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ethicalに関するmicrotestoのブックマーク (389)

  • キャメロン・ディアズの新作映画 | Danse Macabre

    ヤフーのエンターテイメント欄。たいてい、そのまんま東が浅香光代と和解したとか、どうでも良いことばかりがのっていて、あんまり注目していないのだが、今日は違う。ディアズの新作映画の記事が載っていた。 それによると、白血病の姉のドナーになるために生まれてきた妹が、ドナーになることを拒否し、さらに両親を相手取って訴訟を起こす、というストーリーらしい。大変興味深い。 ドナーにするべく、計画的に妊娠、選別、出産を迎える子どもを、デザイナーベビーという。生命倫理の分野では、以前からその問題が指摘されていた。すなわちその命は「ドナーになる」という宿命が課せられた命であり、ドナーにならないのなら「いらない」命なのである。 この妹はどういう根拠で両親を訴えたのだろうか。「ドナーになるための命なら、私は生まれたくなかった」ということだろうか。これによくにた考え方で訴訟を提起することで問題になるのが、アメリカ医事

    キャメロン・ディアズの新作映画 | Danse Macabre
  • 死刑と終身刑についての追記 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    先の記事について、id:toledさんから「死刑がダメなら終身刑もダメに決まってるじゃん。まったく同じ論理で。」とのご指摘。別の方から、「終身刑ならいいってのは違うと思った」との記事のトラックバックも。この点について、簡単に追記する。 まず、「終身刑ならいい」というニュアンスは完全に違う。可能であるならば、僕は刑罰そのものをなくしたいし、裁くこと自体をなくしたいとも思う。だから、一番ラディカルに行くなら、司法廃止。討論のみ。そうなる。──しかし、この路線は現実的ではない。ここでの現実的とは、「私が安全に、安心して暮らしたい」という欲望に即したとき、それと十分に両立すると感じられない、ということだ。だから、「終身刑ならいい」のではなく、「死刑には反対だが、終身刑については、反対しがたい」という感情を持っているということ。──僕は終身刑を正当化したのではなく、あくまでも死刑を棄却したのだ、とい

    死刑と終身刑についての追記 - モジモジ君のブログ。みたいな。
    microtesto
    microtesto 2008/04/25
    終身刑導入は死刑制度廃止に不可欠なコストである、と堂々と主張すればいいのに。よくわからない覚悟とかを前面に出しても無意味とまでは言わないが非効率ではないかと思うのだが。
  • 死刑制度には反対するけれど - モジモジ君のブログ。みたいな。

    「だから死刑には反対する」と、そこへ寄せられたブクマコメントなどについて。いろいろと、曖昧さの残るところについても、もう少し付け足して考えておく。*1 僕の死刑反対論は、基的には終身刑という刑が存在することが前提。しかし、現時点では終身刑なるものはないから、死刑でないならば無期懲役以下の刑ということになり、かなり現実的な未来に被告人が刑を終えて出てくる可能性がある。そうなるならば、正直、心中穏やかではいられないだろう。まして、身近に住まれる、なんてことにでもなるならば。だから、死刑制度には反対なのだけど、今回の死刑判決に反対できるかと聞かれるならば、さすがに迷う。あえて、どうしてもどちらかを選べ、と言われるなら、「死刑判決に反対」と述べるかな。人が人を殺す、しかも、そのことを正しいと言う、そのことは僕にとって、その程度には重いことだ。──もちろん、このように考えているならば、村氏の主張

    死刑制度には反対するけれど - モジモジ君のブログ。みたいな。
    microtesto
    microtesto 2008/04/25
    法をまがりなりにも勉強した身としては、単に誤判の可能性は常に開かれているから死刑制度は廃止すべき、で十分だと思うのだがなぁ。終身刑が前提なのは同意。
  • 須原一秀『自死という生き方』およびコメント - kanjinaiのブログ

