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ブックマーク / sz9.hatenadiary.org (5)

  • 文学とは何か - 2009-09-27 - 感情レヴュー

    Twitterでのつぶやきをまとめたもの。 PART1 純文学=高尚・芸術的、エンターテインメント系文学=エンターテインメント・市場原理という対立はしばしば議論されてきた(文学の大衆化が登場した大正以降)→水掛け論に終始。 + そのような文学観は誤り。⇒ジャンルごとに別々のルールがある。Ex:ケータイ小説はすでに10年近い歴史を持ち、純文学とは別のメディアを介して別のルールで機能するジャンルだ。純文学のルールで批判しても意味がない。 + 「純文学は文化的だからエンタメ系文学とは異なる」という発想(文学価値の内在説)は倒錯している。特定のジャンル(純文学)は、(a)隣接するジャンルのルールとの関係、(b)同一ジャンル内の既成のルールとの関係、この二つの関係から差異化をはかり、ジャンルのルールを形成してきた(文化的パッケージを施す等)。 + Ex:全日やみちのくプロレスのショウアップされた格闘

    文学とは何か - 2009-09-27 - 感情レヴュー
  • キャラクターについて考えてみる - 2009-12-08 - 感情レヴュー

    ソフラマのid:K-AOI、aBreのid:segawa-y、筑波批評のid:sakstyleによる座談会UST「キャラクターについて考える」を聴きました(http://d.hatena.ne.jp/tsukubahihyou/20091204/1259945292)。とても楽しかったです。キャラクターについて考えるきっかけをいただきました。 キャラクターを理解する上で先ず挙げられるのは、大塚英志のキャラクター分析でしょう。彼のキャラクター理解は、単なる記号にこそ魂が宿る、という逆説に基づくものでした。「記号的身体を「死にゆく身体」として発見してしまった手塚は同時に、「成熟する身体」をも否応なく発見してしまったのは確かです」(『教養としての〈まんが・アニメ〉』2001年)。 僕くらいの世代だと、これは柄谷行人の『日近代文学の起源』のマンガヴァージョンだなと誰しもが直感したものです。 柄谷

    キャラクターについて考えてみる - 2009-12-08 - 感情レヴュー
  • レヴィ=ストロースの残したもの - 感情レヴュー

    今日は先日亡くなったレヴィ=ストロースから話をはじめる。彼のキャリアは人類学のフィールドを専門にしながら構造主義を先導したとして知られている。周知の通り構造主義は、社会を自律した構造(シニフィアンの束)としてとらえ、それを吊り支える審級をゼロ記号(浮遊する過剰なシニフィアン)と定式化した。その見取り図は、人類学のマナやハウ、タブーといった非人間的で聖的な概念から練り上げられたものであることは、『ホモ・サケル』のジョルジョ・アガンベンも指摘している通りである。ゼロ記号としてのマナは浮遊しながら社会を束ねる。もちろん、アガンベンが著で分析した「サケル」という概念もこの審級の系譜に列なるものである。 この知見を、構造主義成立以前から最も見事に活用してみせたのは、フロイトの「トーテムとタブー」であり、それ以後の精神分析学だった。とくにラカンは言語学の知見から引き出したシニフィアンの論理をベースに

    レヴィ=ストロースの残したもの - 感情レヴュー
  • 純文学的『ゲーム的リアリズムの誕生』評 - 感情レヴュー

    ゲーム的リアリズムの誕生~動物化するポストモダン2 (講談社現代新書) 作者: 東浩紀出版社/メーカー: 講談社発売日: 2007/03/16メディア: 新書購入: 34人 クリック: 461回この商品を含むブログ (462件) を見る東浩紀『ゲーム的リアリズムの誕生 動物化するポストモダン2』の特筆すべき点は、社会学者としての東浩紀と文芸批評家としての東浩紀が分業しているところであろう。 彼は作品分析に関して、「物語的主題」(何が語られているか)を追うのではなく、「構造的主題」(どのように語っているか)を追わねばならないとくり返し述べているが、それは書に関しても当てはまる。つまり、東氏は一々注釈していないが、書の読解はこの分業を構造的に区分しながら読むことが必要とされるのである*1。 どちらかといえば、社会学者としての東浩紀が勝っていた前著の『動物化するポストモダン』を読む感覚で

  • 時を逆行する批評 - 感情レヴュー

    すでに私は、記憶障害ものとよみがえりものについて、話をしている(06-01-23と06-04-20の日記)。最近の娯楽作品でよく採用される、この二つのテーマに深く関わるものに、タイムトラベルがある。以前話題にした「いま、会いにゆきます」も、タイムトラベルがからんでいた(06-04-20の日記)。これについては話をしようと長らく思っていて、ちょうど社会学者の宮台真司氏が彼のサイトでアニメ版「時をかける少女」(細田守監督)について語っており(http://www.miyadai.com/index.php?itemid=392)、タイムトラベルもの・タイプリープものの明快な見取り図を立てておられるのに触発され、以下、書いてみようと思う。 ただし、話は、タイムトラベルというトピックにとどまらない。むしろ、文芸批評のスタンスはいかにあるべきか、という方向にいつのまにか力点移動しているような論考にな

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