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ブックマーク / rcircle.blog130.fc2.com (3)

  • art memorandum - アート・プラットフォームその1 北澤憲昭+杉田敦

    p18 批評は作品の善し悪しにかかずらうのみではありません。作品の解釈や、作品を生み出す時代状況、歴史的コンテキスト、さらには作品のコンセプトに関しても弁別的な思考を展開します。そして、このような弁別において、批評は、切断するだけでなく、あらためて関係をつくりだす(見出す)という、みずからの在り方を明瞭に示してみせるのではないでしょうか。 p34 リンクという発想は、境界を前提としているという点を、押さえておく必要があると思います。境界があるということは、単に区切られているということだけでなくて、繋がっている、あるいは相接しているということを示している。分けることで繋がりをつくりだしてゆく、境界のもつ、とういう逆説的な力を重視したいと思っている。仮に制度的な境界がなくなったとしてもそこを動き回る人間たちはそれぞれに固有の境界をもっているわけです。 p35北澤 「ファイン・アート」とか「デザ

    massunnk
    massunnk 2010/12/17
  • art memorandum - 「反アート入門」椹木野依

    p269 しかし、こういいう考え方が日人のみについてしまったのは、そんなに昔のことではありません。近代に入って、それまでの価値観が否定されると、国家は西洋の進歩主義的な理念を重んじて、美術は工学の一貫であり、おくれた国家が一刻も早く習得しなければならない開化思想の一種だったのです。一度そうなってしまえば、印象はにせよキュビスムにせよ、同じことでしょう。それは国家のエリートが「頭」で習得すべき技であって、そこに抜け落ちているものがあるとしてら、それこそが民による趣であり、それを見てよろこぶ「眼」の存在でした。 芸術におけるこのような工学的態度に対して、まったく異なる姿勢を示したのが、大正末期における柳宗悦らによる「民藝」の運動でした。 民藝はいまでは一般語として定着し、一種の郷土品を指す言葉としてふつうに使われるようになりましたが、もともとは、きわめてラディカルな提唱を含んでいました。それ

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    massunnk 2010/12/17
  • art memorandum - 反アート入門 椹木野依

    p65 作品とは、それを作った者ですら自由にはできない、むしろ作り手である自己を厳しく対象化した一種の批評行為であり、けれどもそれゆえ、それを作った者以外の誰もが、それについて自由に語ることができる、共有の存在でなければならないのです。 p82 「近代人の基姿勢」 不安のなかから価値を作り出すこと。 いったん価値が作り出されても、けっして絶対化しないこと。 価値が疑われたら、そのまま全身せずに、ただちに姿勢を正すこと。 その結果、どんあ暗闇の中にまぎれても、後退はしないこと。 p90 アートというのはもう、そういうのみは飽き飽きして、もっとわかりにくく少数の人にしか理解できない、敷居が幾重にも高くて「大衆」が近付く暇のない、いわば人の生にとってなんの役に立たず益にもならない純粋に無意味な世界を欲望する、そういう気持ちから生まれているのです。 p119 美術・芸術の世界でもっとも尊重される

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    massunnk 2010/12/07
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