    自死という生き方―覚悟して逝った哲学者 作者: 須原一秀,浅羽通明出版社/メーカー: 双葉社発売日: 2008/01メディア: 単行購入: 9人 クリック: 270回この商品を含むブログ (46件) を見る 以下の書評共同通信配信で書いて、地方紙に掲載された。このの内容が傑作というわけではないし、内容に全面賛同するわけでもない(葉隠称揚など)が、著者が自殺を肯定し、書を書き、それを実践して自死したという事実そのものが突きつける衝撃を私なりに受け止め、読者に紹介したいと思った。 こういう内容なので、すでに各紙に書評が出たりコメントが出たりして、話題になっているのだと思っていた。新聞広告も何度が出ていた。昨日、共同通信の担当者から掲載誌が送られてきたのだが、担当者が言うには、読売、朝日など全国紙やブロック紙には、書の書評はまったく掲載されず、新聞に載った書評は私の書いた以下の書評

    須原一秀『自死という生き方』およびコメント - kanjinaiのブログ
  • 「本当に困っている人」とは誰か (Dead Letter Blog)

    少し前の話題の蒸し返しで申し訳ないのだけれども。 インターネット上で「死ぬ死ぬ詐欺」と呼ばれ、問題視された事例があった。重い心臓病で移植手術しか助かる見込みのない少女の親御さんたちやその友人らがその費用をまかなう為の寄附を募ったことに対して、彼らの公表する会計データに一部不透明なところがあるとして、それを「会計責任を果たしていない」、「詐欺同然」と糾弾する人たちが現れたのだ。 僕の興味を引いたのはこの問題の糾弾者たちが、「少女の命を救うなと主張したいのではなく、会計責任を果たしていないから批判するのだ」という論法を採っていたことだった。だがしかし一口に「会計責任」と言っても、お金を集める際の規模、目的等によって果たされるべき責任の程度は様々に異なる。仮に批判者達が言うような「厳格な会計責任」が求められるとするならば、それはどのような理由からなのか? 様々な理由らしきものが語られてはいたので

  • ニコチン依存と大うつ病には共通する遺伝因がある。 - ホツマツタヱ。

    This study not only demonstrates that the comorbidity between ND and MD is influenced by common genetic risk factors, but also further suggests that the common genetic risk factors overlapped with those for antisocial traits such as CD and ASPD in men.http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/17564505双生児研究のVietnam Era Twin (VET) Registry (Fuら,2007)から「(男性の)ニコチン依存と大うつ病性障害では反社会的傾向の遺伝因が共通する」というデータが出ていた。双生児研究

  • 経済人 - ☆★☆ 観念の冒険 ☆★☆

    我考える、それゆえに、我あり。 近代の呪縛である。 近代的自我は、自分を凝視したところに出てくる。 でも、凝視されたのは、考えている自分の方であって、存在する自分の方ではなかった。この異様な凝視のなかで、存在する自分を導く論理が生み出された。 しかも、自分が考えていることと、自分がどうあるかということとは、いつも、い違っているのだ。 そのい違いを意識したとき、近代の哲学ははじまった。 思索と存在の差異、とか、認識と実在の差異とかだったら、理論化できる。西洋哲学史は、各時代の最高の頭脳が、この差異を理論的に統一しようとする試みに従事してきた、その記録である。 しかし、「自分」を意識した近代的自我にとって、必要だったのは、匿名の思索と一般的な存在との一致ではなく、まさにこの「自分」の一致だった。 ホッブズにはじまり、ロック、ヒューム、アダム・スミスへと洗練されていった一連の

  • パーソン論と障害者 - G★RDIAS

    北海道大学で開かれている応用倫理国際集会というのに行ってきた。2日間ずっと英語漬けだったので頭がパーになってるが、気づいたことをひとつだけ。英語圏からの学者たち(白人男性がほとんど)のあいだでは、「自己意識と理性ある者のみが人格であり生きるに値する」という「パーソン論」が当然のように支持されている傾向にある。日での業界では「パーソン論」に疑いの眼差しを向けるのがある種共通了解っぽいが、それは英語圏の共通了解とは異なる。日人女性スピーカーが青い芝を引き合いに出して、障害者からの声を聞くべきと言ったのに対して、海外からの学者が、「では親の声は聞かなくてもいいのか?」とすぐさま質問した。スピーカーは返答に苦慮していた。私が司会した分科会では、英語圏からの学者が、自己意識と理性のない段階の赤ちゃんは殺すことも許されるという発表をしたが、会場からはその結論に対する異議は出なかった。(私は司会だっ

    パーソン論と障害者 - G★RDIAS
  • http://www.nozakiy.org/gakkai/200711a.html

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  • ボンヘッファー『現代キリスト教倫理』 - heuristic ways

