ハリイカの焼売と中華炒め ハリイカをよく、見かけるようになりましたよ。生け簀で、泳いでいたものを一杯購入しました 立派な大きな墨袋や肝は冷凍保存して 柔らかな身は季節のお豆、お野菜と合わせて中華の炒めものに。新鮮なにんにくの茎は刻み、香り高く食欲そそられますね 下足はミンチにし…
http://members.at.infoseek.co.jp/karl_V/oshio.html 久々に見ると増えてる。増えた中から気に入った物をセレクト。 「細木数子って、ちっとも「細く」ないじゃんかよ」 「手品ーにゃ、ってイタリア語なんだってさ」 「もう豊島園レベルじゃ満足できない」 「雨に濡れた花びらを見ると興奮してくるんだ」 「一人の時は、一匹狼。二人きりの時は、もっと狼だ」 「タバコのように燃え尽きる人生は送りたくない」 「子供の頃のいじめがシマウマになっている」 「プールバーで泳いできたよ」 「俺は「ひも」じゃない。ただつながっているだけだ」 ベタなダジャレ、ナルシス系のホラ話、そしてシュールな一言。 同HPの熊川哲也も内容はほぼ同じだけど、現物のキャラクターが違う。 http://members.at.infoseek.co.jp/karl_V/kumakawa.html
魔法の図書館:http://ip.tosp.co.jp/Portal/c.asp?i=BOK00MIL99 00ノベルポータル:http://potal.0zero.jp/novel/ 魔法の図書館は蔵書数が24084冊登録で、 100万タイトル突破?(数え方がよく分からない)。 日刊ランキング1位は3389100pt 月刊ランキング1位は19150569pt 基本上位にあるのは、純愛物。ここから商業出版された本もちらほらある。 00ノベルポータルは72207件登録。 日刊ランキング1位は 4830PV 週刊ランキング1位は 34799PV 総合ランキング1位は 523591PV 基本上位にあるのはみんなエロ。 基本両方とも登録すれば誰でも小説を書いて公開できる仕組みらしい。 近いコンセプトのHPとして 小説家になろうhttp://syosetu.com/ 携帯メール小説大賞http://
http://d.hatena.ne.jp/kidana/20070603/1180863102 の続きで、音楽でも文学でも映画でも演劇でも、 芸術的な何かを本当に必要としているのは中学二年生ぐらいから高校生ぐらいまでの反抗期のメンタリティを持った年齢の人間で、これを文化のコア・ターゲットだとすると、商品として文化を買い支えているボリューム・ゾーンはそれとはズレる。 反抗期のメンタリティを直で表現した表現は、自分以外はみんな敵で理由の分からない焦りやいらだちを抱えた若者が一人で、自分の部屋にこもってそのタイプの表現を受け止めて自分を癒す。孤独な若者一人一人と表現が直でつながる。映画でいうと「自転車泥棒」とか「大人は判ってくれない」とかメーカーでいうとATGやキティ、音楽だとある世代にとってのボブ・ディランや吉田拓郎やアンダーグラウンドレコードとかもそうだろう。インディーズと呼ばれる表現にそ
ちょっとしたことがきっかけで軽い鬱におちました。早く薬の量を減らしたいと願い、ここまで1ヶ月以上順調だっただけに「また振り出しにもどったか……」と落胆しています。 きっかけというのは、とある女の子*1からの1通のメールの一文でした。 その子とは引きこもり支援の某NPOで出会ったのですが、どうやら人間関係のもつれから、そのNPOに出入りしにくくなったようなのです。僕は引きこもり当事者でもなく、スタッフでもないフリーな立場で、気楽にそのNPOにいまだに出入りしているですが、彼女も似たような立場で関わっていました。 ただ、元ひきこもり同士と言っても、彼女のほうが内面にかなり引きこもりの当事者性を残していました。それで3月の初めからこの7月の梅雨どきまで、断続的にケータイのメールや直接会って相談に乗っていました。 僕は金がからまない限りにおいて、他人の相談の聞き役にまわるのがわりと好きであることと
東京から考える 格差・郊外・ナショナリズム (NHKブックス) 作者:浩紀, 東,暁大, 北田NHK出版Amazon ここまではその光景について「ジャスコ的」という固有名が出され、どことなく否定的な印象が付されていたけれども――そしてまた実際にそれを否定する議論も多いのだけれど――、僕としてはそれは必ずしも否定されるべきものではないと捉えている。というのも、ジャスコ的世界は、ある意味で安全で清潔な世界だからです。前回に東雲の例を出したことからも分かるように、その「ファスト風土」は――少なくとも東京のなかに進入しているていどのジャスコ的空間は――、適度にバリアフリーで、適度に監視カメラが設置され、適度にベンチやゴミ箱が配置された「住みやすい」空間でもある。そのようないわば「人間工学的に正しい」空間が、いまコンビニやファミレスと結びついて、東京といわず日本中を侵食し、風景を画一化している。人間
