためには在学中にどのような知識やスキルを身につけなければならないのか。 まあ、そういうことを「

  • とりあえず安定だよね - 内田樹の研究室

    福田新首相の所信表明があって、小泉・安倍二代の政権によってひっかきまわされたシステムの安定が回復されるという期待から、メディアはおおむねこれを好意的に受け止めている。 改革を持ち上げたり、安定に期待したり、お忙しいことである。 しかし、世の中というのは現にそういうものなのである。 小泉さんは「改革なくして成長なし」と言ったがこれは半分だけ真理という点では、「安定なくして成長なし」と言うのと変わらない。 社保庁の年金問題が起きたときに市場では何が起きたか。 ぱたりと車が売れなくなったのである。 車というのはだいたい割賦で購入するものである。 だから、将来的に安定した収入の当てがなければ大きな買い物はできない。 年金問題を安倍首相が当初は些事としてやりすごそうとしたのに、途中からあわてて信頼回復を言い出したのは別に社保庁の職員の怠業があまりに目に余ったからではない(どこだってお役人の勤務態度は

  • 好きにしなさい - 内田樹の研究室

    朝日新聞広告局主宰の「関西・女子大シンポジウム 女性が未来を切り開く-女子大が果たす役割とキャリア形成」というものに出るために肥後橋のリサイタルホールに行く(ここは先月『トランスフォーマー』の試写会に来て、帰りに日清焼きそばUFOのおみやげを頂いたところである)。 第一部は基調報告でフリーキャスターの草野満代さんがNHKアナウンサー時代のご苦労と女性の自立についてお話をされる。 第二部は大阪樟蔭女子大(森田洋司学長)、武庫川女子大(たつみ都志教授)、京都女子大(槇村久子教授)、そして学から私と関西エリアの女子大4校から1名ずつパネリストが出て、朝日新聞の論説委員の川名紀美さんの司会で女子大の社会的役割とキャリア教育を論題にあれこれと論じるという趣向である。 ご案内のように、私は「女子大の社会的役割」というのは言語化できないというのが持論である。 女子大の社会的役割というのは、ドミナントな

    yukio2005
    yukio2005 2007/09/24
    「言い方がなんか威圧的」という点では変わりがない。
  • 昼寝のすすめ - 内田樹の研究室

    夏休みもあと一週間でおしまいである。 今年はほとんど休みらしい休みがとれなかった。 海にも山にもゆかなかった。 唯一の夏休みっぽさは「昼寝」を存分にしたことだけである。 昼寝というのは不思議なものである。 抗しがたい眠気に屈して、よろよろとベッドに倒れ込んで眠りに入るときには至福のヨロコビが訪れるのであるが、目が醒めたときにはべっとり汗をかいていて、頭はぼおっとして、日は西にすでに傾き、無為に何時間かを過ごしてしまったことへの悔いに臍を噛む思いをする。 幸せの予感で始まって、後悔と自己嫌悪で終わる。 なんだか人間的経験の縮図のようである。 そのような縮図的経験をほぼ毎日繰り返していたことになる。 ところで、人間というのは「一夜明けると別人」というペースでだいたい変化するわけであるが、昼寝をすると、これが別人になるチャンスが一日二回訪れるということになる。 「昼寝前」に頭の中にぎっしりとひし

  • お疲れさまだよね - 内田樹の研究室

    安倍首相辞任のテレビニュースを見ていたら、ほとんどの人が「罵倒」に近い言葉づかいで政権放棄のていたらくを難じていた。 私は安倍晋三という人はかなり無能な首相であったし、政治的判断を誤り続けていたと私も思うが、ここまで日中で悪し様に言われると、ちょっと気の毒になってくる。 テレビ・ニュースで、マイクを向けられた渋谷の女子大生が「お疲れさまだよね」とぽつんとつぶやいていた。 思わずテレビ画面にむかって「おまえ、いいやつだな」と声をかけてしまった。 たいせつだよ、そういう態度は。 「水に落ちた犬を打つな」だか「水に落ちた犬は打て」だったか、この魯迅が言い出したということわざの正しい使い方が私にはよくわからないが(麻雀では「水に落ちた犬は打って蹴って沈めろ」が大原則であるが)、今の場合は「水に落ちた犬は打つな」を採りたい。 彼は総理大臣になるべき人ではなかったのである。 多少は彼自身も求めたこと

