靖国神社は長州だけの神社ではない ―― 今年も8月15日が巡ってきた。あらためて、先の大戦の意味、そしてこの戦後68年間の意味について考えてみたい。終戦時、亀井氏はどのように感じられたか。 亀井 終戦時、私は小学3年生、9歳で、素朴な軍国少年だった。広島の亀井家というのは貧乏な農家だったけれども、それなりに名前が通っていて、親父も村の助役をしていたものだから、作ったコメなんかみんな供出していた。自分たちはイモを食ってしのいでいた。終戦間際には、本気で竹槍で戦おうと思っていたんだ。いざ日本が負けた時には、肥後守で兄と割腹しようとしたのを止められた。 原爆が投下された8月6日、姉が爆心地から80キロほどの場所で被曝して、それでも救援のために多くの女学生と一緒に爆心地へ通い、二次被曝に苦しみ、後に亡くなった。 そんなこともあって、戦後社会を生きていく中で、何度も8月15日の意味についてはよく考え