「京都観光おもてなし大使」のライターとネコのミモロが、京都の情報や暮らし、グルメなどをご紹介。心和む雑誌のようなブログ 寺町通から夷川通へちょっと進んだところに、「食堂 ゑびす」と書かれた看板があります。ミモロは、ある日、お友達と一緒にその前を通りかかりました。「ミモロちゃん、お魚たべようよ~」というお友達。「いいよ~ミモロ、お魚大好きだし…」と、ネコとして断る理由はありません。 店のカウンターの上のお品書きを見てみると、いろいろな種類の魚料理が並んでいます。 「あの~どれがおすすめですか?」とカウンターのご店主に聞いてみることに。 「どれもおすすめですね~。僕は、朝は、京都の中央市場の鮮魚の仲買人をやってますから、そこから仕入れているんで、どれもおすすめなんです」というご店主の前田慎太朗さん。 ここのお店は、約1年前に、前の店主から引き継ぎ、妹さんの砂百合さんと始めたのだそう。 「え~鮮
シンガポールとタイの御礼参りを終え、マレーシアのクアラルンプールに到着をした。出会う方々がみなさま優しい方々ばかり過ぎて、まるで自分は(サムシングビッグ的なサムシングに)祝福をされているのではないだろうかと勘違いをしそうになる。しかし、経験則的に「調子に乗ったら即死する」ということはなんとなくわかってきたので、調子に乗ってしまわないように、冷静に、呼吸はゆっくりと、丹田に力を込めつつ、話すこと以上に「訊く」ことに意識を置いていけたらと思う。真の自由とは、自分の好きなことができるとか自分の好きな場所に行けるとか自分の好きなひとに会えるとかいうことではなく、どちらかというと「自分が消えている【自我が消えている】」トランスペアレントな状態を指すのだと思う。 【クラウドファンディングを公開しました!】 昔から「家族とはなんぞ??」という思いがありました。多分、私は『ごちゃまぜの家族』をつくりたいの
お玉の井は、元禄7年(1694年)に桂昌院が寄進したもので、手水盤は京都西町奉行の小出守里が寄進しています。 桂昌院は、3代将軍家光の側室で、5代将軍綱吉の生母です。 もともとの名は、お玉といい、将軍に嫁いだことから、玉の輿の語源となったことで知られています。 桂昌院の出身は今宮神社が建つ辺りで、彼女は荒廃していた当社の再興に尽力しています。 上の写真に写っているお玉の井は、本殿が建つ北の方角を向いて置かれています。 建築当初の水盤の位置は東向きだったのですが、後世に北向きに変えられました。 多くの神社では、手水屋は本殿に向いて置かれていませんね。 なぜなのかはわかりませんが、本殿向きに手水屋を置くと、参拝者が手を清める時に本殿にお尻を向けることになるので、あまりよろしくないような気がします。 北に本殿が建っている神社だと、東向きか西向きになっていることが多いのではないでしょうか。 なお、
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