  • 私は今日も忙しい - 内田樹の研究室

    健康診断があるので、ひさしぶりに朝から大学へ。 着くや否や「あれこれ」ときびしい職掌上の諸問題について報告を受ける。 うう。 困ったものである。どないしよ。 診断では特に悪いところはないけれど、問診票の「煙草はXX歳から、酒は毎晩がぶがぶ」という自己申告にきびしいご批判をいただく。 煙草を止めて、酒を控えれば中性脂肪やγGTPは標準値に戻りますよと言われる。 はい、ご指摘のとおりです。 だが、その場合私のことであるから当然周囲の喫煙者や飲酒嗜癖者に対して嵩にかかった「おめーらまだ煙草吸ってんのかよ。バカじゃねーの。げ、酒なんか呑んでやんの、死ぬぜ、おい」というような攻撃的コメントを四六時中繰り出すことは避けがたいであろう。 その心理的ストレスに絶えずさらされる私の知人たちは当然その死期を早めることになる。 その場合、人類トータルでの「余命」はむしろ減少するのではないか。 私は共同体全体での

  • 若者はなぜうまく働けないのか? (内田樹の研究室)

    CIRCUSという雑誌の取材がある。 お題は「どうして若者はうまく働くことができないのか?」 一方に引きこもったまま労働しない若者がおり、一方に過労で倒れそうな若者がいる。 いずれも「うまく働いている」わけではない。 どうしてなのか。 たしかに「どうしてなんでしょう」と訊きたくなる気もわかる。 お答えしよう。 これは複数のファクターの総合的な効果であるから、単一の原因を探してもダメである。 第一は働く個人の側の問題である。 『下流志向』で分析したように、労働を経済合理性の枠内でとらえると、労働者は自分の労働の成果に対して、「等価の」報酬が、「遅滞なく」、「固有名宛て」に給付されることを望む。 学生たちが知っている「work」の経験はさしあたり受験勉強と就活だけであるが、それはまさに、努力に対する報酬(成績や合否採否)が(成績発表、内定通知の日に)「遅滞なく」、努力にふさわしい評価として、固

  • この夏最後の出稼ぎツアー - 内田樹の研究室

    「県立学校2年次校長学校経営研修講座」の講師に招かれて、兵庫県立教育研修所というところに出かける。 御影から六甲山に登って、トンネルで裏へ抜けて、中国道を20分ほど走って滝野社ICで降りて、10分くらいのところにある。 県立高校の校長先生たち相手の研修である。 今年の夏はずいぶんいろいろなところで学校の先生たちを相手の講演をやった。 舞子での兵庫県私立教員研修会、兵庫県教組宝塚支部の8・15集会、大阪府教組の研修会、神戸海星での兵庫県の学校図書館の会議、それから今回。 お相手も中堅教員、教組組合員、司書、校長先生と多種多様である。 原則として教育現場からお声がかかったときには必ず行くようにしている。 メディアで発言する知識人の中に、教育現場の先生たちを応援する立場から発言する人がぜんぜんいないからである。 教育現場の実情をほとんど知らない人たちでも、とりあえず教員の悪口さえ言っていれば、そ

  • テレビの仕事 - 内田樹の研究室

    福田康夫と麻生太郎が生出演する「報道ステーション」を見る。 私はもともとテレビをまるで見ない人間なのであるが、「選挙速報」を甲野先生たちとわいわいツッコミを入れながら見たときに癖がついて以来、政治番組だけは一人でも見ている。 古舘伊知郎のインタビューを聴きながら、なんだか違和感を覚える。 彼は何か有用な情報を聞き出したいのか、それとも「質問してもきちんと答えない」様子を生放送で全国に放送したいのか、そこのところが私にはよくわからなかった。 相手が答えにくいような質問をして、その絶句するさまや、答えをはぐらかすさまから、その人の人物識見度量などを判定するということはたしかに可能である。 劫を経たジャーナリストの中には「それだけ」しかテクニックがない人(T原S一朗とか)もいる。 セレブたちが思いがけない質問に対応に窮するさまをみて視聴者が溜飲を下げるとか、爽快感を覚えるということもたしかにある

  • めちゃモテ日本 - 内田樹の研究室

    CanCamの「ひとり勝ち」状態について、これまでメディア関係者から何度か訊かれたことがある。 「どうしてなんでしょうね」 そんなこと私に訊かれても。 しかし、ありがたいことに学の学生諸君には多くのCanCam読者がおり、彼女たちは当該雑誌と競合誌『JJ』や『ViVi』との記号論的差異について、世界でいちばん詳しい。 その中のひとりであるM村くんが、CanCam系ファッションの究極の目的であるところの「めちゃモテ」とはどういう状態を指すのか、というたいへん大胆にしてラディカルな問題提起をゼミでしてくれた。 こういうおいしい「現場ネタ」を寝ころんだまま拾えるのが女子大教師の特権である。 同僚の教師諸君の多くは教室で「学生に知識を教える」ということをされているが、私はできるだけ「学生から知識を教わる」ようにしている。 お給料をいただいてそれでは「やらずぶったくり」というか「盗人に追い銭」では