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    microtesto
    microtesto 2007/10/11
    via *minx* [macska dot org in exile]
  • 俗称“アシュリー療法”を希望する2例目か - misc.(~2007/10/31)

    いつも拝見している spitzibaraさんの記事から。 →英国でついに第2例目か?(アシュリー事件から生命倫理を考える、2007/10/8) 親が子どものことを思ってすることなのだから、外部がとやかく言うことではない、とのコメントがやはり出ているらしい。親が自分の子どもについてとてもよく考え心配している点についてあまり否定するものではないが、しかし何でもできるわけではない。 また、傍らでずっと介護している私たちのことを、そうではないあなた方が分かるわけがない、とのコメントも、それとこれとは話を分けないといけない、と返しておく。 別稿でMCA2005(Mental Capacity Act 2005)という英国後見法について紹介している。blogにも少し書いた。 →http://homepage3.nifty.com/mnagawa/#mca2005 勉強していくと、それは単に後見法である

    俗称“アシュリー療法”を希望する2例目か - misc.(~2007/10/31)
  • 英国で15歳の女性から子宮摘出準備 - G★RDIAS

    イギリスで、脳性マヒの15歳の女性から子宮摘出がなされる用意があるとの報道があった。 「Disabled 15 year-old girl to lose womb」 http://www.timesonline.co.uk/tol/news/uk/health/article2603965.ece 以下、論争点になりそうなところを整理する。 ・女性は15歳。 ・母親が依頼。 ・女性は脳性マヒであるが、いたって健康。 ・月経時の周りへの不便、迷惑をなくすことが理由。 コメント欄には「彼女が母親になるなんて考えられないから、彼女の母親には依頼する権利がある」という意見もある。 要注目の「事件」である。 *追記* kanjinaiさんのコメントで、より詳しい記事を教えていただきました。 http://www.timesonline.co.uk/tol/news/uk/health/articl

    英国で15歳の女性から子宮摘出準備 - G★RDIAS
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    2024夏休み旅行 神戸・2日目【前編】 zfinchyan.hatenablog.com ↑1日目はこちら 6:50 わたしと夫だけ先に起床 前日に買っておいたお芋のパンで朝ごはん 昨日の疲れからか、なかなか息子たちが起きてこなかったので、ゆっくり寝かせてから10:00にホテルの下にあるプレイゾーンに行って、パターゴルフやバス…

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  • 発達障害者や未成年への不妊手術と法制度 - *minx* [macska dot org in exile]

    先のエントリ「まだシンポジウム報告前半までしか公開してないけど…」についた jrf さんのコメントにお返事。長くなったのでエントリ立てます。 jrfさん: 「敵対的審理」がなかったことが今回の大きな問題の一つであるという理解をまずしました。これまでと違う大きな判断がなされるときは、必ずそのような手続きがどこかで必要だと思います。私は倫理委員会の改善を望みますが、倫理の専門知識を持つ弁護士がうまく介在できるような社会もあるのでしょう。 どうもです。 米国が「弁護士がうまく介在できるような社会」であるかはかなり疑問なわけですが、この国では人権を守るための仕組みがもうそれしかないんです。 疑問であるというのは、わたしは以前からインターセックス医療の問題に取り組む中で、ほとんどの州において未成年の患者の不妊手術には裁判所の許可を必要とする法律があるのに、どうしてインターセックスの子どもに対する子宮

    発達障害者や未成年への不妊手術と法制度 - *minx* [macska dot org in exile]
  • ernst@hatena

  • 動物の権利 (うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ)

    動物の権利 - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%95%E7%89%A9%E3%81%AE%E6%A8%A9%E5%88%A9 時々、「動物の権利」のことが気になることがある。最近また動物の権利について知りたくなったので、いくらかメモしておく。当はピーター・シンガーのが読みたいが、お金がないのでを買わないことにしている (のと動物の権利について知らなくてもまったく困らない) のでしばらく延期する。 動物の権利の何がおもしろいかというと、それが単なる「動物がかわいそう」という運動ではないからだ(「動物がかわいそう」という動機に基づいて活動している人もいっぱいいると思うが)。 動物の権利運動の一部は功利主義に基づいており、「動物がかわいそう」という人々に混じって、どう見ても論理的一貫性のためだけに動いている人がいる。私は気になって