1993年。世界中の企業と研究者チームが血道を上げて開発を競っていた青色発光ダイオード(LED)を、徳島のローカル企業のサラリーマンだった中村修二氏がたった一人で開発したとき、世界中が騒然となった。この発明で中村氏は社会的に大きな評価を受け、会社員としての将来も約束される。しかしそんな折、カリフォルニア大学から教授職のオファーを受けた中村氏は、好きな研究に自由に打ち込める環境を求めて、故郷への断ちがたい愛着を胸にしまい、渡米を決断。徳島のサラリーマンが46歳にしてカリフォルニア大学教授へ。 どれほど高い英語のハードルが中村氏を待ち受けていたのか? 2014年10月、ノーベル物理学賞を受賞し、世界の学術研究界から改めてその偉大な功績を称えられた中村氏の研究半生を、英語との関わり合いという切り口からたどる。 ―愛媛の高校を卒業した中村氏は、徳島大学・大学院に進学後、徳島の地元企業・日亜化学工
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