  • 内田樹の研究室: うなぎくん、小説を救う

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  • 銃規制と憲法修正 (内田樹の研究室)

    アメリカのヴァージニア工科大学で、一人の学生が銃を乱射して、32名を射殺したあと自殺するという衝撃的な事件が起きた。 二人の高校生が級友、教師13名を射殺したコロンバイン高校事件に続く惨劇である。 市民が無差別に銃撃される事件が起こるたびに、銃規制についての議論がアメリカ国内で再燃する。 しかし、何も変わらない。 依然としてアメリカ国内には2億2千万丁の銃があり(それはほぼ全国民に一丁ずつということである)、銃による死者は毎年約3万人に達する。 イラク戦争開戦以来の米軍兵士死者が3年間で3000人だから、単年度当たり戦地の30倍のアメリカ人が「銃後」の非戦闘地帯で撃ち殺されていることになる。 1981年以後のアメリカで銃による死者は60万人。 これは鳥取県の人口に等しい。 アメリカ人は一県分の人間を20年かけて銃で消滅させたのである。 にもかかわらず、アメリカでは銃規制が進まない。 それは

  • 「赤旗」発武蔵小山経由イタリア行き - 内田樹の研究室

    いろいろなところから、いろいろな主題について取材が来る。 月曜日は「赤旗」の取材。 お題は改憲について。 『九条どうでしょう』に書いたとおり、九条と自衛隊の「不整合」は戦後日社会システムのすべての「汚れ」を投じる「クラインの壺」なのであるから、これは断固死守せねばならないという持論を語る。 九条二項を廃絶してしまった後に日人は「日は戦後一貫してアメリカの軍事的属国であり、いかなる固有の世界戦略を持つことも許されていない」というリアルでクールな事実に直面しなければならないのだが、どう考えても現代日人にはその事実を受け止める「心の準備」ができていない。 「九条と自衛隊の不整合のうちに戦後日のすべての不幸の原因はある」という「症状」のうちに私たちは 60 年間安住してきたわけであるが、その症状を奪い去られたあとに、私たちはそれに代わってどのような「狂気」を患えばよろしいのか。 いちばん

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    2024夏休み旅行 神戸・2日目【前編】 zfinchyan.hatenablog.com ↑1日目はこちら 6:50 わたしと夫だけ先に起床 前日に買っておいたお芋のパンで朝ごはん 昨日の疲れからか、なかなか息子たちが起きてこなかったので、ゆっくり寝かせてから10:00にホテルの下にあるプレイゾーンに行って、パターゴルフやバス…

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  • ついにロレンス・トーブさんに会う - 内田樹の研究室

    また東京出張。 多田塾研修会にプラス仕事が三つ。 研修会で多田先生と呼吸合わせをしているうちに「ミラーニューロン」が活性化してくる。 この訓練法が脳科学的に意味することが何となくわかってくる。 他者の体感との同調と、私自身の他者化である。 「他者の体感との同調」というのはご理解いただけるであろうが、「私自身の他者化」というのは聞き慣れない言葉である。 それをご説明しよう。 鏡像段階というのはラカンの有名な理説である。 人間の子どもはある時期鏡につよい関心を持つ。 もちろん子どもには鏡像という概念がないから、そこに映っているものが何であるかわからない。 けれども鏡の前で手足を動かしているうちに、自分の手足と鏡像がシンクロしていることに気づく。 どうして「シンクロしている」ことがわかるのか。 これはミラーニューロンの働きで説明ができる。 つまり、「何か」が動くのを見ていると、見ている人間の脳の

  • 言い訳上手になりました - 内田樹の研究室

    NHKが01年放送の「女性国際戦犯法廷」のドキュメンタリー番組で政治的圧力を受けて番組内容を改変した事件について、東京高裁がNHKに賠償命令を下した。 隣の記事は関西テレビの「あるある大事典」の捏造問題の中間報告。 テレビメディアの中立性やフェアネスに対する社会的信用はずいぶん低下したようである。 まあ、身から出た錆である。 でも、「テレビの言うことならほんとうだろうと思っていたのに・・・裏切られた気持ちです」というようなナイーブなコメントを新聞が掲載しているのを見ると、「嘘つきやがれ」と思う。 テレビが虚偽を報道したのを知って「裏切られた気持ちです」というようなことをしゃあしゃあと言ってのけるという「市井の無垢(で無知)な視聴者」のポーズそのものが「テレビ化された定型」に他ならないからである。 「テレビ底なしの不信」というような新聞の見出しはまことに「テレビ的」である。 そのことに気づい