高畑・宮崎作品研究所 叶 精二 冒頭お断りしておくが、著者は本作を「近藤喜文監督作品」とうたわれているにも関わらず「宮崎駿氏の作品」という観点で多くを述べている。よって、宮崎駿監督作品の系譜に照らした作家論としてのアプローチを試みている。その根拠は後述するが、読者の方々には、まずこの点をご了解頂きたい。 1,「耳をすませば」テーマ論 「ぽんぽこ」から「耳をすませば」へ 夜景ショットの《リレー》の意味するもの ワンカット目から、もうまいってしまった。多摩丘陵から一望した、新宿副都心のそびえる大東京の夜景。これはもう、そっくりそのままスタジオジブリの前作「平成狸合戦ぽんぽこ」のラストショットである。「ぽんぽこ」では、ゴルフ場で踊る狸たちからカメラを振って夜景を映し、これにクレジット・ロールをかぶせて映画は終わった。「耳をすませば」は、逆に夜景からパンダウンして町並みを映してタイトルを出す。まる
2007年04月18日20:01 カテゴリ「悪い」景観を守る会思ったこと 「良い・悪い」と「好き・嫌い」は違うTweet 「悪い景観を守る会・設立準備大会」に関係ありそうな情報整理。随時追加。ほぼ自分用。勉強しなきゃ。(*タイトルは「工場ナイト」に出演していただいた八馬先生の一言) ■「完成品」の世界 私のように中途半端に哲学本にかぶれた人は、郊外化現象を目の当たりにして、ついつい「疎外」とか「故郷喪失者」とかハイデガーばりの「存在忘却」とかといった概念を当てはめたくなります(つまり私自身がしばしばそう考えるということ)。それはそれで決して誤ってはいないと思うのですが、その一方で、郊外に生まれ育った人は郊外をこそ“故郷”としています。他人が「いや、本来の故郷とはそういうものじゃない」と“本来性”に即して言ったところで、それをありうべき可能的世界のひとつとして捉えることはできても、自らの身に
参照:♪武田徹オンライン日記4m33s ♪ ★http://www.asahi.com/politics/update/0409/TKY200704080141.html 東京猫さんのエントリー『私も東京を考える』を読んでいたら、もう一度、僕の過去ログを読んでみたくなりました。成る程、事実派か権利派かで、取りあえず、整理出来るところがあります。ローティ=東浩紀、ロールズ=北田暁大と言う具合にですね、この『東京かから考える』(NHKブックス)は東京猫さんが、適切な引用とコメントをしています。とても助かりました。僕自身の引用部分と重ねで再読したわけです。肝心の僕自身、浅学なので、ローティとロールズについて語ることが出来ませんが、補助線で補強されたといった感じです。 この本で僕はリチャード・ローティの『リベラル・ユートピアという希望』を購入したのに、いまだにツン読状態です。読まなくっちゃあ…。
ミソクソというかミクシーのことなんだけど、このところ朝メールをチェックすると、数々のジャンクメールに「mixi」というのが交じっている。「知人の日記が更新されましたよ」という速報がいちいち届くのだ。そう言われるとこっちもいちいち読みに行ってしまう。「はてなアンテナ」より先になったりするのだから、すごい。で、相手の素性は知っているし関心も似ているから、つい面白くて気軽にコメントしてしまう。 そんなわけで、ブログほど大海ではなく、MLほど井戸の中ではない、この微妙な領域が、こうしたオートパイロット式ネット生活を習俗化する。ただ、なんとなく嬉しくないのは、その日記をこの私が読んだということが、時刻や回数を含めて相手に正確に知れてしまうらしいことだ。この人ずいぶん暇なんだなとかずいぶん早起きなんだなとか、たぶん分かってしまう。もうそのあたりはまあどうしようもない時代なのか。 * ところで、ずっと「
