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jun-muraiに関するa1otのブックマーク (2)

  • 「日本のインターネットの父」が語る大前研一(後篇)

    むらい・じゅん 1955年、東京生まれ。79年、慶應義塾大学理工学部数理工学科卒。84年、同大学理工学研究科博士課程修了。工学博士 (慶應義塾大学,87年)。東京大学大型計算機センター助手、京工業大学総合情報処理センター助手を経て、90年より慶應義塾大学環境情報学部助教授。97年、同学部教授。09年、同学部長。(「プレジデント」2000年10月16日号より。撮影・岡倉禎志) 大前さんの話は簡潔で、面白い。なぜ面白いのか。それは、大前さんが「経営コンサルタント」という肩書の印象と異なり、ご自分でいろんなことをなさる方だからだと思います。初めてお会いしてから4年後の1998年、大前さんはビジネス・ブレークスルー(BBT)を始められたし、2005年にはBBT大学院大学を始めた。どちらのときも、大前さんとはずいぶんお話させて戴きましたし、いろんな人をご紹介戴いたりしました。ご紹介戴いたのは、当時は

    「日本のインターネットの父」が語る大前研一(後篇)
    a1ot
    a1ot 2013/03/27
    『「常に新しい問題を探す」という視点を共有できるということが、分野を超えて人がつながるときに大事なこと』
  • 「日本のインターネットの父」が語る大前研一(前篇)

    大前さんと初めてお会いし、「プレジデント」誌上の対談を収録したのは、1994年の10月。このときの私は、相当苦しいときでした。それまで研究用のネットワークとして日のインターネットを動かしていた私は、仲間たちと1992年に日企業初のISP(インターネット・サービス・プロバイダ)であるIIJ(インターネットイニシアティブ)を設立して、ビジネスを展開しなければいけない時期を迎えていました。それがなかなかうまくいかない。当時の通信分野のレギュレーション(規制)の問題だけでなく、何よりもまず、さっぱりビジネスがわからない。かなり苦労している時期でした。 インターネットが日中で広く認識されたのは、大前さんとの対談の翌年――1995年です。この年の1月に阪神淡路大震災があり、インターネットは大きな役割を果たしました。11月には インターネットを組み込んだWindows95 が発売され、そこにはウエ

    「日本のインターネットの父」が語る大前研一(前篇)
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