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ブックマーク / kuriggen.hatenablog.com (4)

  • クロスロード=クリティーク - 労働と奴隷の生きられた弁証法

    平井玄の書評をネットで見つけて、少し自分自身、回想を思い巡らせてみた事柄がある。 「格差」の話に飽きた人のために この喰って寝て働いて、また喰って寝て書いて生殖して、怒りながら働いて、またまた喰って副作用に怯えながら働いて、寝る。こういうリアリティの中で考え抜くことが「肝」だとますます思うようになった。当たり前だけど。そして肝心の肝臓が悪くて酒飲めないんだけど。そうでなければ、この「透明な牢獄」を抜け出せないだろう。 でもー、いやだからこそ「格差」の話にはウンザリした。なぜなら、俺たちは「仕事」がしたいわけじゃない。「労働」がしたいわけじゃない。「会社」に入りたいわけじゃない。そんなものはみんな、結局「奴隷」になることだからだ。 金も……いやいや欲しいよ、金はねー。とりあえずそれがないと、う物も寝る所もなくなるから。だから一番腹が立つCMは、あるメガバンク系カード会社のものだ。「お金で買

    クロスロード=クリティーク - 労働と奴隷の生きられた弁証法
  • 宗教にとって原理主義とは何なのか? - kuriggen’s diary

    神学校内に依然1千人以上立てこもり パキスタン銃撃戦 http://www.asahi.com/international/update/0704/TKY200707040439.html パキスタンの首都イスラマバード中心部のモスク(イスラム礼拝所)に併設された神学校で発生した治安部隊と武装学生の銃撃事件で、内務省報道官は4日、これまでに650人の学生が政府の呼びかけに応じて投降したことを明らかにした。同日夜にはモスクの指導者の一人が逮捕された。ただ、校内にはなお1千人以上の学生が立てこもっているとみられ、一触即発の状態が続いている。 このモスクと神学校は、イスラム原理主義タリバーンを支持する宗教指導者の兄弟が運営。神学校には10〜30代の男女約6千人が学び、うち5千人は敷地内にある寄宿舎で暮らすとされる。ほとんどの学生は、タリバーンの影響力が強いアフガニスタン国境地帯の出身者だという。

    宗教にとって原理主義とは何なのか? - kuriggen’s diary
  • 2007-06-26

    スキッド・ロウがリトルウィングをカバーしている。スキッドロウをグランジととるかメタルととるかも見方が分かれるが、心性としては限りなくグランジに位置し、90年代のアメリカで中産階級的な若者の抱える屈、遣り切れなさといったものをぶつけたヘヴィな音作りで、白人的な憂の存在を描き出すことが多いのだが、構造的に彼らの置かれたポジションとか、中途半端な豊かさの中の漠然とした不安、仕事をしなくても生きてはいけるが、中味は空虚に向かい合うといった、ゼロ年代としたら、今ではそこから世界中に共有されるに至る、曖昧な不安を対象化する試みとしてのロックの一部にあたっている。だからスキッドロウがリトルウィングをやることの意味とは、特に羽ばたくと云う事の対象性も確保されない曖昧さと不透明さを社会の前提としながら、微妙に、微細に、心の奥底の、闇の内部の穴を穿ち、飛んでいくことの微かな実体を、決して積極的なものとして

    2007-06-26
  • 「運動」が自分自身を浄化するとき - kuriggen’s diary

    日曜日の深夜に、外山恒一と松哉の出演したラジオを聴いた。テーマは「運動」という事で、社会運動の在り方における現在的な位相というものが、どういうものになっているのか、何処まで来ているのかを知る上で、決して啓蒙的とは言い難いとしても、かなり説明的には、ギリギリまでわかりやすいものになっていたと思う。 かつて、マルクスとエンゲルスは、1848年に発表されたの中でこう云った。万国の労働者よ団結せよ。左翼とはその時代に既に、社会システムの中では明瞭なものとして実在していたし、そこから一世紀半少しの時間を措いた今日に措いて、やはり左翼というのは、漠然とした実体として、そこで蠢き続けているメカニズムとは、その頃から別に、質的には大差のないものではあるにせよ、それを説明するための論理の体系は、明らかに変更されているのだ。 社会運動といったとき、それを説明するのに最も変化を受けた論理構造とは、明らかに

    「運動」が自分自身を浄化するとき - kuriggen’s diary
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