昨日に引き続き、朝マックを食べるために休日だというのに早起きして近所(と言っても500mは離れているけど)のマクドナルドへ。早起きの健康さをマックの不健康さで相殺である。マックグリドルのソーセージ&エッグ・チーズである。おいしくいただいた。しかしなんとなく「普通のソーセージエッグマフィンでいいんでは……」という気もしてきた。飽きるの早。ところでセット440円て微妙じゃないかなぁ。朝じゃなければ同じくらいの値段のセットはポテトもドリンクもM、しかし朝メニューだとハッシュポテトにドリンクSだ。とはいえ自分は携帯のクーポンを使ったので350円だったかな。これならまぁ妥当な価格って感じかも。 マクドナルドで昨日読みかけだった「東京から考える―格差・郊外・ナショナリズム (NHKブックス)」を読んでしまうことにする。最後にやや抽象的議論でもしましょっか、ってことだったんだけど、ここの対談がいちばん面
東京から考える 格差・郊外・ナショナリズム (NHKブックス) 作者: 東浩紀,北田暁大出版社/メーカー: NHK出版発売日: 2007/01/27メディア: 単行本(ソフトカバー)購入: 14人 クリック: 130回この商品を含むブログ (253件) を見るこんな本を読んでおりました。 最近頭が完全にマンガの事ばかり考えているので、この本を読んでもすぐマンガのイメージと結びついて考えてしまいます。しかしここで僕の頭に具体的に何のマンガのイメージが浮かんだかという事を言う前に、本書の主張をかいつまんで説明したほうが良いですね。 この本は批評家の東浩紀さんと社会学者の北田暁大さんが東京の都市について対談する本です。 内容は、多様性を残した「個性ある街」をノスタルジー的な価値観で残したいと考える北田さんと、多様性を保障するにはどんな人でも住めるような均質化した街が必要で、今後そうなっていくだろ
2007年07月07日03:32 カテゴリニュースニュース 「村上隆回顧展 (C)MURAKAMI」記者会見(日記風) 「村上隆回顧展 (C)MURAKAMI」が、07年10月29日より、ロサンゼルス現代美術館を皮切りに3ヵ国4都市で開催されるということで、ご案内をその記者発表をのぞいてきました。 記者発表には、ロサンゼルス現代美術館のジェレミー・ストリック氏、ブルックリンミュージアムのチャールズ・デマレー氏、ロサンゼルス現代美術館でチーフ・キュレーターを務めるポール・シンメル氏といった主催者がわざわざ来日し、今回の展覧会の狙いなどを解説してくれました。新作の紹介として「大仏オーバル」という金属製の彫刻の映像が流れたほか、村上氏のキャラであるカイカイとキキを使った短編アニメ(3Dのセルシェード。BGは水彩風)も流れました。アニメについては10月にもまた動きがあるようです。 今回、記者発表を
昨日発売したのでそろそろレビュー解禁? とか思って書いてみる! サマースプリング/吉田アミ http://d.hatena.ne.jp/amiyoshida/20070707/1181268650 サマースプリング [文化系女子叢書1] 作者: 吉田アミ,郡淳一郎/木村カナ,タナカカツキ出版社/メーカー: 太田出版発売日: 2007/07/06メディア: 単行本(ソフトカバー)購入: 3人 クリック: 111回この商品を含むブログ (43件) を見る 「自分が想像できる、一番、酷いことをしなくてはならない。」 1989年。80年代最後の年、平成元年。昭和天皇、手塚治虫、松下幸之助……神々は死んだ。10年後に世界は終わるはずだった。携帯電話もインターネットもなかったあの頃。偏差値と管理教育といじめに脅かされる名古屋の中学1年生の日常なんて、退屈で貧弱で無価値で絶望的で、どうしようもなくノーフ
以前、私が書いた女性器切除についての記事へ、x0000000000さんが切除は「先進国云々じゃなくて、単に『痛いから、いやだ!』というのは、どうなんでしょうね。私だったら、身体への侵襲は、単に痛いから嫌ですけどね…。」というコメントをくださっていて、ずっと考えていた。 というのは、会陰切開を瞬時に連想してしまったからである。多くの産婦人科では、出産時に麻酔なしで会陰をバチンと切るという。*1私(ヘテロ生殖器付き女子)にとっては、もう想像しただけで、「絶対、子どもなんて産みたくない」とびびってしまうのに十分な衝撃。陣痛がものすごく痛いから、切るときは痛みを感じる余裕もないなんて言われても、「とにかく子どもを産むっていうのは、痛いことなんでしょう?!」と恐ろしくなるばかりだ。そもそも、私の体で、別の生き物が育って、会陰を裂いて出て行くなんて、すさまじい「身体への身襲」ではないか。 けれど、出産
