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ブックマーク / arisan-2.hatenadiary.org (5)

  • サルトルの「自己欺瞞」論 - Arisanのノート

    『存在と無』(ちくま学芸文庫)のなかの第一部第二章では、「自己欺瞞」という心理現象の分析をとおして、人間の意識のあり方に迫る試みが行われている。 この部分がたいへん面白いと思ったので、ここにメモしておきたい。 まず、これはとても重要なことだが、サルトルはここで、嘘や虚構と、自己欺瞞とを明確に分けている。 嘘をつく人の内心の気持ちは、肯定的である。つまりその気持ちは、肯定的判断の対象ともなりうる。嘘をつく人は、だます意図をもっているのであり、この意図を自分に隠そうとはしないし、意識の半透明性をおおい隠そうともしない。(p173) 虚偽は一つの超越的な行為である(p174) この「意識の半透明性」というのがよく分からないのだが、まあいいだろう(「無」が関係してるのだろう。)。 ともかくサルトルがここで問題にするのは自己欺瞞であって、嘘(虚偽)や虚構ではない。自己欺瞞は、「超越的」ではない。私が

    サルトルの「自己欺瞞」論 - Arisanのノート
    massunnk
    massunnk 2009/10/14
  • 自立について - Arisanのノート

    雑誌『フリーターズフリー』に掲載された杉田俊介さんの「無能力批評」を読んでの感想を書いたぼくの文章に、杉田さんがわざわざブログで応答を書いてくださっている。 それを読んで思ったことを少し書いておきたい。 http://d.hatena.ne.jp/sugitasyunsuke/20070718/p2 ただ、ここで「杉田は否定の人」で、「Arisanさんは肯定の人」という単純な図式は当てはまらない。 杉田のベーシックな感覚は 《人は自立しなければ生きる価値がない」(自由の課題)。「人はたんに生きているだけでよい」(生命の価値)。前者は正しい。後者も正しい。しかし両者は矛盾する。どういうことだろう》 というアンチノミー(矛盾)をいかに螺旋状の深化するか、にあり、ぼくの中には極端な内なる自立欲望(自己批判)があると同時に、「自分がある幸運な状況のなかに生きているということを、基的に肯定的に考え

    自立について - Arisanのノート
  • 「暴力性」を考え直す - Arisanのノート

    このブログの最初のところで、ぼくは自分のこれまでの生き方や生活態度が根的に暴力的・権力的(この二つの語をとりあえず並置した)だということを書き、その暴力性や権力性は「周囲の社会」が有する暴力性にぼくが「従属・同調」しているために生じる、いわば「周囲の社会」(広く言えば「近代」以後の人間の社会)と相同的なものと捉えるべきだろうということを書いた。そして、そこから類推して、一般的に現代の人々、特に若い人たちのなかにあると思われる「否定的な感情や衝動」を、同じように「周囲の社会」全体と相同的なものとして捉えることを提起した。 暴力性と権力性という二つの語を無自覚に併記していることも問題だが、さらに「否定的な傾向や心理」と暴力性(及び権力性)とを、ぼくがまぜこぜにして考えていたことが、ここまでで分かる。この曖昧さを確認しておこう。 10日の文章では、現代の日の若い人たちの心理的傾向としての「自

    「暴力性」を考え直す - Arisanのノート
  • すり替えと温存 - Arisanのノート

    もう月が変わってしまったからなくなってるのかも知れないが、大阪の駅のホームなどで見かける、ポスターのこの標語が、どうも気になってた。 <しない させない 就職差別   働くのは私! 私自身を見てください> http://www.pref.osaka.jp/fumin/html/12743.html ポスターでは、サブテーマであるという後半の部分の方が大きく印刷されてたと思う。 そのどこが気になったのか、ポスターの現物を目にした瞬間の違和感を、字面だけだとどうも思い出しづらいのだが、感じていたことは、素朴に次のようなことだったと思う。 差別の「理由」とされるいろいろな属性、上記の大阪府のサイトによると、ここではILOの条約に書かれた「人種、皮膚の色、性、宗教、政治上の意見、民族的出身又は社会的出身」ということが念頭に置かれてるようだが、そういったものによってでなく、その人「自身」を見て選べ、

    すり替えと温存 - Arisanのノート
  • 『フリーターズフリー』・杉田さんの文章を読んでのメモ - Arisanのノート

    雑誌『フリーターズフリー』創刊号を読んでいる。 http://www.freetersfree.org/ http://d.hatena.ne.jp/FreetersFree/ この雑誌の最大の特徴は、巻頭言や座談会でも述べられているように、「フリーター」と呼ばれる「当事者」の人たち自身が発言しているということである。「その人たち自身」が語っているということは、必然的に個々の(複数の)声の集合なのだから、多様なせめぎあうような言葉の群れが、そこから聞こえてくることになる。その点に、この雑誌の最大の魅力があり、それはじつに得がたいものであると思う。 まだ全部を読んではいないのだが、ここではとくに杉田俊介さんによる「無能力批評」と題された文章を読んでの感想を、ごく簡単に書いておきたい。 「無能力批評」は、ぼくにとっては礫を投げつけられているか、かみそりで切りつけられているかのような思いさえして

    『フリーターズフリー』・杉田さんの文章を読んでのメモ - Arisanのノート
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