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日本語に関するRanTairyuのブックマーク (13)

  • 「若者言葉に耳をすませば」が面白すぐる件について - 煩悩是道場

    山口仲美さん著の「若者言葉に耳をすませば」という書籍を手にする機会があったのですが、いろんな意味で面白い。あまりにも面白いのでちょっとご紹介。 ◆「若者言葉に耳をすませば」はどのような書籍か「若者言葉に耳をすませば」がどのような書籍であるのかについて山口さんは以下のようにお書きになられています。このは、若者たちが自らは解説できない若者言葉の成り立ちや特色、目的を明らかにすることを目指しています。さらに、若者たちの音をお伝えし、中高年との架け橋になることを目指しています。若者言葉に耳をすませば p15若者言葉の成り立ちや若者たちの音がわかれば中高年との架け橋が作れるのでしょうか。なんだか良くわかりませんが、取り敢えず読み進んでみます。 ◆豊富に登場する若者言葉「若者言葉に耳をすませば」は、プロローグのあと大学生を交えての座談会が記録されています。座談会で出てくる若者言葉はともかくと

    RanTairyu
    RanTairyu 2008/03/03
    「例を見て「がーん」となって見たい方は、お読みになってみては。」
  • 古川 享 ブログ: MS IME野甲斐、さらに十章に....(の怪、さらに重症に....だってば)

    You are about to permanently delete this entry. When you delete an entry, you also delete any comments and trackbacks associated with it. This action cannot be undone. Delete|Cancel さらに、「MS IMEのかいげんしょう」では「MS IME の怪減少」...怪は増大しているっていうのに、減少は無一緒(ははっ、「ないでしょう」、の代わりに「ないっしょ」と入力してみたら...次候補は「な一緒」まともな感じ「漢字」に変換できないのに、最近の若者言葉の変換はとても無理だよねぇ)  重症を選んだのちに、もう一度「じゅうしょう」と入力すると他に候補がありますよ、それは「十章」って余計なことを何度でも同じ間違いをやってくれま

  • どう訳す.orgが欲しくなった - 書評 - 訳せそうで訳せない日本語 : 404 Blog Not Found

    2008年01月21日03:45 カテゴリ書評/画評/品評翻訳/紹介 どう訳す.orgが欲しくなった - 書評 - 訳せそうで訳せない日語 こういうものこそ、Wiki化して欲しい。 訳せそうで訳せない日語 小松達也 というか、どう書く?orgの(通訳|翻訳)者用。iKnow!とはちょっと方向性が違うので。 書、「訳せそうで訳せない日語」は、同時通訳のネ申が、ネ申でも頭をひねるような難題日語をどう訳していくかを実に寛大に披露してくれた。日語を英語にする機会がある人は、それだけで必携といっていい。 目次 - ソフトバンク クリエイティブの:[SB新書]訳せそうで訳せない日語より 【目次】全4章に75の見出し語、400余りの用例を掲載。 第1章 幅広い意味を持つ日常的表現(当たり前、甘い、おかしい) 第2章 心の動きを表わす動詞(行き詰まる、一喜一憂する、うらむ) 第3章 政治

    どう訳す.orgが欲しくなった - 書評 - 訳せそうで訳せない日本語 : 404 Blog Not Found
  • tonan's blog: 「わ」と「れ」の左側は同じ形ではない

    トナン・大熊肇の(ほぼ文字についての)覚え書きです。 充分に検証していないこともありますので、眉につばをつけてご覧ください。 連絡先:hajimeアットマークtonan.jp(「アットマーク」を「@」に変えてください) 『文字の骨組み』2刷の間違いとご指摘 『文字の骨組み』初刷の間違いとご指摘 『文字の組み方』訂正箇所 『組版/タイポグラフィの廻廊』(白順社)に、「秘」は来は「祕」で「秘」は誤字であり、単なる誤字が由緒ある誤字になったのは王羲之が誤字である「秘」を書いたからだ、と書いた。 このように「のぎへん」と「しめすへん」は古来たびたび間違われている。 ひらがなも同様で、たとえば「わ」は「和」をくずしたものであり、「れ」は「礼」をくずしたものだから、左側の偏の部分は来は違うかたちになるべきだ。 上の図版は「元永古今集」の「われ」だ。 (丸1)が「わ・和」の基形で、(丸2)が「の