ユルゲン・ハバーマスが、膵臓がんで亡くなったリチャード・ローティ(1931-2007)を追悼する文章を公開していた。 以下のウェブサイトに英訳がある。 Philosopher, poet and friend Ju"rgen Habermas writes an obiturary for American philosopher Richard Rorty http://www.signandsight.com/features/1386.html 最後に紹介されているエピソードが興味深い。 Nothing is sacred to Rorty the ironist. Asked at the end of his life about the "holy", the strict atheist answered with words reminiscent of the young
なぜウェブは資本主義を越えていくのか 池田信夫「ウェブは資本主義を越えていく」(ISBN:4822245969)を読んだ。本書では、この野心的な題名の意味はなにかを経済学的に説明している。 資本主義社会の前提は、資本が稀少で労働は過剰だということだ。工場を建てて多くの労働者を集める資金をもっているのは限られた資本家だから、資本の希少性の価値として利潤が生まれる。・・・情報の生産については・・・ムーアの法則によって1960年代から今日まで計算能力の価格は1億分の1になった。・・・こうなると工場に労働者を集めるよりも、労働者が各自で「工場」をもって生産する方式が効率的になる。P96 これによってITの世界では、資本家と労働者を区別している「資本」の意味がなくなり、だれもが情報生産を行うことだできるようになった。「物質的生産の領域のかなた」にあるサイバースペースでは「貨幣の消滅」が起こるかもしれ
b)ルサンチマン(Ressentiment) 生の基本構造;現実を超えてより多くのものを求める(mehr Leben, mehr als Leben) 現実の生に対する不満=世界が今のようでなく、別のようにあってほしいという不満 生肯定的なもの(→強者)への反感(恨み)の感情=Ressentiment 絶対的な価値(=神)を立てることによって、強者の現実肯定的な態度を、中途半端なものとして斥ける。そこには強者への復讐の感情がある。 c) ニヒリズム 「ニヒリズム(Nihilismus)」とは、「無(nihil)である」、という立場をいう。世界が存在する意味、自分が生きている意味、それは無だ、とニヒリズムは言う。 いまニヒリズムが現われざるを得ないのは、我々が世界の内に、そこにはない「意味」を探し求めたからである。 「キリスト教の道徳という仮説は、どんな利益をもたらしたか? 1)それは、人間
クローズアップ現代「にっぽんの“頭脳”はいかせるか〜苦悩する博士たち〜」 こういう話はもう数年来繰り返し、繰り返し、繰り返し論じてきましたんで正直食傷気味ですが、マンネリズムこそブログの醍醐味ってことでもう一度。 こちらでも書いたように、基本的に方法は二つ。 供給を減らすか 需要を増やすか それだけです。 まあ数年前と違い、ポスドク問題など博士進学のリスクとコストをネット上で容易に知ることができますので、供給は自然に減っていくと思われます*1。 ただし、これはお国の目論見とは逆の効果をもたらします。 博士進学には、授業料およびその間仮に就職していた場合の機会費用を合わせると優に一千万を越えるコストがかかります。 その上年齢も上がり、就職先も制限される。任期付きの職で各地を転々としなければならないかもしれない。研究員という名の派遣社員になる可能性も高い。ベンチャーだって日本は散々だ*2。 き
下町の老舗のラーメン屋さんや和菓子屋さんで食事をしてみて、「おいしい!」と思った経験はありませんか? ご自身の戦争体験を若い世代へ語り伝えようとしている高齢者の方々のお話を聞いたことはありませんか?老舗のお店の深みのある味も、高齢者の方々の戦争体験談も、いずれも「次の世代へ何かを残していきたい」という人間の営みから生まれてきたことであると思います。そして、そういう”情報の継承”という 発想でもって、社会問題に対して何か有効な情報拠点を築き上げていくことはできないだろうか、というのが”みらい”の出発点です。 Q.みらいって簡単にいうとどんなサイトですか? A.次世代情報都市”みらい”は、学問やジャーナリズムなど様々な方法を駆使して、次の世代への情報の伝達を目指す仮想都市空間です。具体的な活動としては、政治、経済、社会、科学技術、国際、環境、教育、文化、芸術、家族など、あらゆる種類の社会問題の
