前年の1918年にはアメリカのウィルソン大統領が第1次世界大戦後の国際秩序を構想して民族自決を含む14カ条の平和原則を提唱していた。民族自決とは、各民族が自らの意志にもとづいて運命を決する権利を持ち、他の民族や国家による干渉を認めないとする考え方である。ただし、これはヨーロッパの民族を想定しており、朝鮮とは基本的に無縁であった。 とはいえ、朝鮮の独立運動家にとっては希望の光となる。彼らは高宗の国葬によって人々が京城に集まるという好機をとらえ、大衆を動員した独立運動を起こそうと考えた。東京在住の朝鮮人学生も、1919年2月8日に二・八独立宣言書を発表し、運動実践のために朝鮮に戻っていった。 そのころ京城では延禧専門学校や京城医学専門学校の学生たちがたびたび各校の代表会議を開いて国葬の際に事を起こす計画を練り上げていた。他方で、天道教教主の孫秉熙(ソンビョンヒ)もキリスト教や仏教とともに宗教界