  • Passion For The Future: 日本語の源流を求めて

    語の源流を求めて スポンサード リンク ・日語の源流を求めて 日語タミル語起源説の大野晋が研究の集大成を一般人向けに平易にまとめた新書。 「北九州の縄文人はタミルから到来した水田耕作・鉄・機織の三大文明に直面し、それを受け入れると共に、タミル語の単語と文法とを学びとっていった。その結果、タミル語と対応する単語を多く含むヤマトコトバが生じたのである。」 日語とタミル語は文法も単語も共通点が非常に多い。物の名前が同じというだけならば、そういうこともあるかなというレベルなのだが、「やさしい」「たのしい」「かわいい」「にこにこ」「やさしい」「さびしい」「かなしい」などの感情を表す言葉までほぼ同じなのである。 さらには日的情緒の代表格「あはれ」までタミル語に同義でみつかるのだ。五七五七七の韻律を持つ詩もタミル語にある。日固有と感じられるものが実は南インドからの伝来のものであったというの

  • [書評]日本語の語源(田井信之): 極東ブログ

    書籍というのはある意味で売れれば勝ちなので売らんかなのトンデモも出版される。トンデモというのはある程度常識があれば笑って読み飛ばせるエンタテインメントでもあるし、昨今では偽科学・似非科学と揶揄され、少し学問を学べば判別がつくようにも思われている。確かに、科学の世界はグローバルな学会が存在するのでその中核的な学術集団のアートに真偽の信頼をしてもいいのかもしれない。が、これが人文学になると難しい。「極東ブログ: [書評]嘘だらけのヨーロッパ製世界史(岸田秀)」(参照)あたりなどでも簡単には判断できない。 そして一見すると主要な学術派閥からは無視され、あるいはトンデモ扱いされているが、これは正しいのではないかと思われる変なも存在する。昭和五十三年に角川書店から出された「日語の語源」(田井信之)(参照)もそのようなだ。 私はこのをほぼ三十年読み続けた。隅から隅まで読むといった感じでも

  • 「まあ」の法則

    1.素直に驚きや感動を表わす 例)まあ。なんて面白いブログなの! 2.十分ではないが、我慢できる程度を表わす 例)お前のブログは、まあ、こんなものだろう。 3.高い所から見下ろす 例)おまえの記事、面白かったよ。まあ、結論は平凡だけどな。 4.相手の気持ちを軽く抑える 例)まあ、落ち着け。 5.自信たっぷりに答える 例)A:お前もやれば書けるじゃん。 B:まあな。 6.とりあえず、相手に話を合わせる 例)A:私のブログ、面白いでしょ。 B:ま、まあな。 7.音を隠す/何か裏がある 例)A:小林君、ブログ始めたらしいんだけど、その後、どうなの? B:あいつは、まあ、カリスマブロガーやってるよ。 8.大人の事情を匂わせる 例)A:最近、小林君、オフ会に顔出さないけど、何かあったの? B:まあ、いろいろあってさ。 9.居直る 例)まあ、それが僕のブログについての持論みたいなものですから。 10

  • WEBダ・ヴィンチ

    WEB Davinci Last update 20 Jun,2004. WuƂɂ͏cDɊ҂BvԊO WuguKN̍hɕqȕ|͂ǂꂾHvԊO eWB fڎ҂ɂ͒IŐ}v[gI ̃v`i{ 6/5UP cȐ̖{oł�Â錻݁A ̒{ɂ낢{ɏo̂͂ȂȂނB vĂǎ҂݂̂ȂɁA_EB`ҏW Acホテル東京銀座 東京都 Anaインターコンチネンタルホテル東京 東京都 Bulgari Hotel 東京都 The Aoyama Grand Hotel 東京都 THE GATE HOTEL 東京 by HULIC 東京都 ウェスティンホテル東京 東京都 キンプトン 新宿東京 東京都 グランドプリンスホテル新高輪 東京都 ザ・キタノホテル東京 東京都 ザ・キャピトルホテル東急 東京都 ザ・プリンスギャラリー 東京紀尾井町, ラグジュアリーコレクションホテル 東京都 シェラトン・グランデ・トーキョーベイ・ホ