(まだどうもまとまりきってないけど投稿) 僕はタイのバンコクの中心部に住んでいるのだけど、うちの近所には手足がなかったりする物乞いの人がたくさんいる。観光客が多いエリアに近いからなんだけど。 物乞いには元締めがいるらしい。朝、彼らは元締めのトラックに乗せられてバンコク市内の中心部まで運ばれてきて、道に一定の間隔で配置される。夜にまたトラックが迎えにきて彼らを回収していく。 彼らが稼いだお金のうちどれだけが元締めに回収されるのか知らないが、多分ほとんど持っていかれてるんじゃないか。それでも障害を持った彼らにとっては、そこで物乞いをする以外に生きていく道はないんだろう。 しかも彼らはタイ人ではない人が多いらしい。その元締めが、タイより貧しい隣国のカンボジアなどを回って、障害をある人を見つけてきては連れてきているようだ。その障害のある彼らにとっても、彼らの家族にとっても、その元締めに貰われていく
『腐女子マンガ大系』は、「マンガ」が大学などでの研究対象として定着してきたことの、おそらく成果と言っていいのだと思う。アカデミズムのいち領域としての「マンガ学」をふまえての企画、ということ。 その上で、この本の場合は、何しろあつかうのが「やおい」だから、社会学(フェミニズム)にも通じていて、なおかつ自分自身も腐女子(腐男子)な、30代中心の比較的若い論者が多いみたい。 腐女子の立場を大事にしつつ、新しい世代の論者が、マンガ学と社会学の知見を用いてやおいを肯定的に語る本、という感じかな。いわば、アカデミズム版『オタク女子研究』というわけですね。上野・香山と、ハク付けもばっちりである。 その趣旨には賛成するし、また、そのメッセージが充分読み手に届く本になっているんじゃないか、という気もするのだが、個人的には、少なからず違和感も感じている。それを言葉にしておこうと思う。 違和感の直接の原因は、や
もう月が変わってしまったからなくなってるのかも知れないが、大阪の駅のホームなどで見かける、ポスターのこの標語が、どうも気になってた。 <しない させない 就職差別 働くのは私! 私自身を見てください> http://www.pref.osaka.jp/fumin/html/12743.html ポスターでは、サブテーマであるという後半の部分の方が大きく印刷されてたと思う。 そのどこが気になったのか、ポスターの現物を目にした瞬間の違和感を、字面だけだとどうも思い出しづらいのだが、感じていたことは、素朴に次のようなことだったと思う。 差別の「理由」とされるいろいろな属性、上記の大阪府のサイトによると、ここではILOの条約に書かれた「人種、皮膚の色、性、宗教、政治上の意見、民族的出身又は社会的出身」ということが念頭に置かれてるようだが、そういったものによってでなく、その人「自身」を見て選べ、
→『VOL 01』を購入 →『VOL 02』を購入 「格差」の話に飽きた人のために この1週間で2日しか仕事がないー。 トホホな話だが、こんなイントロで書評を始める人など、このサイトにはいないでしょう。 本当に飽き飽きしてしまったのだ、思想の話でも音楽の話でも、なにかこう「大学教授」的な抽象空間や「前衛-大衆音楽」的なマニア空間でゴソゴソ言うのが。学生と非常勤講師で大学を2度追い出されたようなもんだし、CDショップにもここ3カ月行ってない。それでもドゥルーズやキップ・ハンラハンや大友良英が面白ければ、フリーター稼業の合間を縫って読みまくり、聴きまくり、ついでに病気も騙し騙しでなんとか書く。 この喰って寝て働いて、また喰って寝て書いて生殖して、怒りながら働いて、またまた喰って副作用に怯えながら働いて、寝る。こういうリアリティの中で考え抜くことが「肝」だとますます思うようになった。当たり前だけ
『SIGHT (サイト) 2007年 08月号 [雑誌]』 ★坂本龍一×藤原帰一 反戦という知性と勇気―日本人はなぜ、大声でイラク戦争に反対できなかったのか ● 内田樹 超越的「新」護憲論―平和ボケの改憲派に告ぐ「今の憲法で何か問題でも?」 ● 加藤紘一 政治家の責任―「私が口を閉ざしてはならない」と決意した理由 ● 菅直人 元祖・市民派リベラルが説く 安倍「雰囲気」政権の危うさ ● 枝野幸男 民主党若手が目指す「したたかなリベラル」とは ● 中村哲(ペシャワール会現地代表) アフガニスタンが教える戦場のリアル「こんな日本では日の丸が泣きます」 ● 大芝亮(一橋大学大学院教授)「自称現実主義者」を斬る―「勝てない戦争はやらない。それが現実主義者です」 ●対談 高橋源一郎×斎藤美奈子 なぜ、我々は政治を、社会を、日本を批評し続けるのか ●イギリス政府を揺るがした反戦アート マーク・ウォリンガ
HDからでてきました。 感想は・・・ 本家○sm250121 ■mylist/2736264■
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