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今日のエントリーの完全版は、学会ブログのほうに掲載しました http://d.hatena.ne.jp/musumelounge/20070816
以下は2007年8月14日に某所で開催された 「ダブルユーのおそうしき(第1回モーニング娘。学会)」において この日記を書いている中の人が行なった独演妄想話に使われた資料を元にしたものである。 「モーニング娘。学会」と聞いたとき「キモイ」「アホくさ」と思った。 受け付けで「モーニング娘。学会の方ですか?」と言われたので 慌てて「違います」と反応してしまった。 「ただのオフ会ちゃんかボケ」 だが、違った。はっきりと断言できる。これはオフ会ではない。 否、8時間も抽象的な議論を展開することがオフ会であるというのなら オフ会と言ってもよいのだが、どうもしっくりこない。 あぁ、マジで学会だったのね。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 結論: 「アイドルはオタクかサブカルか」という問い自体が無意味である。 裏キッカケ: はてなダイアリーにおいて、アニメ・マンガに関
p303 大塚英志 サブカルチャー/文学論 「教養小説のない時代を子供達が生きていることについて」 そもそもぼくが「歴史」の不在を嘆くような事態は、森元首相が戦後教育の弊害がホリエモンを運だと嘆くこと並の本末転倒なのだということは承知しているが、例えば、これは森川嘉一郎との対話(『comic新現実』VOL.3)、でも感じたことなのだが、ある年代から下の書き手と関わっていて思うのは情報を時間軸に還元するのがひどく苦手だという印象である。情報と情報を結びつけようとするとカテゴライズすることはできでも、Aという現象があった結果Bが出現し、Cが同時代的に起きている、ということをそれなりのライターや物書きがうまく実感できない。 ここで、情報を時間軸に還元するという行為がコンテキスト性を獲得する行為であり、それが苦手ということは、コンテキスト性が希薄化されていることを意味することになります。私の解釈が
『おたくの研究』に対しては、当然のことながら読者の怒り・反感の投書が殺到したようです。 編集としても静観し続けるわけにも行かず、1983年9月号の読者投稿欄「新宿マイナークラブ」で代表的な読者の反応を掲載するともに、大塚氏が見解を述べています。 注目すべきは、大塚氏も「おたく」の反社会的な部分は揶揄するに足るものとしている点、また大塚氏の意見を「編集部の公式見解ではない」としている点です。中森氏はその後の述懐で大塚氏から長文の叱責を受けたとしていますが、個人的には大塚氏の反論の文面からは(少なくとも表面的には)できるだけ冷静に反駁しようとしているように思われるのですが、いかがでしょうか。 なお、ここで取り上げられている読者投稿ですが、誤字についても本誌掲載時にそのまま掲載されており、当サイトでも原文を継承しています。また、投稿者の氏名については当方の判断で削除しております。 なお、中森氏の
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たまたま吉本隆明『マス・イメージ論』が手元にあるので、大塚英志が割と近年の彼の総括である『「おたく」の精神史 一九八〇年代論』や『教養としての〈まんが・アニメ〉 講談社現代新書』などで少女漫画の通史を作成する際に用いる〈内面〉モデルの成立について少し書いてみる。『マス・イメージ論』の最終章「語相論」が大塚の引用元にあたるのだが、実際に読んでみると、事実の羅列ばかりでそれに大きな意味づけがされていない文章であることがわかる。ただし、一読してはっきりと分かるのは、この場合、吉本は大枠では画像と言語の関係について考えていて、その中で、〈画像と言語が平準〉であるつげ義春、大友克洋、岡田史子、そして〈言語が微分化されている〉山岸凉子、萩尾望都、そして高野文子というグループを作っている。大塚は、吉本の権威と、この文章の着眼点と、そしてその主張の薄さをうまく利用して自分のオリジナルの論を組み立てている。
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