  • 池上嘉彦 「日本語は<悪魔の言語>か?——個別言語の類型論の可能性」

    German Version 17世紀に布教のため日を訪れたジュスイット派の宣教師が日語の複雑さに困惑した挙句、これは布教を妨げるための悪魔の仕業であるとして<悪魔の言語>であると断じたという伝説が残っている。もちろん勝手な決めつけに過ぎないけれども、ヨーロッパの言語とは異質な言語に遭遇したときの戸惑いとしては十分に理解できる。逆に日の識者の中にも日語の「異質さ」を殊更に強調する向きが一部にあり、これがまた「<日はユニーク>という神話」として外からの批判の的になることも知られている通りである。 言語学の枠内でも言語間の異同という点についての議論は、<相対性>を強調する立場と<普遍性>を強調する立場の間で大きな動揺があった。しかし、もっとも新しい傾向としての<認知言語学>の流れの中では、人間の認知の営みによって規定される一定の枠内での動揺という形で<類型論>的に捉えるという方

  •            修辞法の分類

    修辞法の分類 1.叙述の形と内容の対応 1.1.語音・字形と内容 ○声喩(onomatopoeia) 「ほろほろと山吹ちるか滝の音」(松尾芭蕉) ○継起的音喩 「I like Ike」(アイゼンハワーの大統領選のキャンペーン)、「スカッとさわやかコカコーラ」「でかいどお。北海道。」、「われわれが真理(verite)に捧げているところのものを、彼らは虚栄(vanite)に捧げている」 ○字喩(anagram) 「海よ、僕らの使ふ文字では、お前の中に母がいる。そして母よ、仏蘭西人の言葉では、あなたの中に海がある。」(三好達治「郷愁」 母(mere)と 海(mer)) 1.2.対称表現 ○対照法(antithesis) 「聞いて極楽見て地獄」、「針小棒大」、「温故知新」、「注意一秒怪我一生」 ○交差配語法(chiasmus) 「おおよそ、自分を高くするものは低くされ、自分を低くするものは高くされ

  • らさせていただく

    「この件につきまして、発表させていただきます」 この手の「させていただく」表現が世の中に溢れかえっている。 目立つようになってからもう長いことたつのでそろそろ収まるかと思っていたが、 ぜんぜんやむ気配はない。むしろしょうけつをきわめる一方である。 こいつが大嫌いである。もとより人に頭を下げるのが嫌いな元軍人の父をもち、 武士わねど高楊枝をきめこんでいるような偏屈な男であるから、 へり下る敬語表現自体をあまり好きでないという傲慢なところがある。へん、 オレがあんたに発表させてやってるってわけじゃないだろ? 自分の発表だったら堂々と自分の意志でやってるんだという態度でしゃべれよな、 というわけだ。 ところがそういう時代遅れの中年オヤジの意固地な思いなぞ、 もちろん誰にも聞こえるわけはなく、 あらゆるところでこの軟弱卑屈が幅を利かせるようになってしまった。 ちょっと巷の文例を蒐集してみたので

  • Passion For The Future: 日本語と日本人の心

    語と日人の心 スポンサード リンク ・日語と日人の心 1995年に開催された大江 健三郎,河合 隼雄,谷川 俊太郎という豪華な3人のパネルディスカッションの記録をベースに構成した日語・日文化論。 西欧的な論理性の文体の小説家である大江と、翻訳不能な母語の土着性を重視する詩人の谷川は、日語に対して意見の隔たりが大きい。互いの仕事へのレスペクトを終始忘れない穏やかな言葉遣いでありつつも、質をめぐる議論では対立が明らかに目立ってきて、スリリングな展開がある。 大江氏曰く 「 ですから、文学の創造性ということを、神が創造性となぞらえて考えることは、私はまちがいじゃないだろうかとおもう。言葉という共通のものを用いながら、しかも個人の輝き、この人だけのものという輝きがあるものをつくりだすのが文学で、それは無意識とかいうことよりは、共通の言葉をどのように磨いていくかということに問題があ

  • 産経ニュース

    公明党が衆院選挙区「10増10減」に伴い新設された東京28区(練馬区東部)に公認候補を擁立する方向で最終調整していることが29日、分かった。早けれ…

    産経ニュース
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