0 ここでは、ゲームと東浩紀のデータベース概念、伊藤剛のキャラ/キャラクター概念との接合を試みようとしている。そしてこの試みは、ある哲学的な議論とも接続する予定である。かつて、映画と哲学が非常に近接していた時代があった(僕自身はその時代を経験していないが)。それと同様に、ゲームと哲学を接近させよう、という試みでもある。 しかし、最初に断っておかないといけないことがある。僕が持ち合わせているゲームについての知識が、非常に少ないということだ。この世代の人間としては、ゲームに費やした時間が著しく少ないのである。そのため、論を展開する上で具体的な例示をすることができない。またそれはこの論が、データベース概念とキャラ/キャラクター概念をゲームという方向から考察するという目的のために作られた作業仮説の域を出ない、ということでもある。 1 1-1 小説、映画、マンガ、ゲームといった物語メディアには