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ブックマーク / blog.gururimichi.com (5)

  • 川上量生『ルールを変える思考法』曖昧な“コンテンツ”にこそ価値がある? - ぐるりみち。

    最近になって、「 “コンテンツ” って、なんぞ?」ということを、改めて考えるような機会が増えた。前々から、小説やコミック、映画ゲームといった、広い意味での “物語作品” について、ある程度の関心は持っていたけれど、その気持ちが高まっているような。 視点をネットに移せば、おもしろFLASHを見て爆笑していた中学時代から、mixiなどのSNSを使ったコミュニケーションを経て、YouTubeやニコニコ動画、pixivなどの文化圏に触れてきた。 そこにあるコンテンツの大半はユーザーの作品であり、それゆえ、雑多でごちゃごちゃでカオスなものが多い。現実世界で型通りにパッケージされている “作品” とはどこか異なり、自分をわくわくさせてくれる何か、同様の仲間を集めて離さない魅力のようなものがあったように思う。 そして、ここ数ヶ月。メディアで実際にそれらを発信している人と話す機会があったり、自身もブログ

    川上量生『ルールを変える思考法』曖昧な“コンテンツ”にこそ価値がある? - ぐるりみち。
    daumaneko
    daumaneko 2014/08/25
    普段、コンテンツという言葉をよく使いますが、何かと問われると答えられませんね。そういうよくわからないものが、コンテンツなのかな?
  • 毎日お風呂に入らない人は“不潔”なの?調べてみた! - ぐるりみち。

    僕はお風呂が大好きだ。どのくらい好きかと言えば、ひとり暮らしをしていたころは毎週末にスーパー銭湯へ行くのが何よりの楽しみで、行けば2時間以上はゆっくりとするくらいに大好きだ。 僕は温泉も大好きだ。どのくらい好きかと言えば、評判の温泉が山奥にあると聞いて、レンタカーを借りて200kmの道をかっ飛ばし、霧で10m先も見えない山道を夜遅くに登り、道の駅で凍えながら車中泊をして、翌朝、一番乗りで温泉にダイブするくらいに大好きだ。 そんな、根っからの「風呂ボーイ」である僕。しかし一方で、冬になると実家では、2日に1回しかお風呂に入らない。理由は単純。「昔からそうだった」から。ひとりのためだけにお湯を張るのも申し訳ないし、特に文句もないので、ずっとそうしてきた。 ところがどっこい。大学生時代の話である。サークルの仲間と数人で飲みに行ったときにそのことを話したら、ドン引きされてしまった。しかも男子に。

    毎日お風呂に入らない人は“不潔”なの?調べてみた! - ぐるりみち。
    daumaneko
    daumaneko 2014/02/09
    毎日風呂に入る方が不潔です。風呂に入れば皮膚常在菌が流されてしまい、一時的に無菌状態となります。その間に空気中の好ましくない菌が体に付着してしまうのです。汚れてなければ風呂に入る必要はありません。
  • あ、「脱社畜的思考」の本を読んだので、とりあえず感想書きます。 - ぐるりみち。

    「脱社畜ブログ」で有名な日野瑛太郎さんの新著、『あ、「やりがい」とかいらないんで、とりあえず残業代ください。』(東洋経済新報社)を読みました。うん、相変わらずのぶった斬り具合でありました。 あ、「やりがい」とかいらないんで、とりあえず残業代ください。 posted with ヨメレバ 日野 瑛太郎 東洋経済新報社 2014-01-10 Kindle Amazon 目次と概要 第1章 あ、今日は用事があるんで定時に失礼します。――ここがヘンだよ、日人の働き方 第2章 いえ、それは僕の仕事じゃないんで。――日のガラパゴス労働を支える「社畜」 第3章 はい、将来の夢は毎日ゴロゴロ寝て暮らすことです!――社畜が生まれるメカニズム 第4章 えー、「従業員目線」で考えますと……――脱社畜のための8カ条 書は、このような4章構成。「働き方」に関して、現代日において「当たり前」とされている価値観に

    あ、「脱社畜的思考」の本を読んだので、とりあえず感想書きます。 - ぐるりみち。
    daumaneko
    daumaneko 2014/01/10
    当たり前に疑問を持つことは、大人になると大切。でも、習慣はなかなか変えられないですね。自分だけの問題じゃなかったりしますし。
  • ネット上での議論は本当に「無意味」なの? - ぐるりみち。

    「ウェブ上での議論は無意味だ」という意見をよく耳にする。人それぞれの持っている意見が異なり、自らの主張を正しいと信じて疑わない彼らは、相手を打ち負かすことしか考えていない。そんな相手と議論をしても妥協点など見つけられるわけもなく、何の価値も見出せない。 もちろん、そのような人は、インターネット上に限らず、現実にも数多く存在するはずだ。にも関わらず、「ウェブ上での」という言葉が付いてくるのは、多くの人が「それ」を経験しているからだと思う。 つまり、過去にネット上で議論をして、その意味のなさを、身をもって知っているためだ。掲示板やチャット、SNSなどで議論を行い、「どうせ話しても理解されない」「罵り合いに発展するだけ」「感情的でついていけない」と理解してしまった人たち。そんな、経験に基づいたある種の諦観があるからこそ、「無意味だ」と断言できるのだろう。 ところが、他方では、ネット上で「議論的な

    ネット上での議論は本当に「無意味」なの? - ぐるりみち。
    daumaneko
    daumaneko 2014/01/02
    答えを出す必要のある議論と答えを出さなくてもいい議論があるのではないでしょうか?たくさん議論すればいろいろとわかることがあると思いますよ。
  • 新聞は時代遅れで、インターネットは最先端なの? - ぐるりみち。

    インターネットの普及によって訪れたのは、誰もが情報を受信・発信できる時代。情報の受け手と送り手の境界は曖昧になり、「情報」の価値は今もなお変化しつつある。それによって、テレビや新聞といったこれまでのマスメディアは衰退した──と言われている。 しかしそれらオールドメディアと呼ばれる媒体は、はたして当に「時代遅れ」なのだろうか。全盛期と比べれば、視聴率や売上は確かにたしかに低迷している。とはいえ、それでもなお多くの人の生活の一部としての役割を果たしているテレビや新聞が消えていくだけのものとは、どうしても思えない。 スポンサーリンク 「時代遅れ」の意味するところ 先日、次のような記事を読んでいて、ちょっとした違和感を覚えた(※現在、元記事は削除されています)。 ニュースサイト「ザ・ハフィントン・ポスト」日版を運営する会社の最高経営責任者(CEO)でもある小野さんは「世界で流通する膨大な情報量

    新聞は時代遅れで、インターネットは最先端なの? - ぐるりみち。
    daumaneko
    daumaneko 2013/12/22
    機能のネット、質の新聞。これはそのとおりだと思います。でも、プロがネットで記事を書き始めると、新聞と同じ質になりそうですよね。そのうち新聞を読まない人が多くなった時、新聞を読む人が最先端になるのでは?
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