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ブックマーク / www.logico-philosophicus.net (8)

  • 哲学の劇場 > Geo-Philosophical Book Map > ジル・ドゥルーズ『ニーチェと哲学』

    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2012/04/24
    「。哲学は国家や教会の役には立たない。国家や教会には別の関心事がある。哲学はいかなる既成の権力にも役立たない。それは悲しませるのに役立つ。誰も悲しませず、誰も不愉快にしないような哲学は哲学ではない」
  • 哲学の劇場 > Geo-Philosophical Book Map > F.M.コーンフォード『ソクラテス以前以後』

    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2011/04/21
    これだ
  • 哲学の劇場 > Geo-Philosophical Book Map > レイモンド・ウィリアムズ 『文化と社会:1780-1950』

    文化」ほど、複雑でつかみどころのない概念はないだろう。文学や音楽から社会構造や生活様式まで、さまざまなテクストを指示するときに使われるこの一語は、統一された用法を持たず、そのため人文/社会科学系の分野でさまざまな論争を引き起こしてきた。解釈があまりに多岐にわたるがために、その存在意義を問う者も少なくない。 1958年に出版された『文化と社会:1780-1950』は、そんな混乱状態から「文化」を救い出す大事な手がかりを与えてくれる。イギリスのマルクス主義文学者レイモンド・ウィリアムズの目的は、大まかにいえば二つある。まずは「文化」の言説を歴史的に辿ること。二つ目は、「文化」(上部構造)を「市場経済」(下部構造)との関係のなかで論じることである。後に注目を浴びることとなる『長い革命』『マルクシズムと文学』『田舎と都市』『キーワード』の知的基盤が、書にある。 現在用いられる意味での「文化」と

  • 哲学の劇場 > Geo-Philosophical Book Map > アーサー・C.ダント 『ポスト歴史時代における芸術』

    近ごろ、美術館へ足を運ぶと、一見「芸術」とは思えないような展示物に出くわすことがある。青い直線が一だけ引かれた真っ白なキャンバス、ごみ箱から拾い集めたあき缶でつくられたスポーツカー、そして素人でも撮れるようなポラロイド写真。40年も前には、ほとんど見られなかった光景だ。どうして近年の美術館やアートギャラリーには、こういった作品が目につくようになったのか?哲学者アーサー・ダントによれば、それは「芸術」が「終焉」したためである。つまり、ヘーゲルをはじめとする西洋の思想家が定めた「芸術」の向かうべき「真理」への方向性が、1960年代−特にアンディ・ウォーホルのポップ・アート−を境に、「破壊」されたためである。しかし、この「絶対芸術」に向けて轢かれたレールの「解体」は、ダントによれば、西洋の規定した「美」の一元的追求からの「解放」という意味あいを持つ。そして、この芸術的に「解放」された60年代中

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    ishikawa-kz 2011/01/24
    未邦訳「そもそもなにが絵画Aを「芸術」と定め、絵画Bをそうではないとみなすのかは、ダントに言わせれば、一種の「理知の言説」(discourse of reasons)による。」
  • 哲学の劇場 > 資料 > メルロ=ポンティ・コレクション

    「『哲学とは永遠の開始者である』、とメルロ=ポンティは『知覚の現象学』の序文に書いている。それは『哲学者というものは世人や科学者たちが知っていると思い込んでいるどんなことでも既得のものとは見なさない』ということであり、『徹底こそ反省の端緒的かつ恒常的かつ終局的な情況である』ということである、と。この言葉はソクラテス以来の『無知の知』と同義である。とどうじに、両義性の哲学者といわれるメルロ=ポンティのしなやかな思考を集約した言葉でもある。柔軟かつ徹底的な反省をうながす思考。二一世紀に問われるのは、まさにこのような思考ではないだろうか。 ここに、二十世紀を代表するフランスの哲学者、モーリス・メルロ=ポンティの著作、論文をテーマ別に最構成して、新たにおくりたい。フッサールに始まったといわれる現象学とは何だったのか。ハイデガーの哲学をメルロ=ポンティはどう生かそうとしたのか。この哲学者にとって、

  • 哲学の劇場 > Geo-Philosophical Book Map > R.D.レイン 『ひき裂かれた自己』

    分裂病質者と分裂病者についての実存的-現象学的研究。書の目的は狂気、そして狂気へと至るプロセスを了解可能にすることである。レインによれば、「精神病と判断された人を理解することは一般に考えられているよりはるかに可能」なのである。 さて、精神分裂病質者(Schizoid)とは、その人の体験の全体がふたつのしかたで裂けている人間のことである。つまり、世界と自分とのあいだの断層があり、さらに自分自身とのあいだに亀裂が生じているのである。自分と世界との違和は彼(彼女)に、世界にたいして演技をすることを強要する。演技によってその断層を埋めようとさせるのである。その結果、彼(彼女)の自己はにせ自己と内的自己とに分裂してしまう。この場合、世界と直接に関係するのはもっぱらにせ自己であり、その一方で内的自己は世界との関係からは不可侵な領域、彼(彼女)だけの秘密の領域(「真の」自己)として確立される。にせ自

  • 哲学の劇場 > Geo-Philosophical Book Map > ルクレティウス 『物の本質について』

    書は、ローマの詩人ルクレティウス(Titus Lucretius Carus、c.94-c.55B.C.)の現存する唯一の作品である。友人メンミウスを相手に、エピクロスの自然にかんする説を叙事詩の糖衣につつんできかせるというスタイルで書かれた書は、エピクロスの思想を現在にまで伝える貴重な資料でもある(註1)。 書には第1巻から未完とされる第6巻までをとぎれることなく流れる二つの通奏低音がある。ひとつは一貫した原子論であり、もうひとつは反宗教的態度である。ルクレティウスによれば(註2)、ひとびとが自然や死をおそれ、それらの原因を神々に帰し、宗教に影響されているのは、ひとえに自然や死にかんする知識を欠いているからだ。その原因を知り、死や自然がいかなるものかを理解すれば、それが一向に神々とは関係なく、またむやみに恐れるべきものでもないことが感得されるであろう、というわけである。ここでルクレ

  • 哲学の劇場 > 作家の肖像 > マルティン・ハイデガー

    ハイデガー, マルティン 【Heidegger, Martin】 (1889/09/26-1976/05/26) 1889年09月26日、ドイツ南西部バーデン=ヴュルテンベルク州(当時バーデン州)のメスキルヒに生まれる。父は教会の堂守フリードリッヒ、母はヨハンナ。1903年、ハインリッヒ・ズーゾ・ギュムナジウムに中途編入学。1906年、フライブルクのベルトルト・ギュムナジウムに転校。1909年、ギュムナジウムを卒業。イエズス会修道院に入るが心臓疾患により二週間で退院。フライブルク大学神学部に入学。1912年02月、大学を休学してメスキルヒへ帰る。10月復学する際に理学部へ転部。1912年04月、哲学部へ転部。1913年、学位論文「心理学主義における判断論」で博士号取得(翌年出版)。1914年、第一次世界大戦で従軍するが心臓疾患のため数日で除隊。1915年、教授資格論文「ドゥンス・スコトゥス

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