17)元老 この調整機能は明治維新以来の重臣(後の元老)が担当していました。伊藤博文、山縣有朋、松方正義、西郷従道、大山巌、井上馨などが、時には各機関のトップとなり、あるいは無官であっても大御所として、調整機能を果たしていました。 元老たちの話し合いでも問題が解決しない時には、天皇が出馬します。 明治天皇は軍や貴族院に、「○○という法律を通せ」と言うような細かい勅語を何回か下しています。これなどは元老間で省庁間の意見対立が収まらなかったので、明治天皇が裁定を下した例です。 明治天皇とウマがあった伊藤博文がこの手法を多用しています。伊藤博文は明治国家の中で立憲体制を代表しており、明治天皇は伊藤博文の目指す、憲法を中心にした立憲君主政を支持していました。そのために明治天皇の裁定はだいたい内閣寄りであり、省庁と軍部を牽制しています。 18)調整機構 大日本帝国憲法は、元老と天皇が、憲法に規定がい
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