土建屋と運送屋と倉庫と工場が多くて、近所の社会人は作業服を着た中卒高卒だらけで、みんなタバコ酒が大好きで、改造車を作るためのパーツ屋が近所にいくつもあって、小学校の帰りにゲームセンターを横切ったらシンナー吸ってラリってる兄ちゃんがいて、一見まともそうな奥さんはどこかの新興宗教に入信してて、近所付き合いで聖教新聞を取らないといけない世界に育った。偏差値50に届いてない公立高校に行ったら頭がいいと言われFランク大学に行ったら賢いと言われた。そこからマーチ駅弁レベルの大学に進学した。近所でアルバイトをしたら四年制大学に行っているというだけで孤立した。きっと色んな次元に分かれちゃう。次元というか、日本という国のなかに見えない国がたくさん出来ていくんだと思う。ほんの20年前すら既にそうなんだよ。私が育った環境を想像できないでしょ?何か異文化のところにいるのに日本にいるというのがちょっと怖いんだ。わか
孟達さんについて、劉曄伝の注のところに 劉曄伝 ③54,55(劉曄、孟達が裏切るだろうという人物評をしたこと) http://zh.wikisource.org/zh-hant/%E4%B8%89%E5%9C%8B%E5%BF%97/%E5%8D%B714#.E5.88.98.E6.99.94 傅子曰: 初,太祖時,魏諷有重名,自卿相以下皆傾心交之。 其後孟達去劉備歸文帝,論者多稱有樂毅之量。 曄一見諷、達而皆雲必反,卒如其言。 『傅子』ににいう。 そのむかし太祖の時代、魏諷は高い評判をもち、大臣以下みな彼に心を寄せ、つきあった。 そののち孟達が劉備を離れて文帝につくと、論者のうちには楽毅(戦国時代の燕の名将)の器量があるとたたえる者が多かった。 劉曄は魏諷・孟達を一見するや、いずれも謀反を起こすにちがいないといった。 けっきょくその言葉どおりとなった。 てことで、楽毅の器
山形県東根市に新設される「市立さくらんぼ小学校」について、同名の「私立さくらんぼ小学校」というアダルト系のサイトがあるため、名称についての是非が出ている、と報道されている。 東根市側は当初、変更を検討しないと主張していたが、一転して名称を白紙に戻すと発表された。一方、アダルトサイトというのは正確には「18禁同人ゲームソフト制作サークル」であるが、このサークル側は「サークル名の変更も視野に入れている」と述べている。 どちらが悪いというような話でもない。最近ではツイッターのハッシュタグ#oooをめぐって、有名なフリーのオフィスソフトOpenOffice.orgと、新放送の仮面ライダーOOO(オーズ)がかぶってややこしいことになるという小さな騒動もあった。 こういうときにどういう力学が働くのだろうか。ネーミングの共存は不可能なのか。「御所の細道」現象も含めて少し考えてみた。 「さくらんぼ小学校」
(それは世間が、ゆるさない) (世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?) (そんな事をすると、世間からひどいめに逢うぞ) (世間じゃない。あなたでしょう?) (いまに世間から葬られる) (世間じゃない。葬むるのは、あなたでしょう?) てっきり太宰メソッドの定義は、 大きな主語に託すことで、自分の責任は回避しつつ、発言に権威や説得力をもたせようとする ・・・(ここまで以後便宜的に定義Aとする) 人間に対し、発言の主体のエゴを指摘する ・・・(ここまで以後便宜的に定義Bとする) だと思っていたら、前半の定義Aの部分だけらしい。 ブコメでも指摘まで含めての意味だと思っている人がいるようだ。 "メソッド"というのはプレゼンの高橋メソッドのように、方法論に考案者あるいは使用者の名がついたものだが、 定義Aを太宰、または作中の葉ちゃんが考案したわけでも使っているわけでもない。 葉ちゃんがライフ
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