過去から現代、未来までを現代風デザインのマップで。
室町幕府二代将軍の足利義詮の名前の読み方について、「よしあきら」と「よしのぶ」という二つの読み方があるようだが、その根拠が分かる資料はないか。 以下の資料を確認しましたが、名前の読みの根拠となる史料等についての記述は確認できませんでした。 1.「よしあきら」と振り仮名のあった資料 ・『歴史人名よみかた辞典』日外アソシエ-ツ株式会社/編 紀伊国屋書店,日外アソシエ-ツ 1989.12 p.548 ・『国史大辞典 第1巻 あ-い』国史大辞典編集委員会/編 吉川弘文館 1979.3 pp.171-172 ・『室町時代人物事典』水野 大樹/著 新紀元社 2014.5 pp.37-38 ・『足利将軍事典』木下 昌規,久水 俊和/編 戎光祥出版 2022.2 pp.14-17 なお、凡例に「歴史上の用語、とりわけ人名の読み方については、定まっていないこと場合も多く、ルビで示した読み方が確定的なものとい
唐車(からぐるま) 屋根が唐破風(からはふ)なのでその名がある。屋根は檳椰樹(びんろうじゅ)の葉で葺(ふ)かれており、廂(ひさし)と腰(こし)にも檳椰樹の葉を用いる。上皇・皇后・東宮(とうぐう)・親王(しんのう)、または摂関(せっかん)などが用いる大型の牛車。 糸毛車(いとげくるま) 絹の縒糸(よりいと)で屋形全体を覆い、その上から金銀の 文を飾った車。内親王(ないしんのう)、三位以上の内命婦(うちのみょうぶ)などの身分の高い女性が用いた。東宮(とうぐう)が使用することもある。 半蔀車(はじとみぐるま) 屋形の横にある物見窓(ものみまど)が、引き戸ではなく、上に押し上げる半蔀戸になっていることによる名称。屋形そのものは檜の薄い板を編んでおり、いわゆる網代車(あじろぐるま)の一種である。上皇・親王・摂関、大臣のほか、高僧や女房が用いることもある。 八葉車(はちようくるま) 網代車(あじろぐる
「加持」とはadhiṣṭhānaの訳で手印・真言呪・観想などの方法で加護を衆生に与えること、「祈祷」とは呪文を唱えて神仏に祈ることを意味する。従って、本来は祈祷は加持を得るための手段の1つに過ぎないが、混同されて用いられることが多い。 真言密教においては、手に印契を結び鈷を用いて、護摩をたき、真言(マントラ)を口唱して仏の加護を求める。祈祷を行う儀式である修法(しゅうほう)には大きく分けて息災・増益・敬愛・調伏の4つの体系があり、これにより除災招福などの現世利益を期待した。 日本ではこうした加持祈祷は仏教伝来以後日本古来の呪法と結びつきながらしばしば行われ、聖徳太子が父用明天皇のために法隆寺を建立したこと、天武天皇が皇后鸕野皇女(後の持統天皇)のために薬師寺の建立を行ったことも加持祈祷の一環であったとされる。また、鎮護国家の思想とも結びついて「金光明経」や「仁王経」の読経が盛んに行われた。
一体、「南京」で何があったのか。 本来は笠原氏なり秦氏なりの新書を一冊読めば大体のところはわかるのですが、ネットではその手間すらかけずに、ネット情報のみでいい加減な発言をしている方を見かけることが珍しくありません。 例えば、よく見かける「南京大虐殺はなかった」という表現にしても、発言者はどこまで意味をわかって発言しているのか。 「中国側のいう30万人規模の大虐殺はなかった」ということでしたら、この点は日本側研究者のほぼ合意ですので、理解できないことはありません。しかし「南京における(少なくとも数万の)大規模な虐殺」の存在まで否定してしまうというのは、ちょっと無理な議論でしょう。 *掲示板では「なかった派」という奇妙な自称を行う方を多くみかけます。そしてそのような自称を行う方は、一体何が「なかった」と言いたいのか、自分でもはっきりとわかっていないことが多いようです。「大規模な虐殺」の存在さえ
ゴンザのことば 江戸時代の少年がつくったロシア語・日本語辞書をよむ1728年、船が難破して半年後にカムチャツカに漂着した11歳の少年ゴンザは、ペテルブルグで21歳でしぬ前に露日辞書をつくりました。それを20世紀に発見した日本の言語学者が、訳注をつけて日本で出版した不思議な辞書の、ひとつずつの項目をよんだ感想をブログにしました。 「ロシア語」(ラテン文字転写)「村山七郎訳」 『ごんざ訳』 村山七郎注 「улусы」(ulusy) 「小舎のつらなり」『しゅぢ』 cf. ショージ 小路、横丁。大阪その他・徳島・愛媛・高知。TZH. ショウヂ(小路) xogi 狭い道。または、狭い街路。日葡。 ごんざの訳語の『しゅぢ』は(ショージ)(小路)(ちいさい道)であるという村山七郎注がついている。 たしかにごんざのことばには長音がないし、現代日本語の(しょう)がごんざのことばで(しゅ)になる例
20分でわかる「虐殺否定論」のウソ All the lies in “denial of massacre” revealed in just 20 minutes. はじめに忙しい人のためにかいつまんで説明 1923年(大正12年)9月の関東大震災時、混乱のなかで流れたデマによって人々が自警団を結成し、軍や警察も関与する形で、朝鮮人を無差別に虐殺するという事件が関東各地で起こりました。この出来事は、歴史の常識として中学の教科書にも載っていますが、最近、「朝鮮人虐殺などなかった」と否定する人々がいます。しかしこうした主張は荒唐無稽であり、史実・論理・常識に照らして、全く成り立つ余地がありません。そのうえ、こうした考えが広がることは、私たちの社会にとって現実的な危険をはらんでさえいます。それはなぜでしょうか。忙しい人のために、かいつまんで説明しましょう。 その1「朝鮮人虐殺」は歴史学の常識
※このサイトは基本的にパソコンからのアクセスを前提としているため、スマホからのアクセスの場合、レイアウトが崩れるか、動作しない場合があります。 ・コラム類の更新は ブログ のほうでやっています。 ・最近のエジプト創作物(小説類)は 外部に出しています。 ・各ページの更新状況はページ左上か右上の「Last Update:」の日付を見て下さい。日付のないページは古代遺跡です。 2023/10/02 レンタルサーバの設定が変わってエジプトRPGコーナーのDLが出来なくなっていたので、設定を修正しました。 ◆たまに更新する資料 神々名簿・新版 神話に登場する神々のデータベース。 古代王国 歴史之書-王権の記録- エジプト歴代ファラオ様リスト、随時更新。 王家の谷:墓一覧 日本語の一覧表を作ってみた 古代エジプト暦とエジプト祭儀 古代エジプトの祭りに参加してみませんか。 エジプト学関連・人物名簿 世
逆名🌈🕊️🏳️🌈🏳️⚧️ @sakana6634 「かぐや姫の物語」見て来ました~。ストーリーはおいて表現についてだけ書きますが、一応まだネタバレ期間なので、以下、ふせったーで。 fse.tw/Gt5Ql#all 2013-12-02 19:43:51 【翁の竹取りシーン1】 冒頭でうわーってなったのが、翁が竹を切っているところ。迷いなく確と鉈を入れる手つき、(その音)、入れるときより力を込めて引く、繰り返す、周囲をちらっと確認してから元を掴んで倒す、(続) 【翁の竹取りシーン2】 (承前)竹は画面上では見えないけれど上の方は枝葉が繁っているから、まわりに引っ掛かって、ストーンとは倒れない。で、一連の淀みない動作に、翁がそれを生業にしてきたとわかる。 【織屋と化粧】 媼は新居にうつっても織屋をもち、時には姫も一緒に糸を紡ぐ、綛にとる、機を織る。機織りはいい…。うーん、日常風景
3750年前、メソポタミアでは世界最古の文明である古代メソポタミア文明で栄えていた。その当時のものとされる楔形文字が刻み込まれた粘土版が発掘され、書かれた文字の解読を行ったところ、顧客のクレームであることが判明したという。 どうやらこれは、銅のインゴットを買った顧客がその品質の悪さに腹を立て、「粗悪品すぎる。金返せ」。という内容の私信を貿易商に送った時のものだという。 石版の文字はナンニという顧客が、貿易商であるEA-ナシルに宛てたもので、現代語風に訳すると、このようなことが書かれていたという。 大英博物館に堂々と飾られていた石版の中身が顧客のクレームだったことで、海外掲示板では盛り上がりをみせていたようだ。 当時銅は、一般的な取引材料として使用されていた。チグリス川とユーフラテス川の間の沖積平野にあるメソポタミアでは、ペルシャ湾を介して、銅産業の盛んな、東アラビアのディルムンから銅の輸入
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く